フィンセント・ファン・ゴッホ 4
じゃがいもを食べる人たち
ゴッホが画家を志してから数年、ついに仕上がった自信作でした。
聖書のある静物
この絵をゴッホは父親の死後すぐに描いています。ゴッホの父親はプロテスタントの牧師で、この聖書も父親が所有していたものだと言われています。手前の本はエミール・ゾラの「生きる喜び」という当時の現代的な生活が描かれた小説です。
タバコをくわえた自画像
アントワープでのお酒とたばこと売春宿にまみれた破滅的な生活が想像できます。ゴッホは生涯で数多くの自画像を描きましたが、この絵が一番最初の自画像でした。
日本の花魁
溪斎英泉(けいさいえいせん)の浮世絵の模写です。当時パリで刊行されたジャポニズム雑誌の表紙になっていました。
名所江戸百景 大はしあたけの夕立
歌川広重の「名所江戸百景 大はしあたけの夕立」の模写です。見比べてみるとその違いがはっきりとわかりおもしろいですね。
タンギー爺さん
パリで画材屋を営んでいたタンギー爺さんです。貧乏な画家たちに理解を示し、ときに画材の代金の代わりに作品を受け取っていたそうです。ゴッホの葬式の数少ない参列者の一人でもあります。
黄色い家
アルルにて、ゴーギャンとともに生活し、ともに絵を描いたアトリエ、黄色い家です。世界大戦で破壊され、残念ながら現在は残ってはいません。
ローヌ川の星降る夜
黄色い家から歩いてすぐ近くにあるローヌ川から見える夜景です。ゴッホはこの絵で、空に輝く星の光と人間の作り出したガス灯による街の光を同時に描くことに苦心した、と手紙につづっています。現実にはそこにあるはずのない北斗七星が夜空に描かれています。
ひまわり
ゴーギャンの到着が楽しみで仕方ないゴッホは、部屋中をひまわりの絵で飾って彼を驚かそうと考え、この時期に複数枚のひまわりを描いています。実際のゴーギャンの到着時にはゴッホは疲労で倒れてしまっていました。
耳に包帯を巻いた自画像
ゴーギャンとの論争ののち、みずからの右耳を剃刀で切り落としてしまいます。
星月夜
入院したゴッホは病院内でも自由に絵を描くことができました。病院の周辺は糸杉やオリーブの木などの風景が広がり、それらは晩年のゴッホの主要なモチーフとなりました。
医師ガシェの肖像
ゴッホの最後を看取った医師ガシェの肖像画です。パリ郊外に住む医師でありながら、アートコレクターでもあり、自身も絵を描いていました。普段からともに食事をしたり家族ぐるみでゴッホと交流がありました。
カラスのいる麦畑
ゴッホが死んだ1890年7月に描かれた作品のうちの一枚です。ゴッホはこの年のはじめにミレーが描いたカラスと田園風景の絵を模写しています。若き日からあこがれ続けたバルビゾン派の巨匠の画題を、ゴッホはすでに独自の解釈で表現しきっています。
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