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「自信」と「自己肯定感」と「継続すること」について。

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“自己肯定感”について、日本人がいかに低いのか、ということをこのnoteで書いた。

だからこそ、これからの「風の時代」。心、精神、スピリチュアルという分野の役割は、本当に大きい。

今までは、内面に抱えていた“自己価値の欠如”を『物質で埋める』事で誤魔化してきた人々も、根こそぎ通用しなくなる。

個人個人の自立した価値観や幸福感を、己の内面に見いだせなければ、非常に苦しむことになるだろう。

さて、もしもあなたが、自己価値が低いとか、自己肯定感が低いとするとして、まずそれは『勘違い』だということに、気づくべきだ。

なぜなら、そういう風に育てられたし、そういう時代背景だったからだ。

ここで一度『日本の教育』を見ていこう。

我々はほとんど「成果主義」な教育を受けた。成果を得て、結果を出さないと意味がないとされる、資本主義的、サバイバル的教育だ。戦後の日本の教育は、そのようにして指導された。

親なり教師なり、そして社会なりが、それらの価値観に基づいて、学校を作り、そこで『設問』を作る。子供たちは、その設問を与えられ、それに回答した。

そして社会に適応するように『期待』され、それに応え続ける事で、報酬や、将来への保証、評価と承認がもらえる、という仕組みだった。

だから我々は義務教育の間(普通科の高校や大学も)、なんの役に立つかわからない勉強のために学校に通い、テストを受けさせられ、順位付けをさせられた。

高校くらいから、ある程度教科を選べるが、義務教育は全科目をやる。

いろんな教科があるが、あらゆる項目において及第点を取る人間なんているだろうか?

もちろん、かなりオールマイティにこなす人間もいるが、例えば理数系が得意でも文系が苦手だったり、勉強自体は得意でも体育がダメだったり、絵が下手だったりする。

どこかに劣等感や無価値感を抱くかもしれないし、さらに言って終えば、人間関係やコミュニケーション力や、容姿、ルックスなどでも、比較と上下関係のようなものまで発生してしまう。

常に、比較。順位付けの世界。だから多くの人が、“他者からの評価”を、すごく気にするのだ。

「認められたい」
「好かれたい」
「愛されたい」
「嫌われたくない」
「仲間外れにされたくない」etc…

自己肯定感のない人たちほど、この欲求や恐れに苦しむ。

しかし、説明したとおり、日本の教育環境で「自分が好きです」なんて堂々と言える方が稀だし、それを求めるのは酷というものだろう。

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