『男性力』の、ちょっと恥ずかしい話。
散歩は日課だ。とにかく歩く。山で歩くことが何よりの楽しみだし、旅先で見知らぬ街をほっつき回るのも好きだが、家の近所もよく歩く。朝昼晩。気が向いたら歩くのがライフワークとなっている。
なにせパソコン作業が多いので、体のバランスを取るためでもあるし、やはり作家であり、アーティストとして、クリエイティビティを保つためにも、歩くことは欠かせない。煮詰まったらとにかく歩く。適度に体を動かすと、心もリフレッシュされ、思考にも新たな風が吹き抜ける。
近所の散歩たるものは、どうしてもコースが固定されてしまう。いや、それでいいのだ。何か新しい発見をしようなどと思っているのではない。
しかしそれでも、よく見知った道であっても発見は無数にある。季節ごとに咲く花とか、雑草やら木々の葉の生い茂り方とか、成長具合とか、虫とか、通り過ぎる人や車。この世界には「同じ」なんてものも、状況もない。常に変化している。
とはいえ、考え事をしていることが多いので、仮に新しい店舗がオープンしていても、上の空で通り過ぎてしまうこともある。そういう時は、自分の頭の中で新しい世界に触れているとはいえ、自分の注意力のなさに呆れることもある。
人生はいつでも何かを見落としている。我々にはいつも見えないものがある。前を向いていれば後ろが見えないように、そして、後ろを向いたら、今度はさっきまで前だった場所が後ろになって見えなくなる。
我々にはそのように常に死角があり、盲点がある。自分では気づけないものだ。
しかし、見えないものはどう足掻いたって見えないので仕方ないとは言え、見えていても、それを「正確に」見ているか?と問われると案外いい加減なものである。
いつだが、普段はさほど散歩コースに選ばない道を選んで歩いていた。なぜそこを普段歩かないかと言うと、車の往来が激しい道路だからだ。好んで排気ガスを浴びに散歩に出る人もおるまい。
しかしその時は、いつもの歩き慣れた道を歩いて、それでもまだ歩き足りなくて、ぼんやりとしてたらその道路に出てしまった。
たまには気分を変えるのも悪いことではないので、車が横を行き来する中、私はのんびりと歩いた。
少し向こうに、黄色い旗が見えた。何かの店舗のようだ。
しかし、普段あまりこの辺りを歩かないとはいえ、何度か通ったことはる。だがそこに何があったのかはまるで覚えていなかった。
黄色い旗の手前には、大きな鉢植えがあり、植物が青々と伸びている。だから数十メートル先にある黄色い旗の上半分くらしか見えなかった。
何度も言うが、私は考え事をしたり、考え事をしていない時には、純粋に“歩く”という動作を探求するために歩くことが多いので、近所の景色にさほど興味は向いていない。しかし、その時の黄色い旗の文字は、はっきりと目に入った。
「男性力・17」
私は目がいい。視力で困ったことは一度もない。だからまったく目の悪い人の気持ちがわからないし、共感もできないのだが、とにかく視力は良い方だ。
そんな私の両目に、数十メートル先の旗の文字。
「男性力」。
何を考えていたかは忘れたが、おそらく創作のことか、体の重心とか、足の運び方とか、そんなワークをしていたかのどららかなのだけどうが、考え事は「男性力」という、ある意味男心をざわざわとさせる単語のせいで停止した。
男性力…。17…?
おそらく、薬局かなにかだろうと思った。いや、薬局以外にありえない。それも、普通の調剤薬局ではない、個人店で、怪しいおっさんが経営してそうな店。すっぽんドリンクとか、赤マムシ強壮剤で男性力アップ、という広告の旗なのだろう。17は、なんの数字だろう?金額か?
のんびりと歩みを進めながら、私はその店のことより、男性力というものについて考える。考え込むと、人は自然と足元を見るもので、周りから見れば、足元を見ながらトボトボと歩いている男、という姿だっただろう。
男性力。つまり、それはいわば勃起力、ということなのだろうか?しかし、それはなんて安易な発想であろうか。
女子力、なる言葉があるのだが、女子力にそういう性との結ぶイメージはない。男性が勃起力なら、女性は“濡れ力”とでもいうのか?いや、そもそもそんな言葉聞いたことない。とにかく、女子力に性的なニュアンスではない。
女“子”、だからか?子供には性的なニュアンスはない。では男子力とはなにか?うーむ、少年のような無邪気さ?
しかし、目の前にあるものは『男性力』だ。女性力やまして女子力の話を対比させる意味もない。
しかるに、男性力なんてものが世間に流布するにあたり、いかに世の男性が自身の勃起力や精力に対して、並々ならぬ関心があるかということだ。
昔から、その手の強壮剤というはある。性を楽しみ、快楽を享受するためには、立つものが立たねばどうにもならぬという、男の悲哀かもしれない。
それともう一つ『男性力』と聞いて思い浮かぶとするのなら、筋肉、ではないだろうか?ある種の人間にとっては、固く引き締まり、盛り上がった筋肉こそが男性力の象徴と思うかもしれない。
しかし、それも貧相な発想だと思うのは、子供の頃から「もやし」とか「洗濯板」と呼ばれる体型である私自身のひがみ根性も働いているのかもしれない。いかんせん子供の頃から、マッチョな男は苦手であり、筋肉で優劣を極めようとする単細胞は、脳みそが筋トレしすぎて退化したと思っている。
それはともかく、自身の男性力はいかなるや…。
筋肉は、ない。皆無だ。若い頃はいつも憧れた。太い腕、厚い胸板…。しかし、それらはある時期にきっぱりと諦めたし、実は今はそういうものへの憧れはないし、ましてそれが男性として、人としての有利性を持つとは考えてない。役割として、力仕事には役立つだろうが、見せるための筋肉ほど意味不明なものはない。
して、ではもう一方の、本命の「男性力」はいかに?
