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手の施しようのない偶然の美しさ

絵画教室の前の夜は、よく教室の夢を見る。
昨夜の夢は、大きな講堂で教室を開くことになっていた。オルセー美術館のようだ。

ドーム型の講堂

ぶっつけ本番なので、集まった参加者を見て、どのように進めるか決めようと思った。
長い立派な机にどんどんと着席する。実際の生徒さんの世代が多いようだ。アートセラピーのレッスンをすることに決めた。対面にした相手を見て、思い浮かぶ色を絵に描く。

さぁこれから始まるぞという時に、会場の奥に存在していた巨大な水槽から音が聞こえてきた。水族館のような水槽の中にいたのは、10人以上の幼児たち。一斉にバシャバシャと泳ぎだした。水飛沫が参加者にもかかるありさまで、わー!わー!叫んでいる。かなりシュールな光景である。厳格な空間は一変した。

僕は「こらー!静かにしなさい!」と叫んだ。まだキャッキャ騒いでいる子供たちを一人一人水槽から出して、濡れたパンツをペンペン!と叩いた。まるで紅の豚の子供たちのように、びしょびしょで講堂を走り回る。

自由な生き物

気を取り直して、対面したイメージのカラーで思い思い描いていく。場が騒然としてたので、「黄色!」「青!」とみんな叫ばないと相手に伝わらない。なんだかよくわからない授業だが、まぁ賑やかなことは確かだった。

目覚めたら6:40だった。子供たちはもうすぐ目覚めるだろう。妻の実家のように朝寝坊もできない。娘の熱は下がっただろうか、息子は怖い夢を見なかっただろうか、と考えつつ、布団の上でじっとしていた。

ぼんやりとこう思った。「まるで家族を持ってスタートした人生そのものだな」と。計画してきたことも、大舞台も、経験値も、人間関係も、ぜんぶ子供たちの無邪気さとセンス・オブ・ワンダー(大いなる感性)が、ぶち壊していく。
絵画教室で用意した、オルセー用の美しい画用紙も、お尻ペンペンの際に飛び散った水飛沫でぐちゃぐちゃだ。参加者たちは苦笑いして、その紙に色を乗せていく。

水飛沫の輝き、弾け飛ぶ奇声、画用紙の歪み、水彩の不確かなにじみは、僕が全く想像もつかない自然界の産物だ。僕はいろんなものを失って、諦めて、今ここに存在している「手の施しようのない偶然の美しさを、生活の一部として受け入れている。これは、とても大きな自由である。

ふと、その夢で見た光景を思い出した。絵を教える僕の太ももは、パックリとえぐれて血が吹き出し、骨も丸ごと見えていた。床に鮮血が飛び散ってゾッとしたが、痛みはなかった。もはや僕の太ももか誰かの太ももかわからなくなっていた。
何かしらの代償はある。ただでは済まないのが人生の真実だ。等価交換というやつか。それでもこの鮮血を受け入れて、やはり僕は、現実世界でも絵を教え、描いていくのだろう。それだけははっきりと理解できる。

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