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“病気は自分で治す”と知ってたら、ワクチンを望むのだろうか?


オレは子供の頃から、自他共に認める『THE・貧弱くん』であり、『虚弱体質ちゃん』。見た目も“もやし”体型だったせいか、よくマッチョな大人たちから「ちゃんと飯食ってるのか!」と、何もしていないのに恫喝されることもしばしばだった。無理解と想像力の欠如って恐ろしいわ…。

それはともかくとして、常に病気がちで、不調を感じていたオレは、幼稚園児にしてすでに「あー、肩こりがひどいなぁ」と、じじくさいことを言っていたし、「オレって五歳くらいの頃からずっと風邪を引いているんだけどさ…、いや、まじで…。治ったことがないんだよね。健康ってどんな感じ?」と、小3くらいで友人に話してドン引きされたこともある。それくらい、いつもどっかしら具合が悪かった。

ひどい鼻炎で、年がら年中鼻水を垂らしていたし、抗ヒスタミン剤を服用していないと、原因不明の蕁麻疹が全身に出る体質だった。年に一度は中耳炎で耳に激痛が走り、眠れない夜があり、歯はボロボロで虫歯だらけ。

子供は親の影響を受ける、というか、親の影響しか受けない、とも言えるくらい、親が与える環境というのは、その人の人格形成はもちろん、人生に大きく左右する。

オレの母や家族のことは、このnoteでもあれこれ書いてきた。とにかく、母は「薬好き」で、なんでも「病院」「お医者さん」に頼るというタイプだった。

その母の考え方は、当然息子のオレに強烈に行使された。

・薬漬けの幼少期

熱が37度以上はバファリン。37・5度以上は病院。38度以上はまず座薬と、我が家にはそんなルールがあった。しょっしゅう微熱を出すオレは、バファリン中毒かってくらい、飲まされていた。半分は優しさできていると言われているが、どう考えても、幼いオレの肉体には優しくなかったような気がする。

抗ヒスタミン剤、鼻炎薬、咳が出たら咳止め。しょっちゅう薬を飲むせいか、お腹が痛くなりやすく、胃腸薬や整腸剤も常に飲んでいた。

もちろん、母自身も、なんでも薬に頼る人で、医者の言うことは神様の言うことのように全部従うタイプ。

そんな母は、オレが十四歳の頃に原因不明の神経病になり、そのまま長い年月をかけてどんどん弱らせて、昨年死んだ。

いつも大量の薬を飲み続けていた。「治らない病気」なのに、薬が出される事自体意味がわからないんが、どうやら「進行を少しでも遅くする薬」だったらしく、とにかくそれを飲み、付随して「薬の副作用を抑える薬」や「気持ちが沈みやすくなるので向精神薬」「胃腸の負担を減らすための胃薬」など、年々数は増え続けていた。

オレは22歳の頃に、呼吸不全とうつ病で、瀕死な毎日を送って、東洋医学に出会った。そこで救われたし、考え方が180度変わった。

薬を止めた。完全に絶った。それまで、当たり前のように、体調が悪いと、すぐに薬に頼っていた自分に気づき、そもそも「薬を飲まないと治らない」と、漠然と思っていた自分を知った。

・薬からの解放

薬を止めた始めの頃は、実はちょっと不安だった。風邪を引いて熱があって辛いのに、病院に行かないなんて、信じられなかったが、思い切ってやってみた。東洋的な考え方を信じてみた。

すると、驚いた。オレはいつも風邪を引いたら、一週間くらいはずるずると具合が悪く、熱も、薬で下がったと思ったらまた上がってを何度か繰り返して、最後は身体中だるくなって、熱が下がった後も、完全に治って調子が戻るまでに10日くらいかかるというイメージだった。だから、小学生の頃なんて、学校を一週間や10日休むなんてこともしばしばあった。

しかし、初めて薬を飲まず、医者に行かず、ただただ「寝るだけ」を実践した。汗かいて、着替えて、水分とって、また寝る。頭痛くても、お腹痛くても、関節痛くても、とにかく寝た。ただ寝た。

次の日に、すんなりと熱が下がった。しかも、いつもの病後のだるさはなく、体が軽かった。びっくりするくらい軽くて、さらに翌日には、風邪を引く前より遥かに元気になっている自分に気づいた。

まさしく、それから何年も後になって知るのだが「野口整体」の創始者の野口晴哉の書籍にもある「風邪の効用」である。

そして、いつも感じていた病後の怠さや、鉛のような重さは、主に「抗生剤」で、有用な腸内細菌を殺したせいで起きていたのではなかいと推測する。

とにかくオレはわかった。身を持ってわかった。

病気は自分で治せる!

ということを。

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