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己の信念を貫き、音楽を通して人々に生きる力を与え続ける ギタリスト 東海林 克さん

◎出身地:埼玉県
◎活動地域:関東を中心に全国
◎経歴:①さまざまなバンド、アーティストのステージ&レコーディングにギタリストとして参加。
②ラジオジングル、店舗用BGMの作曲制作の他、愛媛県西予市 狩浜の段々畑イメージ曲の作曲、佐賀県唐津市のイメージ曲の制作アレンジなどを手がける。
③自身のリーダープロジェクト「Ruah」では、様々なジャンルのプレイヤーと楽曲を作り上げている。
◎現在:シンガーソングライター「埴科きき」のギタリストとして全国にて活動。
◎座右の銘:その一瞬を大切に

「自分のため」の究極は「人のため」

記者:本日はよろしくお願い致します。まずは夢やビジョンを教えてください

東海林 克(以下、敬称略 東海林):私はいま、“埴科キキ”というシンガーソングライターの専属ギタリストとして活動しているのですが、自分が何かを成し遂げようとかいうよりも、ライブに来てくださるみんなに、「埴科キキさんの歌をどんな形で聴いてもらえるか」、ライブ活動をしてCD制作をしながら、「彼女の歌がどう言う場所で一番輝けるのか」というのが一番大きい想いです。その埴科キキという人物をいかに引き立てるかがギタリストとしての僕の今のビジョンですね。

記者:自分が主役というよりも、裏方としてのビジョンなのですね。

東海林:昔からなんですが、「世のため、人のため」というのを考えたことがほとんど無いんです。音楽やるときにみなさん「誰かのためにやっています」って仰ったりしますよね?そういうのが僕の中にも無くはないんですけど、そういう質問に答えるときに自分に問いかけて振り返ったりすると、
結局、音楽やっている時って常に「自分のため」なんです。「自分が好きだから、自分が弾きたいと思っているから、自分がギターという楽器が好きだから」やっているし、その結果として「あなたのギターいいですね」って応えてくれる人がいる。

なので、これからもずっと、何があっても「何のためにやっているの?」って聞かれたら「自分のためです」という答えしか出てこないかもしれません。

記者:きっと、自分のためにやっているからこそ、自分が磨かれて、それが輝きとなって音楽を通して人に感動が伝わっていくんだなって感じました。人の為っていうのは自分のための延長線上なのかもしれないですね。

東海林:そうだと思います。

“埴科キキの中に僕が居る”

記者:日頃どんな意識を持って活動されていますか?

東海林:ライブではほとんど埴科キキさんの脇で弾くことしかないので、彼女がどうしていきたいかというビジョンに沿って私が歩いていくという感じです。基本的には彼女の活動のサポートです。常に一緒にいるから、ユニットだったりバンドだったりに見られがちですけど、どこにいても“埴科キキの中に僕がいる”と思っています。ライブに来てくださるお客様は埴科キキのとなりに僕がいて当たり前になっているけど、居ない時があってもおかしなことではないんです。先日も、九州ツアーがあり、熊本と佐賀に行ってきました。佐賀では唐津の離島に全校生徒が7名くらいの小学校があってそこでライブをしてきました。ちなみに、埴科キキさんが唐津のテーマソングも創っています。去年は地元の新聞の取り上げられたりしました。

“自分が見つけたもので自分自身が認められた”

記者:この仕事を続けることができている原動力は何ですか?

東海林:中学2年生からギターを始めたんですが、当時は学校も行ったり行かなかったりで俗に言う“やんちゃ坊主”だったのですが、当時バンドブームがあったのもあり楽器に興味を持ち出して一生懸命練習していたんです。それを普段の生活では認めてくれなかった先生や大人たちが、自分が楽器を弾く姿をみて認めてくれたんです。それが自分が変わるきっかけになって、これまでずっと続けてこれたんだと思います。それでギター担いで学校に行くようにもなりました。そのまま保健室に直行してそのままギターを練習したりする中学校生活でした。先生たちも、「そんなに頑張っているんだったらやったらいいじゃん。」と自分がやっていることに対して理解を示してくれて。何よりも“自分が見つけたもので自分が認められた”と言うのが一番大きいです。それが今までも今も、そしてこれからもやっていくエネルギーになっているのかなって思います。

“ひとつひとつが手に届く範囲であるからこそ”

記者:その仕事で日頃から心がけていることはなんですか?

東海林:自分が手の届く範囲の中で自分が後悔のしない生き方をしていくことです。それをギターを引く中でやっていけたらなと思っています。その中でその“1つ1つが手に届く範囲であるからこそ大事な出逢いであったり、自分の幸せにつながっていくのかな”って気がします。それをみて、「僕も私も頑張ろうかな」って思ってくれたらそれはもう、僕の力になるかなって思います。

記者:キキさんとの活動以外で他に何か活動されてますか

東海林『Ruah(氣)〜ルーア〜』という音楽制作活動をしていて、自分のミュージシャン仲間達に自分が作った曲を演奏してもらいます。そこで僕が作った曲が愛媛県西予市の“狩浜の段々畑”という景色のテーマ曲に採用されたりとか。ひとりひとり僕が思う素晴らしいミュージシャンたちなので、活動している畑は違うけど僕が作った曲のなかで表現してくれるグループです。個人の名前ではなくて「Ruah(氣)」っていう名前の所以は、僕自身が作った曲でも、その人の音が入れば僕の曲ではないっていう意識があるので、それは、ひとりひとりみんなで作り上げる楽曲だと思いこの名前にしました。Ruahに関しては「自分が納得できる曲を作りたい」っていうだけのことなので、ライブをやったりとか大々的に発表してどうこうってことではありません。

“音楽を続けるきっかけとなった人との出会い”

記者:音楽活動の中で一番印象的だった出会いとは?

東海林:そうだなあ。ひとつひとつが大切ではあるんですけど。まあやっぱり音楽を続けるきっかけになった人との出会いですね。それは最初に言ったキキさんとの共通のベーシストで僕の師匠でもある方で、中学生の時に出会いました。別に音楽について何を教えてくれたとかそう言うことでは無いんですけど、彼が音楽の世界を見せてくれて、あーだこーだ良い事も悪い事も全部教えてくれた父親のような人だったのでね。そこがいちばんの入り口だったというところですね。

“自分を大切に、自分のやりたいことを大切に”

記者:最後に読者へ向けてメッセージをお願いします

東海林:「人に探してもらう世界」もひとつ大事なことではあるけれども、やりたいことって限定してしまうと大変なので、“自分が入っていきやすい、自分の体が感じやすい世界”を見つけて、それを常に自分の中で育てていくことで、それがどんどんきっと自分のやりたいことだったり、自分の好きなことに変わっていくのではないかなと思うので。世のため人のためも大事ですけど、まずは「自分を大切に、自分のやりたいことを常に大切に」して行ったらいいんじゃないかなと。少なくとも自分はそういきているので(笑)まあ限度はありますけどね。

記者:東海林さん、貴重な時間をありがとうございました。

↓↓↓東海林さんの活動がわかるサイト
☆「Ruah」
https://resoundmt.wixsite.com/ruah

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〜編集後記〜
今回インタビューを担当させていただいた中川です。東海林さんの“足元をしっかり見て着実に前進されている姿”をみて、これからの人生において参考になりました。今後の活躍を心より祈念させていただきます。みなさまも東海林さんの応援よろしくお願いいたします。
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