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不思議なおはなし シバ犬「柴田さん」

不思議作家、奇談家という肩書きを持つわたくし、オオシマケンスケによる、不思議なおはなしです。ホラーではないです。ただの不思議なはなしです。

シバ犬「柴田さん」


「最近、柴田さん見かけないね」

食後の散歩の時に、妻とそんな話をしたのは、2ヶ月くらい前だろうか。

「そうだな、前はほぼ必ずすれ違ったのに」

僕は答えた。

夕食後の散歩と決めているので、毎日時間もさほどブレない。そこでよく会う中年のおじさんがいて、挨拶とかする仲ではないけど、毎日会っていたので、会わなくなると気になるものだ。

挨拶する仲でもないが、どうして柴田さんという名前を知っているのか?

実は、柴田さんという名前は勝手に我々が名付けたもので、彼の名前は知らない。ただ、彼はいつも“シバ犬”を散歩しているので、それにあやかって柴田さんと名付けたのだ。

彼にしてはいい迷惑かもしれない。

本名は田中さんかもしれないし、佐々木さんかもしれない。もしくは海音寺さんとか鷹司さんとか、そんな貴族風の名前かもしれないのに、シバ犬を連れているだけで“柴田さん”と名付けられているのだ。

ひょっとしたら、彼には柴田という苗字の知人がいて、その柴田さんと犬猿の仲だとするのなら、自分が柴田呼ばわりされるのは大変不名誉であるかもしれないのだ。

でも、僕はそんなリスクを恐れずに、毎日のようにすれ違うその年配の男の人と、やや歳を取った小太りなシバ犬の組み合わせで、「柴田さん」と、敬愛を込めて呼んでいる。

敬愛を込めるのはシバ犬がとても可愛いのはもちろん、柴田さんの優しそうで誠実そうな表情で、勝手に「この人は良い人だ」と印象を持っているからだ。だから彼にはきっと犬猿の仲の柴田さんなんていう知人はいないだろうと推測している…。

前置きが長くなったが、そんな柴田さんに、梅雨明け宣言後の長雨が続いた後に、めっきりと会わなくなった。

本格的な梅雨明けと夏の空。僕らはいつも通り、毎日の散歩を再開。しかし、柴田さんに会わなかった。

散歩の時間を変えたのだろうか?と、我々はそう推測した。犬の散歩は、人によってはきっかり決めているだろうけど、けっこう緩い人もいるし、季節ごとの変える人もいる。

そう考えていた矢先に、柴田さんの「犬」だけを見かけた。いや、こんな風に書くとまるでシバ犬が放し飼いでもされてたかの誤解を招く。そうではなく、いつものおじさんではなく、中年の女性が散歩していたのだ。

時刻は19時半。いつも、柴田さんが散歩していた時間だ。

犬に関しては見間違えない。あの小太りで、ゆったりとした動き。そして何より首の後ろに青いLEDのランプが光る首輪。ちなみにその手の光る首輪をこの頃よく見かけるが、どうも好きになれない。車から目立つようにするのはわかるけど、なんだか不自然極まりなく見えるのだ…。

三日間ほど連続でその女性とすれ違い、我々は彼女のことを“柴子さん”と呼ぶことに決めた。理由は説明するまでもないだろう。安易で簡易であり、そもそも名付ける必要性もないのに、勝手にそんなことをして楽しんでいるだけだ。

柴子さんは、温厚そうな柴田さんと違い、歩く速度も速く、犬の方が着いていくのがやっとのような感じがして、見ていてなんだか嫌な気持ちになった。犬のためではなく、義務的に散歩をしているようにしか見えない。シバ犬が木の横に立ち止まりたくても、無視してリードを引っ張る姿を何度も見ていた。

だが、今度はまたその柴子さんを見かけなくなった。散歩コースを変えたのだろうと思っていたが、柴子さんを見ないのは、別にさほど気にならなかった。見ても不快だったからだ。

