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しくじり先生。「そうなんですか?そうなんです…」

この物語は、オレが体験した一種の「しくじり」だ。最近、youtubeで「しくじり先生」をちょいちょい観て楽しんでいるので、それにかけてみた(笑)

長文だが、きっと、あなたの人生のお役に立てることだろうと、筆を取ることにする。

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オレの通っていた北海道某市にある工業高校では、約40キロメートルを歩く行事があった。遠足、ではなく『強歩大会』という名称の、年に一回の行事で、運動部の連中は走らされていた。

バスで山奥へ行き、そこから学校を目指すというルート。ひたすら歩く、歩く、歩く…。

山道、と言っても大きな車も通る道路だ。そもそもスタート地点の山の奥地は、冬はスキー場、夏は高原リゾート地であり、大きく、立派なホテルもある。なのでその道は大型バスやトラックも行き交う。

そんな太い道路を、全校生徒が一斉に、ひたすら歩くのだ。(600人くらいかなぁ)。遠足やハイキング、山歩きってわけでもなく、歩けど歩けど、たいした変わり映えのないアスファルトの道路を歩くという、本当に退屈な行事だった。今思うとある意味苦行だ。

大きな道路とはいえ、山道というのは蛇行している。ジグザグに斜面を進んでいく。そうでないと急斜面だから車は走れない。

高校1年生は、言われた通り、普通にそのイベントを歩いたが、高校2年の頃に、仲間たちとその退屈な行事を「どうやってさっさと終わらせるか?」を考えた結果、

「ジグザグに進むより、まっすぐ直進すれば早いんじゃねえの?」

と誰かが言い出し、思い切って山道の山林を突っ切って、斜面を下りてみた。すると、かなりショートカットできることを発見した。

しかも山道の中に入ってしまえば教師も来ないし、タバコを吸いながら歩くこともできたのも魅力だった。しかし、その技に気づいたのは比較的に後半だったので、「来年は最初からこの戦法で行こうぜ!」と、俺たちは語り合った。

そして、俺たちは高校3年生になった。俺たちは例のごとく、山中を一直線にショットカットする計画を実践した。

スタートすると、まずは運動部がさっさと走って行く。40キロ走るって、マラソンだ。よくやるもんだ。同じ学校とはいえ、まったく違った青春の在り方をする連中がいるのだ。

その後、真面目な生徒たちが普通に歩く。最初は隊列を成しているが、俺たちはふざけながら歩いているので基本的に遅い。

で、いい感じでばらけて、教師たちの目が行き届かなくなった頃、俺たちは山道に入る。計画通り、裏道に入り、ショートカット作戦に移る。

といっても、山の茂みの中でタバコを吸ったり、菓子を食ったり、弁当を食ってくっちゃべっているので、近道しても、普通に歩く生徒と進捗はあまり変わらないという始末だ。

ただ、道こそ険しいが、歩いた距離に関して言えば、通常に進むよりも格段に短縮成功していた。これは、例年にない楽な遠足になると、自分たちの勝利を確信した。いや、ただの勝利ではない。これは「圧勝」になる…!「圧勝」というこの言葉の響きは、男にとっての快感なのだ。男は常に、圧倒的力の差を見せつけて、勝利の雄叫びをあげたいという生き物なのだ…。

しかし、大きな誤算があった。いや、誤算、と書いたが、ハナから何も計算などしていなかった。「ジグザグに行くより、一直線の方が距離が短い」という結論は計算とは言えない。

そもそも学年最下位の成績のオレを含む、ただの不良少年たちだ。誰が一番強えとか、どこの女がすぐヤラセてくれるとか、バンドでどうやって目立とうかとか、週末の合コンでどうやってエロいことに持ち込むか?という事ばかり考えているだけで、まともに物を考える能力をもった男はいなかった。

そしてその謎の遠足は、それだけ長距離を歩くにも関わらず「地図」というのもがなかった。いや、恐らくはあったはずなのだ。本当は事前に配られていたが、そんなものをちゃんと持ってくるような俺たちではなかった。

