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ある喫茶店の話

今朝見た夢の話です。

それは雨の降る寒い夜ふけ。
僕と息子は、宿を探して歩いていました。すると、こんな時間に灯りが灯った喫茶店を見つけ、中に入りました。
カウンターには誰もいなくて、古時計の音がカチカチと聞こえています。息子はすっかり寝てしまい、僕も目の前にあった毛布にくるまって、カウンターでうとうとしてしまいました。

朝の光で目が覚めると、マスターらしき男性がコーヒー豆をひいていました。僕はハッとして、「すみません、勝手に宿にしてしまいました。お詫びにモーニングなどあれば取らせてください」と伝えました。
マスターは黙ってうなずき、奥のソファー席に案内してくれました。
寝ぼけ眼な息子と僕は、そこで朝食を待っていると、キッチンから新鮮な野菜や色とりどりの香り豊かなパンが次から次に並べられました。
息子もすっかり目が覚めて、パンに手を伸ばします。マスターは「あなたにはこちらを」と言って、ライスとお肉の皿を出してくれました。

僕らはすっかりお腹いっぱいになって満足していると、目の前の壁に飾った一枚の絵画が目に入りました。それは印象派のタッチで、白頭巾をした女性がりんごの絵を描いていて、周りにいる中年の男性たちがおかしな顔をして覗き込んでいます。女性は真っ赤なリンゴを目の前にしてスケッチしていますが、デッサンはくるっているし、色も青色です。

僕はマスターに「この絵はなんという絵ですか?」と聞きました。  
マスターは「この絵のタイトルはね、〝ニセ・ゴギュー〟というんだ。ゴーギャンが死ぬ間際に「私のすべてはウソだった」とつぶやいたことがキッカケとされているんだよ」と答えました。

僕は深く関心して、まじまじとその絵を見続けました。そうしていると、またウトウトと視界がぼやけてきました。
(嗚呼、これは夢なんだ・・)と思い、目が覚めてもこの店のことを思い出さなければと、お店の名刺をみて、住所をメモしました。最後までしっかり書けて、マスターにお礼を伝えた瞬間、パッと目が覚めました。

朝6:30、息子が僕の布団に潜り込んで、小さな寝息を立てていました。(やはり夢だったのか。住所もわからなくなった。けれど、あのお店の事細かな雰囲気はしっかり覚えているぞ)と思って、この日記をしたためているところです。

不思議な夢でした。夢が現実的で、現実が夢のよう・・。あのマスターは・・あの絵は・・あの色とりどりの朝食は・・夢のような現実において、何を意味しているのでしょうね。
はっきりと覚えていて、何ヶ月も忘れないであろう夢は、魂の還る場所と繋がっていると言われます。どんな意味があるのか、今日一日中、考えてみたいと思います。

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