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初めての八ヶ岳 ー 山と瞑想の日々 ー

「おめえ、山の体しているな」

この言葉がなかったら、ひょっとしたら僕は山に登らなかったかもしれない。

その言葉をいただいたのは、東京から八ヶ岳南麓に引っ越した頃だ。

八ヶ岳界隈では結構有名な「八ヶ岳仙人」とも呼ばれる、「塩野谷博山」に会った。彼から言われたのだ。

会ったもなにも、彼のギャラリーがあり、立ち寄ってみたら中にいて、フレンドリーに接してくださった。

ちなみに塩野谷博山先生は、世界的な書道家でもあり、芸術家でもある。書は、ホワイトハウスにも展示された程だ。

彼の作品を眺めながら、ふと「山」の話をした。いかんせん彼は当時80歳を超えていたが、現役で3000メートル級の山を登る登山家で、それくらいなら実はけっこういるのだが、博山先生のぶっ飛んでいるところは「下駄」で登山して、山頂で芋焼酎を飲んで来るという、かなりクレイジーな登山だった。

そんな博山先生に、「おめえ、山の体している」

と言われた。

「いや、山なんて登ったことないっすよ。見ての通り、筋肉のキの字もない体です」

僕はそう反論したが、

「いや、おめえは、山、やれるよ。山に向いてる」

と言った。僕はひょっとして、こんなひょろひょろのもやし体系の自分でも、あの青い山々の頂を踏めるのかもしれないと、心が躍った。

*****

山と瞑想…なんてタイトルをつけているが、僕の登山歴なんてたかが知れている。そもそも、自発的に山に初めて登ったのは、2013年の9月に、八ヶ岳の三ツ頭という山に登ったのが初めての登山だ。

自発的、と書いたのは、町内会とか、学校の行事で、子供の頃にハイキング登山をした記憶がある。

山歩き、なら、妻と結婚する前に、東京都、青梅市のさらに奥の御嶽山と、滝を巡るコースを歩いたことがあり、それですっかり「山」とか「森」が好きになったのは事実だ。

だから、漠然と興味はあった。自分の体や心を、とりあえず問答無用に自然の中に放り込むという行為や、その時間に。

ちなみに、僕は海育ちだ。家から海が見えてる環境で、高校生くらいになってから、夏は常に海にいたし、夏じゃなくでなんか知らんが浜辺に集まり、まだ味もよくわからない酒を飲み、タバコ吸いながら一晩中焚き火を燃やして、浜辺で世を明かしたことは何度もある。

そして、海という大自然に身を投げ出し、泳いだり、ウニやら鮑やらとってその場で食らったり、砂の中で眠ったり、夜の海に漂ったりもした。引き潮に流されて死ぬかと思ったこともある。

そんな海育ち、海好きだったので、東京へ来て、海のない暮らしはストレスだったけど、僕もご多分にもれず、「歳をとると海より山だよね」という平均的な感覚に基づき、海よりも山とか森の方へ興味がいくし、いかんせん落ち着くのだ。

そんな僕は御嶽山とか、安曇野の旅行なんかで、山や森が好きになった。そこでさらに冒頭の塩野谷博山先生に言葉によって、「その気」になってしまった。

今となってはよくわかるが、登山は「筋肉」ではない。スクワットが得意だからと行って、山歩きは別の体の使い方だ。実際、登山家や冒険家は、細身の人も多い。

しかし、当時はそれを知らなかったし、「山男」というと、屈強な男たちのイメージがあったため、自分のよなひょろひょろ体型では無理だろうと思っていた。現に博山先生自身も、かなり体躯の良いタイプだった。

しかし、博山先生については、もう一つ僕の魂に火をつけた言葉がある。

80歳を超える博山先生が、二人で近所に飯を食いに行った時に、突然こう言ったのだ。

「なあなあ、俺ってよぁ、最近、なんつーか、こう、今は上り調子なんだよなぁ」

カレーを食いながら、80過ぎの人が「今が人生の上り調子」と言うその姿勢。彼から「人生の可能性」というものを、たくさんインストールされたと思う。人生って、僕が思っているよりも、はるかに可能性に満ちていて、目の前に、大いなる可能性の中で生きてる人がいた。

そんなわけで、僕はとりあえずいつも見えている山、八ヶ岳へ行ってみた。もっと手頃な山がたくさんあるのに、いきなりそんな日本を代表する山に登ったのは、その頃に知り合った山岳ガイドの方に「どこに登ったらいいっすかね?」と聞いたら、「見えている山に登ればいいんだよ」と言われたからだ。ちなみにその人はアラスカを単身で冒険するようなガチな人だった。

今思うと、彼はかなり適当に答えただけだと思うのだけど、それもまた「その気」にさせた。見えている山に登ればいい…。つまり、見えている山には登れる!と、思った。

権現岳。八ヶ岳連峰の主峰は赤岳なのだが、権現岳は修験道の聖地であり、古来より八ヶ岳信仰の象徴だったと聞き、権現岳へ登ることにした。

登山道スタートの「天女山登山口」まで、当時は農作業用に乗っていた軽バン(マニュアルシフト)で向かう。どの時点で標高1500メートルほど。

権現岳が2715mあり、天女山からは「片道4時間」と、登山道入口に書いてある。

(片道、4時間…。往復8時間?)