それなのに俺たちは、

「ジグザクに歩くのなんてなまらかったるいから、ただまっすぐに山を降ればいいっしょ?」という、北海道弁を交えたシンプルなルールを採用してしまい、コースから外れたどころか、北海道の原生林を彷徨うことになったのだった…。

山道というのは確かに蛇行しているが、ただ単純に一定距離、一定方向へ向かってジグザグしているわけではない。それは時に長く伸び、時に東西南北と方向を変える。ちゃんとそのような「不確定要素」を考慮して考えるべきだったが、誰一人、その可能性を思わなかったというバカっぷりだ。

俺たちは10人くらいいて、山道を30分ほど歩いた頃だろうか、

「なんか、…おかしくね?」とようやく気づいた。

分かれ道があった。そこは獣道よりは少し広めになっていた。そこでようやく「ひょっとして、こっちの方角じゃなかったのか?」と、分かれ道で直進せず、別の道に入る。そっちの道に進んだのも、「みんなあっちの方へ歩いてたから、こっちに行けばいいんじゃね?」という、極めてアバウトな理由だ。

しかし、歩けど歩けど、どんどん道は狭くなり、道無き道を進むことになった。

「どうする?」俺たちはようやく真剣に現状を考え始めた。うんこ座りしてタバコを吸いながら、休憩がてらこれからの行動を話し合う。しかし、その時はまだ、誰一人として真剣ではなかった。

しかし、オレは見つけてしまったのだ。木の横に、どでかい茶色い物体を…。

「おい…。こ、これ…」

オレが皆に知らせると、全員の顔から血の気が引いた。紫色のタバコの煙が、静かな森の中に立ち込めていた。

それは巨大な“うんこ”だった。見事に、どの方向から眺めても、正真正銘の“ウンコ”だった。

「で…でっか…!」

人間の肛門から出せる量や大きさではない。こんな巨大なうんこを排泄できる内臓と体格を持つ生き物は、北の王者“ヒグマ”しかいないのは明白だった。

いくら俺たちがアホでバカでスケべなヤンキー高校生でも、ヒグマは北海道にしか生息しない陸の最強生物であるということくらい知っている。

そして人間とヒグマの強さを、かの名作“北斗の拳”で例えるなら『世紀末覇者拳王』と「風のヒューイ」…、いや、「ケンシロウ」と「アイン」くらい、力の差は歴然だ。

これを読むあなたもご存知の通り、北海道の山林にはヒグマがいる。だから、山では「熊に注意」は常識だ。車が普通に通るような場所には日中はそうそう出てこないが、この山中は完全に彼らのテリトリーだ。

「狐、かもよ?」と、うんこを見ながら一人が言った。いや、そいつもわかっていたのだ。ただ、あえてそう言って、不安要素を減らしたかったのだろう。

だが、狐の顔面よりも大きいうんこが、狐のケツの穴から出るわけなく、何をどう考えても正真正銘のヒグマのうんこだ。

「おいおいおい!やべえって!」「どうするどうする?」と、俺たちはようやく真剣になる。どうするどうすると?普段頭を使わないので、それだけで一気に大量のMPを消耗し、みな一斉にイラつき始める。ヤンキーはすぐにイラつく。完全にカルシウム不足だ。

「とにかく、ここにいても始まらないから前に進もう!」

ということになって、俺たちはヒグマ避けのために、無駄に大声を出したり、歌を歌ったりしながら歩く。

しかし、それがさらに俺たちの体力を奪う。尾崎豊の歌なら『覚えたてのタバコをふかし〜♪』とあるが、俺たちは覚えたてどころか、中学生から喫煙を繰り返し、すっかり肺機能はベテラン喫煙者のそれで、瞬発的運動ならまだしも、持久力運動はとことん苦手というタイプだった。

そこからさらに山道を1時間は歩いただろうか?ぬかるみや、笹藪など、かなり険しい道を歩きながら、明治初期の開拓民の気持ちが少しだけ理解できたのは良かった。

少しひらけた場所があったので、俺たちは再びそこで休憩した。

オレは一人、みなから少し離れ、息を切らしながら森に入り立ちションをした。くわえ煙草で排尿する。「立ちションをする時は必ず『木』とか『電柱』という目標にかけたくなるのはなぜだろう?」なんて思いながら、その木を見てゾッとした。おしっこが一瞬止まりそうになった。確実に、オレのイチモツは縮み上がったのは間違いないだろう。

