切られた桜の木(エッセイ)
春ですね。我が家の近所でも桜が咲き誇っています。今年はようやくあちこちでお花見解禁、とのこと。
まあ、昔は仲間と花見酒もやりましたが、今はそんなに昼から酒を飲みたいと思うこともなく、そもそもそんなに飲まんし、混んでてトイレとか並ぶの大変だし、先日は妻と二人で、朝の井の頭公園のベンチでコーヒー飲みながら30分ほどお花見して満足でした。
さて、桜には日本人は色々と思い出もあるでしょうが、僕の桜の思い出をひとつ、エッセイ風に綴りました。
切られた桜の木(エッセイ)
息子が2歳になるかならないかの頃だった。成長し、ドタバタと歩き回るようになったこともあり、それまで住んでいた木造アパートの2階では足音もうるさいだろうし、なにかと手狭になっていたこともあり、少し広いアパートに引っ越した。
我が家は一階に部屋を借りた。アパートのすぐ近くに公園もあり、通っていた保育園も以前より近くなり、環境としては理想的だった。
そのアパートの向かいには大きな家があり、そこの庭には立派な、大きな桜の木があった。春になると毎年、リビングの窓から花見ができた。
その家は“豪邸”と呼んでも差し支えないほど立派な家で、年配の夫婦二人で住んでいた。
後から知ったけど、予想通り、夫婦の子供はとっくに独立していて、家にはいなかった。だから年配の夫婦二人では「あの大きな家は広すぎるだろうね」、なんて妻と話したこともある。掃除も大変だろうし。それほど立派な家で、立派な庭だったのだ。
70代前半くらいだろうか、そこのご主人は毎日のように庭先から玄関を掃き掃除していた。だから僕もよくそのご主人によく会うし、自然と挨拶したり「暑いですね」とか「今日は寒いですね」みたいな世間話はするくらいの仲にはなった。そのご主人が気さくな人だったというところが大きい。
「立派な桜ですね」
春に満開になる桜をほめると、ご主人は嬉しそうに、
「そうなんだよ、樹齢〇〇年の木でね」
どうやらこの木は、彼の自慢の桜の木だったらしい。
仲良くなり、秋になると何度か庭の裏手にある柿の木の「柿」をいただいたこともある。とても美味しかった。そしてうちの息子にもとても優しくて、お菓子をくれたこともあった。そんなとても気のいい、優しいおじいさんだった。
奥さんの方は、ほとんど見かけなかったが、ちょっと影の薄い人だった。静かで、大人しい人で、初めは奥さんだとわからなかった。
僕らがそこに住んでいたのは5年半ほどだったが、最後の2年間くらいは、ご主人を見かけなくなった。毎日のように掃除をしていたのに、会わなくなったから不思議に思っていた。
しかしその時期くらいから、時々だけど、奥さんが玄関先の掃除をするようになった。
「今日、奥さんが掃除をしていたんだ」
「へえ、珍しいね。おじさんはどうしたのかしらね」
なんて会話を妻としたのを覚えている。
*
「こんにちは」
僕はある日初めて、奥さんの方に話しかけた。ご主人よりは少し若い。60代半ば、もしくは後半くらいの年齢に見えた。奥さんは箒を持って、枯れ葉を集めていた。季節は秋だった。
「こんにちは」
奥さんは以前何度か見かけた時の印象とは違って、明るくハキハキとして、とても元気そうだった。
「ところで、最近ご主人お見かけしませんね」
僕が言うと、
「ああ…」
奥さんは少し言葉を詰まらせた後で、
「亡くなったんです」
と答えた。
「え?、いつですか?」
流石に驚いた。つい数ヶ月前に、挨拶をしたし、元気そうだったのに。
聞いてみると、癌が見つかり、その時にはもう手遅れて、入院したがあっという間に亡くなったとのことだった。
「残念です。以前、柿をいただいたりして、お世話になったものですから」
話はそれだけだった。悲しい気持ちになったが、そこまで親しかったわけではないし、70代は平均寿命から考えると若いのかもしれないが、そんなもんだろ、と僕はその辺はドライなのだ。人間は必ず死ぬ。まして老年になれば尚更だ。
しかし、冬のある晴れた日に、驚くべきことがあった。
桜の木が、切られたのだ。
業者が来て、クレーン車で大掛かりな作業だった。ちょうど休日だったこともあり、いかんせん家の目の前だ。見るに耐えない光景だったけど、嫌でも目に入る。
僕と妻は、おじさんの死を知った時よりも数段悲しい気持ちで、その事実を受け止めるしかなかった。あと数ヶ月で、桜の花盛りだというのに…。
桜の木が切られたことはとてもショックだった。毎年、楽しみにしていたし、花がなくても、窓を開けたら大きな木があるというだけで、僕にとってはとても癒しの存在だった。
そして、それこそご主人に対して、彼の死よりも悲しい気持ちになった。なぜなら、彼はとても木を大切にしていたし、自慢の木だったのだ。
作業は数日に分けて行われてたけど、とにかく桜の木は太い切り株だけを残して、見事に無くなってしまった。
存在感のあった桜の大木がなくなると、立派な家がますます大きく見えたが、白々しい空間が、かつてあった木の気配と共に、侘しさを生み出していた。
数日後、また奥さんに会ったので聞いてみた。
「桜の木、病気だったんですか?」
「いえ、そういうわけじゃないんですよ」
その一言に驚いた。てっきり、病気だから仕方なく切ったのだとばかり思っていたから。
「枝が伸びるでしょ? その度電線を避ける枝打ちしないとならないし、虫は多いし、落ち葉もひどいし、管理が大変なんですよ」
耳を疑ったが、聞き間違えではない。管理の問題? それであんなに健康な大木を?