まず、朝は、健全である。
何もこんなところで告白することではないのだが、その時考えたことを率直かつ公明正大に伝えるためにこの手記を書いているので、読者へのセックスアピールではないということは強調しておきたい。
しかし、古今東西、朝ダチという現象は、男性力の一つのパロメーターにはなるだろう。
若い頃の不健康だった時期は朝立ちなどまるでなかったが、私は中年と呼ばれる年齢になってからすこぶる健康になってきたので、朝は快活で元気ではある。
しかし、皮肉なもので若い頃の方が圧倒的にそれらの男性力を試す機会は恵まれていたし、精力以外にも、自身の男性力、つまり、異性からの関心を得る方法などを研鑽したのだが、この頃はそういうことにほとんど興味がなくなってきた。
年齢のせいと片付けていいのか…。それともひょっとして私の男性力はすでに衰え、枯渇しているのか?いや、枯渇してたところでそれはそんなに悪影響なのか?何も性の悦びが人生の喜びにあらずであり、若い頃からそれなりにその道も十分楽しんできたと自負はしているが男性力が弱いということは不健康ということだとするのならばそれはいささかの問題がある。勃起をしなくなるとアレが壊死するとかそして全身の血行にも影響が出ると言う話を聞いたが今のところその傾向はみられないのでひとまず安心ということで………。
などなど、とにかく私の頭の中では高速回転で男性力に関わるあらゆる関連の思考がぐるぐると巡っていたが、私にそのような思考をもたらした問題の『錦の御旗』は一歩一歩と私の視界に大きく近づいてくるのである。
旗まで数メートルほどの距離になっても、大きな鉢植えの植物のせいで、やはり下は見えない。男性力、17。
だが、鉢植えが並ぶラインを足が踏み越えて、店の目の前に出て旗の全貌が見えた時に、私は思わず驚愕した…。
「男性カット 1700円」
なんと!そこは薬局など類ではなく、床屋だった。
とこや。TOKOYA。
アルファベットで書くとTOYOTAみたいだが、とにかくそこは薬局ではなくて床屋だった。そして旗に書かれていたのは、まさかの「カット」!
説明するまでもないが、カタカナのカットの“カ”は、漢字の力と同じだ。
私は遠目に見て、旗の上半分だけを見て、男性力と勘違いをし、勘違いするくらいならまだしも、ひたすら目まぐるしく男性器と自身の精力について思いを巡らせていたのだ。
なんてことだ…。
私は店の前で立ち止まる。店の中では、中年の理容師が、椅子に座り、マントを羽織る、これまた中年の男性の髪にハサミを入れている。にこやかに、おそらく、会話が弾んでいるのだろう。
彼らがもし、二人でそれこそ『男性力』について語り合っているのだとしたら、私の一連の思考の逡巡も何かの救いがあるような気がするが(そう思いたい!)、彼らのにこやかな表情で、まして散髪中に「最近はアッチの方はどうですか?」「いやいや、ご無沙汰です。それにどうもムスコが親の心子知らずなもんで」「だったらいい薬ありますよ」とか、そんな話題をしているとは到底思えない。
私は半ば呆然としながら、再び歩みを進める。なんて日だ。怒りに似た感情が湧いた。初めは床屋の主に腹を立てた。まぎらわしいことをしやがって!しかも旗を隠すように背の高い鉢植えを置くなんて!
しかし、その怒りはやり場がないどころか、お門違いで見当違い甚だしいのは重々承知であり、結局のその矛先は自身に向かう。
木を見て森を見ず。
私は自身の浅はかな観察眼と、暴走しがちな思考の有様に情けなくなり、自責の念に駆られる。ああ、私の男性力はこの自責とストレスにより、さらに低下している。いや、男性力以前に、人間力としていかがないものだろうか?
その日は結局、作業にいまいち身も入らず、かといってやけ酒するほど荒れるわけでもなく、なんとなく無気力な1日になった。
このように、いかに人は物事を見ているようで見ていないか?ということがお分かりいただけただろうか?
しかし、私はツイているのかもしれない。なぜなら、その方向へ歩き、確かめたからだ。もしも、あの場で引き返したり、途中の小道を曲がってしまったなら、私はずっとあの通りにはすっぽんドリンクなどの類の“男性力アップ”のアイテムを売る薬局、薬店があると思い込んでいだろう。
そしてある日、自身の男性力を高めようと、その店に赤マムシドリンクとか、回春、精力アップ、マカサプリメントとかを買おうと店に出かけ、勇んでドアを開けてしまってから、その店が床屋であると知ったとするのなら、私は死んでも死にきれないくらい落ち込んでいただろう。
あなたも思わぬ勘違いをしているかもしれない。見えているはずが、きちんと見ていないかもしれない。なのでくれぐれも、判断は慎重にすべきであり、物事はさまざまな側面から見てみないと、実態は見えてこない…、という教訓である。
この話があなたの人生のお役に立てたのなら、私の恥も報われるというものであろう。
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☆ イベント予定。
9月25日(日) 歩く瞑想の会 in 鎌倉
10月10日(月・祝)歩く瞑想の会 in 京都 男山と石清水八幡宮(募集はまもなく)
10月23日(日)『声』女性性をひらく、めぐる音楽、音体験 東京(募集はまもなく)
11月上旬 探求クラブメンバー限定 リトリート
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