大抵この手の案内は、かなりゆっくりペースの案内だということは当時も知っていたので、スタートは朝9時前だったから、夕方には戻れるだろうと思ったし、きつかったら途中で引き返せばいいとも考えていた。

天気は曇りだった。今考えると、どうしてその日に登ったのか、よく覚えていない。天気予報も見ない、水と汗拭きタオルだけで持って、ジーパンのTシャツに、上着を羽織っていただけで、靴もスニーカーだ。

しかし、とりあえず見える山は、今目の前にあるのだから、権現岳への登山道を登ってみた。

登山道は初めは歩きやすく、道も緩やかだが、だんだんと勾配がキツくなった。標高が上がるたびに、コースも険しく、岩が増える。

権現岳の手前には『三ツ頭』と『前三ツ頭』という山があるのだが、その手前は急登に次ぐ急登で、初めての登山の僕にはなかなかしんどかった。

まだ、山での体の使い方をまるで知らないことだったから、無駄な動きは多かっただろう。その中で、時に岩場に手をかけ、したたる汗を拭いながら、無我夢中で上へ上へと目指した。

何度か、挫けそうになった。それほどキツかった。樹林帯なので、奥が見えないし、地図も持っていないので、先が見えないのだ。延々と、背丈の低い木々の合間を、剥き出しの岩と土の上を登っていく。

引き返すのは簡単だ。やめるのは簡単だ。そう、ただ、降りればいい。

登山というのは登る理由なんてたった一つだ。「上に行きたい」という漠然としたものだけど、辛い時には、疲れた、明日が、危険だから、家族が心配する、山をナメるな、などなど、「降りる理由」が何十個も頭の中に出てくる。

それでも、登る。手をかけ、足を上げ続ける。

しかし、途端に景色がひらけた。森林限界を超え、尾根出ると一気に世界が変わった。そこで標高2300mだ。

もちろん、権現岳への道はまだまだあるのだけど、そこからは尾根伝いに歩くコースなので、そこまで激しい道はない。森林限界を超えて、木々はなく、あっても背丈は低い。寒いので大きな植物は育たないのだ。だから見晴らしが開ける。

生まれて初めて、標高2000mを超えた世界に自分の足でやって来た。

ついさっきまでヒーヒー言いながら登っていた樹林帯とは、空気が一気に変わった。松本市の美ヶ原は2000mだけど、車で行ったから、その変化を体験していない気がする。もちろん空気は違ったけど、自分で登っていくと、少しずつ、空気感が変わるのがわかるもんだ。

僕は前三ツ頭と呼ばれる、八ヶ岳連峰のたった一つの「コブ」のような場所に立っていた。自分の視線の高さに雲があり、その雲が風に流れていく様に目を奪われた。

風の音がごうごうと鳴っているのに、そこは静寂があり、自分の荒い呼吸と、心臓の鼓動の音が、静寂を押し退けるように、自分の内側から聞こえていた。

いつも見上げてた山の中に自分がいるのだと思うと、不思議な気がした。荒々しい南八ヶ岳の威風堂々とした勇姿の、一部となっている。

しかし、この中は外から見る印象とは違い、ここには強さと優しさが同時に存在していた。僕は自然への脅威や畏怖の想いと、神秘と恍惚を感じていた。

しかし、その気持ちよさも束の間。パラパラと雪が降って来た。

季節は10月下旬。いつ雨が降ってもおかしくない空模様だったが、まさか雪とは…。

登りは汗だくだったけど、尾根沿いの道で風に吹かれているとあっという間に寒くなった。

着替えも雨具もないしので、このまま濡れたまま中途半端に進むのは危険だと判断し慌てて下山した。

下山中に、雪は弱い雨に変わり、天女山の登山口に戻った時には全身かなり濡れていたが、気分は爽快で、寒さは感じていなかった。

しかし翌日は、全身激しい筋肉痛になった。当然だ。いきなり素人がガツガツと登って良い山ではない。しかし、そんな筋肉痛の不便さや痛みすら、心地よかった。名誉の勲章のような、誇らしい気分だったのかもしれない。

だから1週間もしない内に、僕は再び八ヶ岳の山頂を目指し、登頂することになる。その話はまた次回に譲ろう。

だけど、あの尾根に出た時の、空気の密度や、空が開けるあの解放感。僕はすっかり山が魅せられた。

博山先生の言葉がなくても、ひょっとしたらそのうち登っていたかもしれないけど、確実に、彼の言葉があの時の僕を後押ししたのは間違いない。


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☆ イベント予定。
9月25日(日) 歩く瞑想の会  in 鎌倉(予定)募集はまもなく。
10月10日(月・祝)歩く瞑想の会 京都周辺(予定)
10月23日(日)『声』女性性をひらく、めぐる音楽、音体験 東京 
11月上旬 探求クラブメンバー限定 リトリート

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