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東京アダージョ-多摩川をさかのぼる「夏の川辺の土のにおい」

世の中には、どう考えても、どうあぐねても、どうしょうもない事がある。
真直ぐな子供の心は、ただ、なおも、真白くなれど、どうにも、しょうがないものだった・・
それでも、幸、不幸を背負った時間の動きは止まらない。

子供の時、この川辺の土のにおいを強く感じた時がある。
小学生同じクラスの友人が、
「バケツに一杯分の血を吐いて自宅に居る」と言う。
病気の彼は、学校に来ないまま、中学生になった。
中学になっても学校にはいない。
「どうしているんだろうかな。」

小学校の同窓会は、学校の始まる少し前の暑い夏の日だった、
その後で、クラスのみんなで、その友人の家に遊びに行くことにした。

川辺に、小さくたたずむ、いかにも昭和風のその家に着くと、古い大きなお屋敷に、母親と2人暮らしで、そして、病気の彼は、浴衣を着て寝ていた。

男の子たちで、縁の下に見えたベーゴマ床が見えたので、それを引っ張り出して、まずは、ベーゴマが、はじまった、それを女の子もおしゃべりしながら、バラバラで見ていた。
そして、自分は、缶蹴りをやろうと言いだした。
「だって、みんなで遊べないじゃん」
それは、自分はベーゴマで遊んだこともほとんど無いし、へたなだけだったのだが・・
もう、ベーゴマの時代では無いのだが、小学校の前の文房具屋に、なぜか、何年か前から、ベーゴマが置いてあって、そこのおじさんがやり方を教えてくれていた経緯があったのだった。

そして、
みんなで、病気の彼の布団を、表の見える廊下に引っ張ってきた。
その中で彼は、じっと、静かな眼差しで、また、表の様子を視ていた。
ただ、奥にいた時の青白い顔色から、若干、顔色が良くなったような気がした、それは、夏の光の加減だろう。
そして、母親は、みんなに、お赤飯に、お団子、お饅頭、そして、コーラまでを買って来てくれた。

自分は、このへんで、そろそろ、笑いをとろうと、
当時に流行していた歌と振り付けで、そのまねをした。

案の定、
友達たちは、大笑いして、布団の中でも大笑いしている・・
これは、受けたんだぁ。
「やった~」 と思ったものの、つかの間、
だた、この軽さを、また、ちいちゃんのそれかと、バカにされているだけだったのだろう・・

その時、
夏の乾いた川辺の粘土質の土、その黄土色の乾いた表面に水滴が落ちてきた。
どうしたのだろうと、顔を上げると、
彼の母親が、、大粒の涙をこぼしていたのだった。
 なんでだろう、また、やりすぎたか、なぁ・・ と心の中で、情けなく呟いた。

乾いた地面に、その水滴は、即時に吸い込まれていく・・・
みんな、しーんとなった。

そして、別れ際に、彼の母親は、何度も何度も、お礼を言ってくれている、それも一人づつにだ。
なんで、そんなにも、もの静かで、上品な彼のおかあちゃんが、優しく、そして、ていねいに、そうするのか、わからなかった。
そう感じたのは、うちのおかあちゃんは、いつも、何事につけても怒っていたからだ。

・・・・・・・・・

それから、たいぶ経って、不幸があったことを風のたよりで聞いた。
「その時の乾いた夏の川辺の粘土質のにおい」を昨日のように思い出した。
もう、とっくに、忘れていたことなのにだ。

その河原で花火大会が、例年はこの週末あたりには行われていた。
ただ、今年は、危ういウイルスで中止らしいのだが、その思いが、ふとよぎった、ずいぶん経った子供の頃のことなのに・・



(追加)ポンキッキーズ-歩いて帰ろう

#2020年夏の創作
#プロット #短編小説 #エッセイ #東京アダージョ

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