頑丈そうな太い木だった。その幹に、4本の傷があった。鋭くえぐられたそれは、まだ傷がついて間もない色艶だった。

「おい!来てみろよ!」と、オレはみんなを呼び、そのえぐられた木を見せた。さすがに全員、背筋が氷ついた。その生々しい傷跡は、うんこの比でない。なぜなら、うんこはそれなりに時間が経っていたものだったからだ。

ちなみに、俺たちのメンバーの中には、それなりの「やり手」の連中もいた。しかし、それはあくまでも人間同士のバトルの上のことだ。この巨大な爪痕を残す最強生物と戦いになっては、俺たちが束になって、

「オラオラオラオラオラオラオラ!」

と奇襲猛攻を加えたところで、ヒグマは“ザ・ワールド”を使いこなす無敵のディオのように、

「貧弱、貧弱〜!」

と咆哮し、その後にその鋭い爪で、

「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄〜!!」

と、俺たちを蹴散らし、あたりには肉塊と血の海しか残らないだろう…。そう、どんなスタンドも、ディオのスタンド『ザ・ワールド』の前では勝ち目はないように、我々高校生男子では、ヒグマ相手には無力なのだ…。そして言うまでもなく、我々の中に誰一人として「スタンド使い」はいなかった。

そんな絶望感をたっぷりと味わった後、冷静になって時計を見る。時間は午後3時を過ぎていた。もし、これで外が暗くでもなったら…。季節は秋だ。日が暮れるのも早い。

当時は携帯電話はほとんど普及していない。数人PHSを持っていたが楽勝で圏外。PHSは家の中ですら圏外になる代物だ。こんな山中で繋がるわけがない。

ほぼ全員がポケベルを持っていたが、ポケベルの「圏外」というのは、地下二階の駐車場とか行かないとまず滅多にお目にかかれないが、今がその時だった。誰かがポケベルに連絡して、返事がないことで不審に思ってくれれば…、という最後の望みも絶たれた。

普段はあまりまとまりのない俺たちだが、この生命的危機に一致団結した。やるべきことはただ一つ。「必ず生き残る!」ことだ。

ただし、全員で同じ道を進むと、下手すりゃ熊のグループに遭遇したら俺たちは全滅だ。だから、部隊を二手に分けることにした。

一つは、このままこの道を直進するグループ。もう一つは、今来た道を戻り、正規ルートに戻るグループ。2時間以上歩いているから、戻ると言ってもかなりかかるだろう。そして途中で分岐があったから、確実に戻れるとも限らない。どちらの道も、危険だった。

ちなみに余談だが、熊という動物は本来群れない動物であり、繁殖期以外は単独行動を取る、と知ったのはだいぶ後になってからだ。つまり、俺たちが恐れていた『熊の集団』なんてものは存在しないのだが、当時の俺たちは、小学生の頃にテレビアニメ化もされた「銀牙−流れ星『銀』」という、北海道の大自然を舞台に、犬たちの軍団(犬同士だと会話をするという、かなり無理な設定だった…)と、ヒグマ軍団との壮絶な戦いを描いた漫画を観てたせいか、ヒグマという獰猛な動物は、一番強いボスを中心に団体行動を取るものだと本気で信じていた…。そう、しょせん田舎のヤンキー少年。アホだったのだ。どうしようもないくらいに…。

グッパーじゃんけんで、チームを分け、オレは『引き返すチーム”に入った。ここで別れる5人とは「今生の別れ」になるかもしれないと、本気で思った。

俺たちはまるで『驚邏第四凶殺』に向かう男塾の勇士のように、熱い絆感じながら、「必ず生きて帰ってまた会おう!」と硬く握手をし、そう言い残した。
その時の俺たちはきっと、全員『男』の顔になっていた。その成長っぷりは、童貞喪失後に「あれ?こんなもん?」とあっけに取られた時の比ではなかった。

