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「いじめ」と「TOKYO2020」について

「いじめ」と、東京オリンピック。久々の時事ネタです。書かずにいられませんでした。ちなみに、俺はオリンピックにはかなり興味ない方なので、やってもやらなくても、個人的にはどうでもいいタイプです。

(今回の記事はほぼ無料記事です。最後に少しだけ、個人的な考察はマガジンで)

あなたたちの中で
罪を犯したことのない者が
この女に、まず石を投げなさい

ヨハネによる福音書第8章3〜11節

人は必ず何らかの間違いや過ちを犯している。その自分を棚に上げて、誰かの罪を糾弾することの浅ましさと卑しさ。世の炎上とはすべてそれだろう。

先に言っておくが、なにやら世間は「芸術家」と「道徳家」の両立を求める風潮があるが、残念ながら、芸術家と道徳家は、モーツァルトを筆頭に、両立どころか相反する例も多々ある。

もちろん、双方兼ね備えた人もいる。しかし芸術家は若くして名声を得て歴史に残る作品や、人々の心に残る作品を作ることはあっても、「人格」というのは、往々にして年齢を重ねて成るものである。

俺の尊敬する人物として「西郷隆盛」を真先に上げるが、西郷さんも若かりし頃は血気盛んで危なっかしいやつと、橋下左内という儒学者から評価されている。西郷さんもその後島流しとか、結婚とか、色々あって、身を修め、人物として大成したのだ。

さて、今回の取りあげたいのは、最近話題になっている「小山田圭吾」さんのことだ。オリンピックのテーマ曲に関して、過去のいじめ問題で降板したとのこと。

俺は伝説のバンド『フリッパーズ・ギター』の頃から好きだし、今でもコーネリアスの音楽はちょいちょい聴く。尊敬するミュージシャンであり、日本を代表するアーティストだと思う。

肯定も否定もしないし、いじめの倫理観や道徳観を語りたいわけではない。ただ、俺がそもそも「東京オリンピック」とか、「報道の裏側」、その辺について諸々思うことと共に、今感じていることを書いてみたい。

まず、先に俺も告白をしておく。

俺はかつて「いじめ」をしました。

今でこそ、作家という肩書もあり、スピリチュアルだのなんだの、精神世界のことを語っているが、俺は小学6年生の頃、一人の少年を自殺を決意させるくらい追い込んでしまったことがある。反省している。

「大島を殺して僕も死にます」と遺書を書いて、その少年は木刀を持って襲いかかってきたが、俺は巧みに仲間を使って撃退し、彼はほどなく教師に止められた。多少、パフォーマンスががっていたとは思うけど、俺を殺したいほど憎んだのは事実だろう。

いじめの怖いところだが、俺自身は、彼をそんなに酷く追い込んでいるとまったく思っていなかった点だ。彼自身がどんな性格だったかはここでは置いておく。ただ、いばったり嘘をついたりするので嫌われていた。だから俺も「悪いのは向こうだ」と思っていた節はあった。

ちなみに、いじめにあったこともある。小3くらいだろうか。やんちゃボーズたちにからかわれ、いいようにこき使われた。当時の俺は背は高かったけど、痩せっぽっちで、病弱で、気も弱い。しかしある日キレた。すると、いじめっ子3人組の方がビビってたじたじになって、明らかに俺の方が強いとわかった。その反動で今度はいじめっ子に回ったのかもしれない。

その両方を通じて、基本的にはいじめはしてない…、とは言い切れないな…。高校の頃とか、イキがっていたから、特定の個人をいたぶったことはなくても、やはり弱い生徒に暴力的なことはした。

思えば、「悪いこと」なんてたくさんしたと思う。女性にもずいぶんとひどいことを……、いや、これ以上好感度を下げるのはよしておこう…。とにかく、猛省しています。そして、責められても仕方ないと思っています。

さて、冒頭の聖書の話ではないが、俺はもちろん自身のことを棚に上げて、罪人に石を投げられる人間ではない(むしろ投げられてもおかしくない)。人の罪を糾弾することなどできない。

今回の小山田圭吾氏の問題。確かにかなりひどいことをやったのは紛れもない事実なのだろう。かなり悲惨な内容だ。

ちなみに、俺の周りにもそういうひどいことをする連中はいた。今もいるのかもしれない。いくら批判したところで、そういうことをしでかす人間がいる、それも事実。

人間は、常に自分の「下」を作り、自分の優位性や正統性を保ったり、誰かを攻撃することにより、自身の心の穴を埋めようとするタイプがいる。

ところで、小山田圭吾問題で世間は炎上しているようだけど、かつてイラク兵の捕虜に対して、そのレベルのイジメ(虐待)を繰り広げていたアメリカ兵たちはどうなったのだろう?小山田圭吾のように、個人的に攻撃され、謝罪文を出したのだろうか?