しかし、先週から同じ道での散歩が復活したようだ。柴子さんではなく、“元祖”柴田さん、のようだが…。

違う人だ。

しかし、それは僕の判断であり、「あれは柴田さんだ」と妻は言うのだ。

でも僕にはどうしてもそれが柴田さんには見えない。というか、どう見ても“別人にしか”見えない。

髪型、顔、背の高さ、体つき、服装の雰囲気、全部がちょっとずつ違う。違いが一つ二つならわかるけどトータル的に違ってくるとなると、僕には別人にしか見えない。特に体の大きさが一回り以上大きくなっているのだ。

「いや、あれば違う人だよ、だって顔も体型も……」

僕が妻にそう説明しても、

「え?そんなことないよ。同じ人だよ。何言ってんの?」

と、妻はあれは柴田さんだと言い張し、

「でもよかったね。ワンちゃんも柴田さんと歩いている時の方がのんびりしてて楽しそうだったね」

完全に、柴田さんであることを疑っていない。

僕は確かに自分の記憶にさほど自信のある方ではない。しょっちゅう色んな記憶が抜け落ちて、今のとろろは日常に支障をきたしていないレベルだが、かなり危なかったしいのは認める。そしていつも柴田さんに会うのは夕方から夜なので、明るいところで面と向かったわけではない。

でも、何ヶ月も毎日のようにすれ違っていた人を、見間違えるだろうか?ちなみに僕は視力は良い方だ。

でも、妻は同じ人だと言う。どっからどう見ても柴田さんだと。むしろ僕がおかしいのだと。

そう強く言われると、なんとなくそんな気がしてしまうのだけど、釈然としない。

しかし、実は僕の人生では何度かこれと似たようなことがあったことを思い出した…。

昔アルバイトしていた居酒屋で、常連さんってほどでもない、でも定期的にやってくるおじさんがいた。スーツ姿の、50代前後の「サラリーマン」という、それ以上にも以下にも見えない風貌だ。

サラリーマンのおじさんは大抵、職場の仲間なのか、二人で来たり、三人だったりしたけど、そのおじさんは必ずいた。ちなみに名前は、知らない。

しばらく、ぴたりと来ない時期があり、バイト仲間で、

「そういえば最近、あのお客さん来ないね」

なんて話していた。よく来るお客さんが来ないと、なんとなく気になるものだ。

しかしそんな矢先に、そのおじさんはふらりと訪れた。いつもの調子で暖簾をくぐり、「3人です」と告げた。

彼らが席につき、オーダーを取った後。僕以外の職場の人は、

「久々に来たね、あの人」

と言うのだけど、僕から見たら別人だった。確かに「あのお客さんによく似てるな」とは思ったけど、あのサラリーマンとは別人に見えたのだ。むしろ、一緒に来たメンバーの一人の方に、見覚えがあったくらいだ。

しかし、みんなは例のおじさんだと言う…。

言われてみると、確かにそうなのだけど、顔がちょっと違い、髪型というか、全体の毛量というか、髪の毛がすごく多かった。以前はむしろ薄毛にも見えたのに…。そして体型も変わり、背が小さくなっていた。

しかし、周りの人は「え?何が違うの?」と、誰もその違いに何一つ疑問を抱かないのだ。

「いやいやいや、違うでしょ?」

と、何度説明しても、

「前からあんな感じだよ」

と、話がまるで噛み合わず、僕以外全員が「何も変わってない」という意見で一致したので、その時も僕は「まあ、俺の勘違いかなぁ」という話で落ち着いた。

まだ似たようなことはある。子供の頃だ。近所の八百屋さんのおばあちゃんもそうだった。

その八百屋は、歳を取ったおばあちゃんと、年配の息子の二人でやっていた。市場の入り口にあったので、通りからもよく様子が見えた。

息子の方のおじさんは毎日見たが、おばあちゃんは毎日見かけるほどではなかった。とはいえ、週に2、3回は最低でも見かけた。

いつも疲れた暗い顔をしていて、僕は母からのお使いで何度か買い物に行かされたことがあったけど、ぼそぼそとしゃべるし、なんだか陰気臭くて、僕はいまいちその八百屋のおばあちゃんが苦手だった。

