見出し画像

「置き忘れた子供心」を取り戻せ ー 憧れや依存ではなく、自立した自分の手で ー

お知らせ

7月21日。「目覚め=Awakening」東京に引き続き、大阪でも。

********

前回の続き、のようなものです。こちらのnoteで、


「自分で自分を愛する」
が基礎であり、さらに奥義であると書きました。

さて、ここをさらに深掘りします。

まずこの「自分で自分を愛する」の中には「幼い頃に置き忘れた願いや欲求を満たしていく」、ってこと説明しましたが、メソッドのポイントは「自分で」、と書いてるくらいですから、つまり「自分でやるしかない」ということです。

「え?当たり前でしょ?」

と、思ったかもしれませんが、そうならないケースも多いのです。

これ、実は多くの人が自分でやらず、「代用」や「代替」「代弁」で“やったつもり”になっていたりします。

本人は気づいてないでしょうけど、かなりそういうケースが多いと僕は思います。証拠はありませんが、長年の観察結果として、直感と洞察で、そう感じます。

どういうことか説明します。

その前に、ちょっと話題を変えます。

僕のようなセミナー講師や、メンター業でビジネス的に成功させるためには、このような鉄則があります。

一つは

・この人みたいになりたい!と思わせること(憧れ)

もう一つは、

・この人みたいにならなれそう!と思わせること(親近感)

です。憧れをいただかせつつ、親近感を持たせることです。

これに類似したことを何度か直接聞いたことがありますし、ビジネス系の話でも見聞きしたことがあります。

そしてこれは確かに有効なマーケティングだと思います。

さらにポイントがあります。

・特に女性ターゲットの場合

という但し書きがつきます。

男性でももちろんそうなんですけど、全般的に、男性は純粋に知識や技能を学びたがるので、もちろん「こんな風になりたくない」と思うような相手から学ぶことはないけど、必ずしも憧れる相手ってわけでもなくていいのです。

そして何より「共感力」です。女性は圧倒的にこれが男性より高いので、憧れる相手の言動や発信に、共感してしまいます。

さらここに、僕はもう一つ付け加えます。

・中高年女性には特に効果的

なぜなら世代間のギャップなのか、若い世代(今の30代未満)は圧倒的にその辺のメンタルが健全的な人が多いです。

しかし中高年は、男女共に、子供時代を抑圧で過ごして来た人が多いので、起き忘れて来た感情が多いのです。

ではここで話を戻します。「自分で自分を愛する」ために、「自分の欲求を叶える」ってことを、自分でできていない人が多いと書きました。

まず、人は「自分がやりたくてもできないこと」をやってる人を見て、そこに共感して、自分がやったような気がしてしまう、ということが起きます。便利な機能です。

共感力です。人は共感して、人の喜びや悲しみなどを、自分のもののように感受できます。何度も言いますが、女性の方が強いです。

昨今の「推し」の文化って、それに近いものがあります。つまり、特定の相手に自分を投影し、自分の望みを「代替え」してもらってます。

ただ、これが異性だと「プラス擬似恋愛感情」が入るのでもう少し複雑かと思います。

だから今回は「同性」だとわかりやすいので、同性で統一します。

人気者のインフルエンサーってたくさんいますが、中高年に人気な人の特徴を見てみましょう。

あ、ちなみにアーティストとか俳優は除外します。「推し」という距離感は、そこそこ身近で、会いに行けるし、スマホでいつも見れるような人が今回のわかりやすいタイプであり、上記した「親近感」です。椎名林檎とか石田ゆり子とかに憧れる人はいても、親近感を感じてる人っていませんよね?

そうなると、いわゆる「自己啓発」とか「スピリチュアル系」のインフルエンサーなんてどハマりです。(なんせそれを長年観察してて気づいたんですからね 笑)

中高年以上女性に人気のインフルエンサーの女性の特徴は、
「少女のような快活さ」
「天真爛漫、無邪気」
「姫のように自由に振る舞う」

みたいなキーワードが当てはまります。

誰にも媚びたり合わせることなく、わがままを押し通して、好きなことやって、気分のままに振る舞い、感情豊かな表現を隠さず、時に失敗してもそれを悔いて泣いて、その姿も晒す…。

これ、子供です。

その方自身が承認欲求を臆することなくアピールして、そうやって「内なる子供」を癒し続けているような気がしますし、もはやそれが「芸風」になってる人もいるかもしれません。とっくに癒されてるのに、芸風という「クセ」でずっと続けている、みたいな。

