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戦争と平和(前半・無料) 個人とコミュニティの時代(後半)

戦争と平和(前半・無料)


外の騒音に耳を向けると、世界は相変わらず騒がしいです。実際に起きてるか、何が本当か?またはその政治的背景はここでは論じる気はありませんが、とにかく常に不安を煽るニュースがあり、そこには対立があり、戦いがあり、絶望や悲壮がある。

しかし、外部から聞こえるそれらのニュースは、我々にとって本当に価値のあるものなのでしょうか?

スピリチュアルに限らず、量子論などでも、「世界は自分の思考が創っている」という論理(?)があるけど、仮にそうだとして、それらの騒がしい、メガティブな情報そのものを、我々の意識が創り出しているとも言えるし、そこまで言わずとも、それに対して感情を不安にさせているのは、自分で“不安になることを選択している”ということかもしれません。

自分が感情を荒げ、揺れ動かして、平和から遠い『恐れ』と『対立』の世界に意識を置く。それによってさらに自分の生きている世界が、争いと対立の世界となります。

自分の思考が世界を創っているとするのなら、これは由々しき事態であり、平和な世界を望むのならば、我々一人一人の思考を変えていかないとならない。

しかし、ニュースを作り、報道する側はそんなこと百も承知だということ。彼らは事実を伝えるのではなく、なんらかの目的手段として、報道したいことを報道して、報道したくないことは報道しない、です。

あなたの感情を動かし、意図的に、あなたの意識をどこかに導きたい。彼らは世界の仕組みや、意識の仕組みをよく知っています。だからこそ、我々に常に「恐れ」を与えたいのです。戦争にしろ、ウイルスにしろ…。

別にこれは陰謀論とかそんな話ではなくて、事実として、さまざまなことが明るみになっている。

有名なのが「ナイラ証言」から、アメリカ人の反イラク、反中東、反イスラム、な感情を煽り、世論を動かして、イラク戦争に持ち込んだ陰謀。

この原寛太さんの動画がわかりやすいですが、

広告代理店によって、完全に作り上げたれた、アメリカ在住の少女の虚言で、世界中の西側メディアが報じて、国民が信じ込んだ。

しかし、そんな事実があっても、いまだに今起きている戦争を、メディアの報じる通りに信じる人々…。

エイプリルフールは続いてます。いや、仮にそれが暴かれても、日々目まぐるしく更新されるニュースに目を奪われ、それらの事実を忘れてしまう…。

さて、では戦争と対義語とされる「平和」とは、それらの意識が全くないことなのでしょうか?

僕から、あなたに尋ねてます。どう思いますか?

3パターン、あると思います。

一つは、今上記した、
1  さまざまなメディアのニュースを受けて、感情を動かす人。

次は、
2 それらのニュースをまったく耳に入れない、目に入らないような生活をしていて、世間との関係皆無な人。

そして、
3 それらのニュースに触れながらも、ポジティブな側面しか見ない、もしくは、まったく感情が動かない人。

さて、この中で最も「平和な人」は誰でしょう?

・・・
・・・
・・・

なんて突然聞かれてもわかりませんよね(笑)。

でも、1は一番平和とは遠い気がしますね。2は、確かに平和だけど、「無知」と言うこともあり得ます。でも、思考が世界を作るのなら、この人が一番平和?

3は、それらの報道が目に入っても、ネガティブな感情は湧かず、自分のポジティブな思考と、未来への幸福に突き進むタイプ。

2は、実質難しいです。まったく情報が入らない生活を送る方が現代はまず無理でしょう。戦争、は一才ニュースを見ないで知らないことができても、コロナに関しては、社会で生きる限り、知らないわけにはいかないでしょうね。

3の中にも、二つのパターンがあって、

1 ネガティブを避けているタイプ
2 ネガティブを受け入れているタイプ

があります。

ぶっちゃけ、僕個人の意見と言わせてもらうと、1の人はスピリチュアル業界にはすごく多いと思います。

世間のニュースと無関係には生きられないから、当然さまざまな情報を見聞きし、自分もその影響を生活に受けている。

しかし、コロナ以前と同じように、「ワクワク」とか「ポジティブ思考」を中心とした意識。

「ネガティブな思考や思念を排除して、「幸せ」「お金」「豊かさ」というキーワードを中心に、まるで世間や世界と関係なく、個人的幸福を求め続けるリーダーと、それに従う人たち。

