ポケモンカードを"開けない"
■ポケモンカードのパックを"開けない"幸せ
最近ポケモンカードをたまに買っています。
誰かとするわけでもなく、ただただかっこいいなーと思って!
そしてパックを開ける前のあの感じって、
決定するまでの喜びであって
たとえ中に好きなカードが入っていたとしても、多分パックを開ける前の方が好きなんだろうなーと思います。
■"決定"しない楽しさ
多分、何かが"決定"されることって面白くないものでもあるんだなーと最近思います。
開ける前のパックってパック自体にはもちろん、開ける前よりも可能性があって、
じゃあどっちが幸せか?で考えると、人にはよるけど
まず幸せの定義として、
もし、例えば幸せというのもが
・“絶対値(高級寿司)"ではなく"伸び率"(絶食からの高級寿司)で決まったり、
伸び率だと無限の欲の波にのまれる(高級寿司よりももっと美味いものを求めて!など)が故に、
・幸せとは"感謝することによる気づきで、伸び率を発生させて起こすもの("よく考えると、ご飯が毎日あるって幸せだなー"など)(
安定的だけど毎回幸福と感じられるもの)
なのであれば、
パックを開ける前の状態の方が幸せかもしれないですね!
なので次パックを買ったら、開けないでキャンバスにでも貼り付けようかなーと思ってます!
(25周年記念パックとか、後から買えないようなやつを)
■ポケモンカードのパックと量子力学
これってあと、量子力学的な側面やシュレディンガーのcat的な要素もあって、面白いなーと思ってて、
常にパラレルな世界を残しておくという価値なんですね!
この前学生さん11人と哲学対話した時も、
アニメの効果か、多くの人がパラレルワールドをなんらか意識して生きてるなーと思ってて
(アニメっていい教材ですよね)
が故に決定しないものをアートの要素に盛り込む価値は、今後高まるかも?と思ってます。
ちなみに!実は最近今ポケモンカードって、割とどこに行っても品切れで売ってないんです。
(昨年25周年!)
が故に、より一層、パックを開けないのが面白いのかもしれないですね!
今日はこの辺で!
皆さん今日も予定調和のない素敵な不確定な1日を!
アート、教育、探究、子育て、生き方。アーティストとして、スクール長として、本音しか書きません!