でもある日からめっきり見なくなった。目の前の道を毎日のように通るので、気にかけていたわけではないが、なんとなくいつもそこにいる人がいないと、さすがに変化には気づく。

よくその八百屋を利用していた母親に尋ねてみると、どうやらおばあちゃんは病気で入院したとのことだった。だからその間は息子さん(といっても自分の父親よりどう見ても年上だ)一人で八百屋さんをやっていて、忙しそうだった。

しかし、1ヶ月もしないうちにおばあちゃんは戻ってきた。

だけど僕にはそのおばあちゃんが、入院前とはまるで別人に見えた。

まず、よく笑うようになったし、曲がった背筋も前より伸びて、体が大きくなったように見えた。いや、姿勢だけではなく、本当に体型そのものが大きくなっているのだ。

そして皺だらけだった顔が前よりつるりとしていて、陰気臭かった雰囲気は消えて、むしろ息子のおじさんの方が、なんだか無愛想になって、一気に老け込んだように見えた。

しかし、それを母に言っても「え?何も変わってないわよ」と言った。むしろ入院して、「少し小さくなっちゃったわね」と、僕の印象とはまるで正反対のことを言われ、その時は僕も自分の勘違いかなと思うようにしたが、納得はできなかった。

話を戻すが、柴田さんの一件から、そんな過去の記憶が詳細に蘇った。他にもあったような気がするが、強く印象に残っているのはこの2つだ。

一体、これはなんなのだ?このような体験は誰しもあるものなのだろうか?

いくつか仮説を立ててみた。

実はこの世界にはすでに人間そっくりのヒューマノイド型の超高性能アンドロイドを作る技術があり、定期的に誰かが死んだりしたら入れ替えているとか?

そもそも元から柴田さんや八百屋のおばあちゃんはアンドロイドで、故障したけどちょうど部品が揃わないタイミングだったために、ちょっと違うパーツで補った結果、違う形になったとか?

ではどうして僕だけがその違いに気づいたのか?

それはつまり、家族や職場の仲間たち全員グルで、僕だけがその事実を知らされていないとか?まるで映画の「トゥルー・マン・ショー」のように…。もしくは僕以外はすべて精巧に作られたアンドロイドだったとか…?

柴田さんの一件を通して、久々にそういうことを真剣に考えた。

もしくは最近の映画などでもよく題材に当たる「マルチバース」などの多次元宇宙構造で、僕だけが別の宇宙とか、なんらかのパラレルワールドに入ってしまったとかも考えた。

だけど、仮にそれらのSF小説のような推測のどれかが事実だとして、大きな疑問が残る。

どうして柴田さんなのだ?

バイト先のお客さんのサラリーマンのおじさんとか、近所の八百屋さんとか、僕の人生のドラマの登場人物としては、あまりにも関係性が弱すぎる登場人物だ。

どうせなら、ある日妻が別人になってたとか、直属の上司が実はターミネーターだったとか、それくらいの身近な人でないと、「なっ!これはマルチバースだ!」とか、「お前はロボットだったのか!俺を銀河鉄道999のように、機械の星に連れていく気か!」とか、そんな反論ができないではないか。

それとも結局、僕一人の勘違いなのか?

「柴田さん、元気そうでよかったね」

あれからまた毎日のようにシバ犬柴田さんを見る。僕は柴田さんへの謎を捨て切れたわけではないが、妻にはもはや何も反論はしない。

だけどこうしてまた毎日すれ違うようになると、結局のところ、元の柴田さんでも、ニュー・シバタさんでも、かなりどっちでも良いという事実があり、だんだん考えることが面倒になってきた。

そんなわけで、柴田さんは今日も犬の散歩をしていた。シバ犬は可愛かった。

終わり

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☆不思議な本。こちらは実体験の「ノンフィクション」

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8月27日(土) 『声』 女性性をひらく、巡る音楽“音体験”  大阪 残席 1

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