北海道の原生林の中、それぞれの道へ歩き出した。誰も、後ろを振り返らなかった。振り返ってしまったら、きっと「行くな!」と、声をかけてしまうから…。

オレは5人の仲間と共に、来た道を引き返した。分岐点はあったが、5人もいれば誰かしらが「あ、こっちから来たぜ?」と覚えているもので、早歩きで戻ったら、1時間くらいで戻れてしまった。ちなみに、熊避けのために、歌を歌ったり、奇声を発しながら歩いたのは言うまでもない。

そしてついに!明らかに最近に人の手が入ったと思われるひらけた道が見えた時の安堵感と言ったら…!、しかし、そこで安心することはできなかった。ラスボスを倒したと思ったら、さらに裏ボス的な奴が出てきたような状態だ。こちとらMPが無くなっているような状況での裏ボス!「おら、ワクワクすっぞ!」とは、到底言えない状況だ。

「いたぞ!」

と、突然森の中に怒声が響き渡った。そして、そこに現れたのはなんと警察官だった。

当時の俺たちは、とにかく警察と見れば身を潜めた。反しゃ(反社会勢力)か?と言われても困るが、とにかく警察を見ると体が自然に反応してしまう。実際、オレも一度バイクの無免許運転でパクられたことがあるが、あの時はひどかった。その記憶がトラウマになっていた。

免許なしで、ヘルメットも被らないでバイクを乗り回していた俺たちの方が300パーセントくらい悪いのは事実だが、乱暴に襟首を掴む背の高い、腹の突き出た私服警官のおっさん相手に、
「おい!気安く触ってんじゃねえよ!!」と、『カメレオン』とか『湘南爆走族』『ろくでなしブルース』などのヤンキー漫画の影響をモロに受け過ぎていたオレは、つい調子に乗って、警察相手にイキってしまったのだ。すると、

「このクソガキが!誰に口聞いてんだこら!!」

と、そのでかいおっさんに威嚇され、凄まれた。その時点で、ドラクエのモンスター「イエティ」などが得意とする『おたけび』という技を食らって『身がすくんで動けない』という状態になっていたにも関わらず、さらにその私服警官のおっさんから、柔道技でぶん投げられて地面に叩きつけられた。

体育の授業で柔道があったので「受け身」を取って大事は免れたが、もしもあの時、受け身を取り損ねていたら、オレの肢体はアスファルトに残る黒い染みになっていただろう…。しかし、あの退屈な柔道の授業が、こんなところで役立つとは思わなかった。

そんな俺たちは警官の姿を見るなりとっさに逃げようかと思ったが、考えるまでもなく、どう猛な『赤カブト』率いるヒグマ軍団よりは(銀牙・流れ星銀を参照に)、確実に警察官の方がはるかに話は通じることを理解し、大人しくしていた。すると、

「遭難者発見しました!」と、トランシーバーを使って警察官は誰かに連絡している。

(え?…そ、遭難??)

俺たちはその単語を聞いて、熊につかまらなかったが、キツネにつままれたような気分になった。

「おい、遭難って言ったぞ…。俺たち、遭難者?」

仲間が不安げに言った。

(はい!そーなんです!)と、オレはなぜかそこでとっさにそんなつまらないダジャレを言いたくなったが、

「おい!君たち怪我はないか?こっちへ来なさい!」

と、警察官に言われたので、オレはその言葉を飲み込んだ。そして、そこに関しては『言わなくて良かった』と心底思う。
もしあのタイミングで「そーなんです!」なんて言おうものなら、確実にスベるどころか、そのスベり具合によっては、その後の下克上な高校生活の勢力図に影響を及ぼしたに違いないからだ。
きっと、あまりの疲労により、オレの思考能力が低下していたのだ。

俺たちは警官に呼ばれ、おずおずと付いていった。するとパトカーが赤灯を回して二台も止まっているのが目に入り、さらに驚いた。

アスファルトの道路という“人工物”を見て安心しつつも、パトカーというこの世でもっとも恐ろしいマシンを見せつけられた時は、『人造人間襲来』に備えて修行したにも関わらず、兄弟弟子で親友の“天津飯”から“戦力外通知”を出されてしまった『チャオズ』よりも無力だった。そう、俺たちは『どどん波』すら使えない、無力な高校生だったのだ。