彼らはパッと見ると、確かに幸せそうです。SNSとか、景気の良いことを並べ連ねます。

ただ、SNSやインターネットでは、「良い部分だけ」見せることも可能であり、はっきり言ってそれは大手メディアと同じで、多くが事実とはかけ離れていることも多いです。ここが難しいところです。

でも「思考が世界を創ってる」を、かつて地でやってたのが我が日本です。それが「言霊」です。

「悪いことは言わない。そうすれば、それは現実にならない」

という、言霊文化が今でも日本には残っていますよね?
「縁起悪いこと言うな!」
ってね。

これをガチで利用して、国家運営をしてたのが「平安時代」だと言われています。

平安貴族の政治は「平和じゃ、平和じゃ」と言うことで、平和を引き寄せました。逆に「戦」や「武器」「血」「暴力」のような言葉は、使わないようにしていました。

憲法九条に対して、あまり多くを語りたくありませんが、この文化がありますね。日本は「平和」と言い続けることで、平和が訪れるという、言霊文化…。

実際に、平安時代そのものは、動乱続きの奈良時代末期から、桓武天皇が京都に遷都し、鎌倉幕府成立までの400年と、かなり長い時代続いていて、大きな動乱もなく、中期などは世界でも珍しい、かなり平和な時代です。

民衆は蔑ろにされてた、と記述もありますが、それは荘園や仏教勢力の台頭などの勢力争いが起こった末期で、中期の大衆の記録はこの時期とても少ない。記録が少ないと言うことは、=問題がない、ということなので、全国的に本当に平安でした。

だけど、末期になると平安貴族は、軍隊組織を直轄部隊からなくしました。なぜなら軍隊や武装集団は、言霊的には「戦争」の象徴だからです。

しかし、さすがにそうなると都の治安が乱れ、その結果、武装組織の「武士」が力を持ち、武士たちが治安を守るので民衆の支持を得て、平清盛から始まり、源氏の鎌倉政権、その後の武家政治へとつながりました。

もちろん、歴史はそんな一つの側面だけを見ても全貌はわかりません。でも、上記の理由は大いに影響したと思われます。

戦争と平和、がタイトルですが、平和とはなんでしょう?

平和平和と言っていても、日常の中に、パートナー、友人、または世間に対して勝ち負け、奪い合い、利己主義の心があるのなら、それは結局「戦争」の意識でしょう。

そしてそもそも「平和」という言葉と、その意識。これがもし「戦争」の対義語だとするのならば、平和を訴える人ほど、潜在的には、正反対の意味が内在している、ということです。

簡単に言うと、

「お金が欲しい!」の人は、「お金がない!」

という潜在的思考を持っているようなもので、

「平和を望む!」

と言う人は、

「世界は争いばかりだ!」

と確信しているようなものです。

では、どうするのか?やはり、まったく争いとは無縁の生活圏に身を置き、それらの意識を入れないことだろうか?

で、

どうすればいいと思いますか?

・・・

。。。

。。。

・・・

あ、例の如く僕のnoteには「答え」なんてありません(笑)。あなたへの問題提起であり、強いて言えば、あなたが答えに向かっていくプロセスを知りたい、そう思っています。だから、コメントとかメッセージくれるとすごく嬉しいです。

これに対して、僕は何の答えも持ち合わせいませんし、仮に持っていたとしても、それは僕の答えであり、あなたの答えではない。あなたの人生は、あなたの意識が創っているのだからね。

じゃあ、何のためにnote書くのか?

と言わても、とにかく「ただ、書きたい」という、文章によって自分を表現しまくることに生きがいを感じているというのもありますが、ただ、僕の考え方なりが、何らかのお役に立てればいいなとは思っているのは事実です。

後半は、今、そしてこれからの時代を生きるための「心のつながり」をテーマに考察していきます。

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