あるニートの悟り (フィクションです)
吾輩は、ニートである。引きこもりである。仕事?それはひょっとして「生産活動」とやらの労働の事を指すのか?ならば、私はそのような仕事は一切していない。
主な活動はオンラインゲームだ。実家で暮らしている。
なになに?
「働かないで親のスネをかじって最低だ!」
「生活保護で生きているなんてダメ人間だ」
「ニートは社会のお荷物だ」
なるほど。至極ごもっともなご意見だ。いまだに、社会にはそんな意見がさも“正解”として、あたかも“善”として、存在している。
つまり「社会貢献」、別の言い方をすると「社会に有用」な人であり「社会で役立つ」人であり、「生産性」のある人でないと、価値がないと。
私は40歳を過ぎており、一応社会人と呼ばれる立場にある。
ただ、2年ほど前に、あまりにブラックな職場がきつく、ストレスで体調を崩し、うつ病にもなり、そのまま仕事をやめて、一人暮らしも辛い状態なので、実家に帰った。
親元で暮らしていて、誰にも会いたくないので、ほとんど自室にいて何もしない生活を半年くらい続けて、
(あれ?俺ってニートじゃね?やばくね?)
と気付き、さすがに危機感を抱いた。
そう、「自分に価値がない」と焦ったのだ。だから自分の価値を見出そうとした。
就職活動…は、求人サイトを見ているだけで目眩がして吐き気がした。体が完全に拒否反応だ。そもそも、なんたのために働くのか?
生活のため、金のために、大学を出てからずっと働いてきた。そしてこれからも、生活のために、生きるために、金が必要だから、金を稼ぐために、働かなければならない…。
ちなみいん、残念ながら私には「やりたいこと」とか、「夢」とか、そんな大それたものはない。若い頃は色々とあったといえばあったのだが、いつの間にかそういう気持ちはすっかりどこかへ行ってしまった。
とにかく、価値のない人間ではやばいでしょ、ということで、何かせねばならぬ。
私は現状を打破すべく、とりあえず『自己啓発』の本を読んだり、「1日5分で月収20万円!」とか「誰でもできる、簡単アフリエイトで楽に稼ごう!」という動画セミナーを学んだが、どちらも稼げるようになるまでに相当時間がかかりそうだし、どうもあのハイテンションなポジンティブシンキングについていけなかったので、無駄な散財となった…。
私はさらに打ちひしがれて、スピリチュアル系のサイトを見るようになった。社会復帰云々の前に、まずは『救い』を求めていたのだ。
そして、とあるサイトに出会った。
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