しかし、道路に出て、大きな看板がすぐに目に入った。その看板には「危険!熊出没地帯」と書かれていた。どうして、この看板に気づかず、山中に足を踏み入れたのだろう…。自分たちの浅はかさを呪った…。

すぐに普通の乗用車が一台やって来た。地味は茶色のセダンで、その車は学校の体育教師の車だった。

「こら!お前らなにやってんだ!」と怒鳴られたが、その教師にはしょっちゅう怒鳴られていたので別に怖くはなかった。

そう、警官に比べれば、教師の迫力などたかが知れたもの。そもそもオレは当時「ロン毛」という単語がまたない頃から、長髪、いわゆるロン毛だったせいで、その教師にはいつも目をつけられていた。

ある時なんて「大島ぁぁ!!女みてえなアタマしやがって!ああん!切ってこいや!その色はなんだ〜!誰が染めていいって許可したんだコラ!黒くしてこいや!」と髪の毛を掴まれて体育教官室にぶち込まれ、正座を強要された事もある。

2020年の令和の時代でそんなことを言ったりやったりするものなら、パワハラとセクハラ(女みてえば頭、の発言はフェミニスト団体からクレームがくるだろう)のダブルパンチで、それを週刊文集リークすれば、炎上して一発で懲戒免職に追い込めそうだが、当時はツイートもないし、田舎の工業高校では、そんな暴力的な教育がまかり通っていた時代だったのだ。そして、こちらもそれに屈しない反骨心を持ち合わせていたのだ。

しかし、その教師は本気で俺たちを心配していたらしく「おい、お前らだけじゃないだろ?他の奴はどうした?」と言われて、途中で二手に別れた事を伝えた。

「そうか、…とりあえずお前らは送ってく」

と、パトカーと、その教師の乗用車に乗せられ、山の麓まで行くことになった。正直ラッキーと思ったが、オレはパトカーに乗せられたので、複雑な気持ちだった。パトカーに乗るのは、例のバイク無免事件以来二度目だった。とにかく居心地が悪い。

山道を抜けて、ようやく人の住む住宅街へ入ったが、なぜかそのあたりで車を停めて、警察官と教師がなにやら話し始め、しばらくすると教師はとんでもないことを言い出した。

「おし!お前らはこれから、学校まで歩け。ちゃんとゴールしてこい!」と。

俺たちは、もう限界だった。車から降りる事もできないほど、心身は疲労していた。

「体力の、限界…!。気力も…なくなり…!!」

と、オレは千代の富士の引退会見ばりに涙ながらに訴えたのだが、それはまったくもって聞き入れられず、無力な俺たちは車を降ろされた。青春とは、己の無力さを知ることなのかもしれな。尾崎豊の歌の歌詞で「自由になれた気がした〜♩」というフレーズが頭の中に響いた。

しかし、学校まではまだまだ距離があり、しかもずっと坂道だ。俺たちの高校も、『天狗山』という山の中腹にあったのだ。つまりこの遠足は、山を降りて、また、学校までの山を上るというルートだ。

どうしてそんな場所に学校なんぞ作りやがったのか!と、いつも思っていたが、その時はさらに強く思った。今すぐ学校に隕石でも落ちて滅びてしまえばいいのに!

そこからまた1時間ほど歩いて、ようやく学校にゴールした時には、午後5時半を過ぎていて、外はかなり暗くなっていた。そんな中、学校に着くなり担任の教師からまた怒鳴りつけられて、こちとら「ケツの毛も抜かれた」ってくらい、散々だった。ちなみに、人生で一度も、他人からケツの毛を抜かれた事はないが、そういう表現があるって事は、実際にケツ毛を引っこ抜くという攻撃方法が存在するのだろうか?