その時の奥さんは、僕の主観で、偏ったものの見方かもしれないけど、とても意地悪い顔に見えた。
「そうですか…、毎年、桜が綺麗だなって思ってたんですけど。ご主人も大事にしてたのに」
反撃したつもりはないけど、ちょっとだけ、そういう気持ちもあったことは認める。それと、探りをいれたかったから、あえてそう言ってみた。管理? だって枝打ちするくらいのお金はいくらでもありそうな家だった。
「そうですね。でも彼はただ好き勝手にやってただけですから」
僕の言葉に対してどう思ったかはわからないが、吐き捨てるような口調で、どこか嘲笑的な言い方だった。
そしてそれは意地悪くというより、まるで何かの仇討ちを終え、敗者に勝ち誇るような表情だった。そしてそんな勝者の眼差しを、痛々しく残った切り株にむけていたし、それを僕に対して隠す素振りもなかった。
間違いなく感じたのは、彼女はどういう理由かはわからないけど、あの桜の木を憎んでいたのだということ。
その時の毒々しいまでの声色と勝ち誇った表情は、彼女の元からさほど特徴のない風貌と反するように、余計に印象に残っている。現にあれから10年以上経った今でも、ご主人の顔ははっきりと思い出せるけど、その奥さんの顔はまったく思い出せない。でも、その時の歪んだ敵意と憎しみの気配のようなものはよく覚えている。
**
そういえば一度だけ、生前のご主人と、奥さんが二人でいるところを見かけたことがあった。
その時のご主人は普段僕や妻と挨拶したり、うちの息子をあやす時のような明るい笑顔ではなく、むすっとして、奥さんに小言を言っていた。どこかに出かける時だったのだと思う。
意地悪そうにご主人がぶつぶつと文句を言って、それに対して奥さんは俯いて、何か謝っているようだった。近くで聞いてたわけではないので、内容はわからないが、とても嫌な気配が、二人から発せられていた。
その時は「夫婦喧嘩でもしてたんでしょ?」などと妻と話していたけど、もしもあれが、彼らの日常だとしたら?
もちろん、赤の他人のことだ。近所で挨拶交わすくらいの仲では詳しいことはわからないし、こんなに家は近いけど、家の中で二人がどんな生活をして、どんな関係性だったのかなんてわかるはずない。
ただその後、奥さんを見かけるたび、僕は少し嫌な気持ちになったが、奥さんはそんな僕の気持ちとは裏腹に、快活そうに見えた。以前の暗い、おとなしい印象と違い、同年代の女性たちと庭先で元気そうに話す声や、笑う顔を何度も見た。
桜の木は、ご主人の何かの「象徴」であり、その象徴を切り倒すことで、生気を取り戻す老妻。推測の域を出ないし、僕の勝手な印象かもしれないけど、彼らの夫婦としての生活は、あんな広く立派な家に住んでいても、幸福なものではなかったのかもしれない。
何が正しいことなのかわからないし、きっと誰も悪くもないのだろう。世の中には色んな人がいるんだから、当然、色んな形の夫婦がいる。
ただ、僕はあの桜の木が好きだった。そして、木が切られたことは、とても悲しい出来事だったし、夫婦関係ってものを、色々と考えるきっかけにもなった出来事だった。
おわり
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