しかし、こういう幼い少女のような振る舞いを惜しみなくSNSやらなんやらで発信して見せることで、同じように内なる子供を見失った多くの女性たちは、自分は直接行動せずとも、そこに共感して、自分で「やったつもり」になれるのです。

これ、双方気づいてないでしょうし、このnoteを読んだら怒るかもしれませんね…(なのでそういう人らに読まれないことを願う!)。

一時的に癒やされるのは間違いないでしょう。しかしそれはやはり自分で行動したわけではないので、その場しのぎの対処療法みたいなもの。根本的な解決や変化には結びつきません。

でも、「気づいてない」ってのがほんとにポイントです。

だから終わりません。癒しを求めて、ずっと繰り返します。

やる側も毎回すごく感謝されて喜ばれるんだから、これはやめられるわけないし、自身の正しさを疑いようがないでしょう。だって喜んで感謝されてお金を払ってくれるんだから。何より、この人自身が抱えている「愛されたい」を、ちやほやされることで叶え続けているのですから。

これで双方の共依存が完成してしまうのです。無限ループの「憧れ」という名の推し活で、やったつもり、できたつもりになるだけ。

もちろん、頭の知識であれこれ学ぶんでしょうけど、大事なのは行動することですから、知識が増えても頭でっかちになるだけ。むしろ知識だけでやろうとして余計にこじれるかもしれません。

自分が幸せになるつもりで、幸せな人から、幸せになる方法を学んでるつもりで、自分はその推しの人の願いを満たしているだけで、自分は知識だけ増えて、やったつもり、わかったつもり、できたつもりになる。

そういう状況って本当に多いなぁと思います。

まあ、それは「アトラクション」であり、一種の「エンタメ」ですから、それでもいいのかなと思います。だってその状態で双方共依存して満足しているんだから。

「夢」であり「ファンタジー」です。現実ではなく、幻想のフィクションで楽しんでいるんです。

ちなみにエンタメ・アトラクションは、ジェットコースターのようなもので、そこで「感情」がぶわわわ!と動く。つまり「感動」するけど、実は何も残らないってのが特徴です。

真のエンターテイメントは「アート」ですから、たとえファンタジー要素があろうと、フィクションだろうと構わないのです。

そこで感情の動きや揺さぶりはあれど、もっと深い深い部分に届くもの。それは時に刺さったり、焦がしたり、痛めつけたりもしつつ、温めたり、癒したり、一新したりします。

しかし、そういう繊細な感性って、アトラクションに一喜一憂しいてる間はなかなか気づけません。だから気長に、荒れた波が凪いでいくのを待つしかありません。

でももしそのアトラクションで「夢を見る」ことから卒業したいのなら、やはり「目を覚ます」必要があります。

目を覚ますって、何か特別な力を持つとか、そういうことじゃないです。

「自分を生きる」ってことです。誰かに憧れて、誰かの夢に乗っかるのではなく、自分の足で立ち、自分で考え、自分で決断し、自分で責任を持って進むことです。

自分を、誰かに明け渡さずにいてください。あなたはあなたです。世界で唯一無二の。

憧れてもいいけど、あなたはあなたです。
親近感あってもいいけど、他人は他人です。あなたの代わりではありません。

誰かの影響で「やったつもり」になるのではなく、自分でやる。

そして自分が、本来持つもの。備わったものを大切にし、本当の自己で生きるのです。

ただ、そのためにはまず「自分を知る」ことです。

おそらく多くの人が、自分がそういうものに影響されていることに気づいてないです。

お掃除と一緒です。ゴミがあることに「気づいていない」なら、掃除しようにもどうしようもないです。

例え何か不快感や違和感があっても、異臭がしたとしても、どこにゴミがあるのかわからず。ずっと同じ場所を掃除機かけてしまうこともあります。

自分に気づくこととは、部屋の隅にあるゴミを見つけたり、どこか押入れの込んだゴミを見つけること。

または、掃除をずっとしないでいると、片付いていない状況が当たり前の光景になりすぎてしまい、目の前にゴミがあってもゴミと思えなくなってる、なんて状況もあるでしょう。

とにかくそうやってゴミを見つけて、丁寧に掃除するのです。だから「自分を知る」ことこそがさまざまなしがらみを解除していくことにつながります。

お知らせ

6月23日(日) 瞑想“力”を高めるための、瞑想の会 

6月30日(日) 静寂の会  満席

Youtube更新

新曲「火の唄」




サポートという「応援」。共感したり、感動したり、気づきを得たりした気持ちを、ぜひ応援へ!このサポートで、ケンスケの新たな活動へと繋げてまいります。よろしくお願いします。