説教を受け、教室に置いてあった荷物を持って帰る際に、

「あ、マコっさん。そういえば、〇〇たちはどうなったの?俺たち、途中で別れたんだけど?」

と担任に尋ねた。

マコっさん、というのは担任の教師のあだ名だ。「誠さん」という名前が訛って、そういう呼び名になっていた。かろうじて「さん付」だったが、今思うと、常にタメ語で、敬語を使ったことがない。ナメた高校生だ。

「ん?おお、あいつらならお前らよりも先に来て、さっき帰ったぞ?」

「・・・!!」

マコっさんは驚くべきことを言った。なんと、あの山道を突き進んだ連中の方が先に学校に来てて、もう帰ったって?どういうこと?

「いいからお前らはもう帰れ!ただ覚悟しとけよ!こんな騒ぎ起こしやがって!」

と脅しをかけられて、帰らされた。説明はなかった。

俺たちはクタクタになって家に帰る。帰ってから、すぐに山中で別れた友達に電話をかけた。

「おお!無事だったのか!」と、お互いの無事を電話越しで喜びつつ、「どうだった?」と聞いた。

どうやらもう一方のグループは、なんとあの後すぐに車道に出たそうだ。しかし、見た事もないようなど田舎の風景だったという。畑だらけで、民家はポツポツという具合。

しばらくして“第一村人”を発見。そしてその村人のおじいちゃんに場所を聞くと、俺たちの住む市の隣の山奥にある「〇〇村」という場所だった。俺たちはどうやら、反対方向とまでは言わなくとも、かなり見当違いの方向へ歩いて行ったようだ。

村のバス停で20分ほど待つと、1日に数本しか通らないバスがちょうど来るので、なんとそいつらはバスで市内へ戻り、さらに駅前からバスに乗ってゴールの学校へ戻ったという。

学校に着いてから、自分たちのことが遭難事件扱いになっていて驚いたという。しかし、俺たちのグループも発見されたと聞かされて、そのまま帰らされたそうだ。

電話を切った後、なんだか、あっちのグループの方が結果的に楽だっただろうなと判断し、なんだか損をした気分になった。こちとらあの山道を戻り、警察にパクられ(?)、また歩かされたのだ。それなのに、バスって…。

まあいい。とにかく、最悪なくらい疲れた。脚が棒、を通り越して、感覚がなかった。

翌日は案の定全身筋肉痛で、学校には遅刻して行った。ちなみにオレの年間遅刻回数と早退回数は、歴代の記録を更新したほどだったので、遅刻は普通だった。しかし今思うと、どうしてあんなガチンコ・イベントの翌日を「休日」にしてくれなかったのかと、恨めしく思う。

遭難騒ぎを起こしたメンバーは全員、翌日自宅謹慎となり、1日分とは思えないほどの反省文を提出しないと単位がもらえなかった。まあ、こちとらバイク事件と、タバコで停学になった事もあるので、反省文は書き慣れていたが、また腕を上げてしまった…。

俺たちは、この事件で大きなことを学んだ。それは、

山をなめるな!

ということだ。そして、

自然をなめるな!

つまり、

ヒグマなめんな!

ということだ。そのような教訓を胸に、ヒグマをナメず、しかし、確実に人生はナメて、その後も過ごしたのであった。

そう、つまりは結局「あまり反省していない」というオチなのだが、きっとあなたも、山道でルートから外れるという愚かな真似は、今後しないだろう。オレのしくじりを、無駄にするなよ…!何か学んでくれれば、幸いです…。

終わり


いかがでしたでしょうか?ふざけた話ですが、実話です。

こんなにふざけた話はありませんが、オレの実話は、いろんな体験があります。コロナ騒動で拗ねたり、怖がるくらいなら、読書でもいかが?(笑)

3月3日(火)11時〜16時半

予定通りワークショップを行います!超少人数となりました!

★3月13日(金・夜) 19時〜

こちらも予定通り、LIVEは行います。音の力で、波動あげて、免疫アップ!詳細・お申し込みは→覚醒LIVE「OTODAMA」

まだまだお席あります。もともと、テーブルもある広い作りで、ゆったりと過ごせるおしゃれなお店です。

サポートという「応援」。共感したり、感動したり、気づきを得たりした気持ちを、ぜひ応援へ!このサポートで、ケンスケの新たな活動へと繋げてまいります。よろしくお願いします。