小山田圭吾のやったことは、「いじめ」である。それは容認することはできないし、社会は弱者をそのような暴力を守り、また、そのような暴力に訴える加害者の心の闇も、明らかにすべきだと思う。

しかし、この世界には上記のアメリカ兵にしろ、明るみになっていない「いじめ」が、大なり小なりあるのだ。

それにしても人は他人の不倫や道徳観念に自身の正義を振りかざすのが好きだ。他者を糾弾することで自身の罪を忘れ、自身を正当化できるのだ。

ドストエフスキーの大作「カラマーゾフ兄弟」の中で、ゾシマ長老のこんな言葉がある。

「人々は、心正しき者の堕落と恥辱を好む」

まさしく、スキャンダルのあり様を表している。人間は浅ましいことに、自分の「下」を作ることで安心してします。それが、「上」と思っていた人間が「下」になった時は、快楽を覚えるのだ…。

さて、いじめ問題はこの辺にして、少し角度を変えよう。

どうしてこの時期なのか?どうして小山田圭吾なのか?

小山田圭吾でなくても、人間なんて叩けばホコリが出るものだ。叩いてほこりの出ない人の方が少ないだろう。これからもしも脳内の思考すらデータ管理されたら、あなたが抱いた殺意や、性的願望も全部明るみになるかもしれない。DNAなんかで犯罪者予備軍もわかるとか言われている。

これからは犯罪防止のために、そのような危険な遺伝子や思考を持った人間に対しての「予想逮捕」が起こるかもしれない、なんて言われているくらいだ。(海外では本当にあるという噂だ)

それに、やろうと思えば情報操作と印象操作で、いくらでもデッチあげることだってできる。冤罪やありもしない報道で人生を狂わされた人はたくさんいる。

小山田圭吾問題は、オリンピック問題とイコールだ。

TOKYO2020。2021年なのに、ずっとこの文句を変えないことに違和感だし、無観客でやる必要はあるのか?また、トーナメントの途中で万一PCR検査が陽性反応がでたらどうなるのか?

このニュースを知っているか?

単独首位でぶっちぎりの絶好調なのに、陽性?風邪も引いてないのに?陽性は感染者でないのにね…。それなのに棄権させられたジョン・ラーム選手。試合のコースに出てから知らされて、崩れ落ちたそうな…。オリンピックでもこうなるのでは?(ちなみにジョンラームはこの次の大会で優勝!すごいメンタルだ!)

これがもしもチーム線なら、チームメイトは全員濃厚接触者になるわけだが?その場合は全員出場停止?決勝戦とかでそんなことなったら、ファンも選手も納得できるのか?

ワク〇ン打ってれば大丈夫?

それもどうかね…。というか、むしろどうかね。

で、オリンピックの話に戻そう。

オリンピックの強化試合は観客が入って、オリンピックは無観客。プロ野球やプロサッカーや相撲は客が入って、どうしてオリンピックは無観客なのだ?

オリンピックに関しては、政府や内閣よりも、東京都の方が権限が強いとされている。つまり、まるでオリンピックのぐだぐだ感と、はっきりしない対応に総理大臣が責められているが、実はオリンピックに関する決定を下しているのは小池都知事だという話だ。

“女帝”小池ゆり子は「スポットライトを浴びるのもうまいが、スポットライトを別に当てて自分は暗幕にいるのも得意」だと、ある学者が言っていた。

前回の「覚醒radio」でも話したが、

オリンピックは観光客が望めない以上、国としては大赤字だ。しかし、それでもそんなにやりたいのか?本当にやりたいのか?国の名誉のためだけに、経済を低迷させたいのか?

小山田圭吾のいじめ問題の話をしているが、今政府がやってることは、明らかに飲食店や中小企業への「いじめ」である。飲食店で人が集まるのがダメなら、公立学校から満員電車まで、すべて停止にしないとつじつまがあわないのでは?

「人命」という大義名分を使ったいじめだ。こっちのいじめで経営難で自殺している人ってたくさんいるのでは?

大きな視点で考えよう。どうしてそんな大規模ないじめは明るみにでず、40年前のいじめ問題をこぞって取り上げるのか?

とにかく我々はそんなニュースにごまかされずに、自分の目の前のことをやるべきだ。人を糾弾しても、心の穴は埋まらない。誰も癒されない。

ここからの考察はマガジン限定。

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言葉の力で、「言葉で伝えられないものを伝える」ことを、いつも考えています。作家であり、アーティスト、瞑想家、スピリチュアルメッセンジャーのケンスケの紡ぐ言葉で、感性を活性化し、深みと面白みのある生き方へのヒントと気づきが生まれます。1記事ごとの購入より、マガジン購読がお得です。

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