見出し画像

「探求クラブ」、始めます。

答えはどこにある?


何が安全で、何が危険で、これからどうなるのか?
誰の言うことが正しいのか?誰が間違っているのか?
誰が本当のことを言っているのか?何が嘘なのか?
何を信じればいいのか?

僕らは今までずっと、それらの答えを自分の外側に求めて来ました。自分より賢い人、自分より優れている人、自分より強い人…。誰かが教えれくれる…。誰かがやってくれる。

もちろん、人から教えてもらうことは多くあり、学ぶことはたくさんあります。しかし、人生に置いて本当に大事なことって、実は他人や、誰かが作ったシステムとか、そういうところには無いのです。

用意された「答え」があって、カリキュラム通りにやればたどり着く、というのは学校の教育の中だけです。人生とか、生命とか、宇宙とか、それらの答えは人に教えてもらうものではないのです。

では、本当の答えはどこにあるのか?それは、あなたの内側にあるのです…。

こんにちは、大島ケンスケです。(自己紹介

内なる自己と出会い、新しい世界の在り方を共有する「探求クラブ」のサークルメンバーを募集します。内なる探求を通じて、充実した世界を生きてきませんか?

瞑想と探求

探求と言っても、様々なアプローチがあります。体を使ったもの、感情や感覚的なもの、思考を使ったもの。これだけやればいい!というものはなく、人それぞれです。

しかし「瞑想」は一つの柱だと思っています。

僕は毎日毎日瞑想をする習慣を持っています。誰のためでもありません。もはや自分のためでもありません。ただ、瞑想をしています。そして、自分自身の内的な部分を感じることが好きですし、そこには外の世界では決して得られない安心感があります。

その安らぎは、本当の自己は肉体ではない部分にある「存在」そのものからやってきました。その体験は誰かに教えてもらったものでも、頭の中の知識でもなく、内在的な真実でした。

これからますます、内なる時間を持った“自立した人”同士の繋がりこそが、この世界をより良くするものだと確信しています。
「誰かがやってくれる」
「この人についていけばなんとかなる!」という考え方は、依存的で、自分の意思を半分投げ出しているようなものです。

世界で起きていることは、自分の「外側」

コロナ時代になり、リモートワークや、ソーシャル・ディスタンスなど、束縛やしがらみから自由になりつつある一方で、人々の間で分断が生まれようとしています。二極化、という言葉があるように、メディアに流される人、既存のメディアを信じない人。恐れる人、気にしない人。何かと戦う人、調和を探す人…。

いたるところで、こうして目に見える形で分離が起きている一方、過去の常識や既成概念に疑問を持ち、精神性に目醒め、新たな人生を模索する人も増えました。

大きな変化の時代だと、誰もが感じていると思います。

オンラインサロンがここ数年ブームで、多くの人が参加しています。きっと何らかの「繋がり」を求めての結果だと思います。風の時代とも呼ばれ、それはコミュニティの時代です。

人との繋がりは大事です。僕らは肉体を持って、この世界で確かに生きているので、精神論や、ましてスピリチュアルとか、目に見えない部分だけを強調しても本質とズレていると思います。そして、インターネットという通信や新しいコミュニケーションも、とても役立つものです。

しかし、それらは外側にあるドラマです。外の世界をいくら満たしても、それは一時的なものであり、それらは必ず形を変え、その浮き沈みに合わせて、ドラマの主人公のあなたは一喜一憂します。

しかし、内側にある安心感や豊かさは、どこにも行かず、変わることがありません。本当の幸せや、充実した人生を体験するための鍵だと思います。

それは、内側への探求。

内から外へ。

探求は内的で、個人的なものでありつつ、僕らは“一人ではない”というのも事実にも出会います。なぜならこの地球で生きている仲間だから。

そんな我々がどうして同じ時代にこうして生きているのか?出会ったり、関係を持ったのか?それはやはり、お互いに刺激し合い、共有し、磨き、成長するためではないでしょうか?

瞑想なんてまさしくそれで、一人で座り、一人で感じ、一人で降りて(あるいは昇って)行くものですが、一緒に座る人がいると、不思議と一人で行く感覚とは違うのです。

目を閉じれば一人。しかし、その気配や、共有する“なにか”が、確実に我々を一人では行けない場所に導き、一人では体験できない世界を見せてくれます。

つまり、内的な探求から生まれる「気づき」が、結果として「外側」の世界への洞察や、深い関係性となり、我々の人生そのものに弾みをつけていくことになります。

探求は険しい修行?

ちょっと硬いタッチでここまで書きましたが、自己の探求とか、瞑想というものは、別に「厳しい修行」ではありません。

もちろん厳しくしていくことはいくらでも可能ですが、苦行や忍耐は必要なく、むしろリラックスした環境の方が大事だと思います。リラックスして、「真剣」に臨む。“深刻”ではありません。真理や愛は切実で尊いけれど、それはとても「軽やか」なものです。

だからサークル「探求クラブ」は、あくまでも「楽しく」「健康的に」、瞑想やスピリチュアリティ(霊性)を学び合い、お互いが成長し合えるサークルです。

僕自身も、一人の学習者であり、探求者です。あなたと一緒に、共有し、腹を割って話し合い、時に議論を交わしながら、内なる気づきを深め、それをまた外の世界へ還元していきたいです。

さて、サークルでは実際に何をするのかを、次項で説明します。

サークルでの活動内容

・瞑想や祈り、霊性に関する僕の知ってること、やって来たことなど、思うことなどを「探求文庫」として、サークル内の掲示板に投稿します。自由にコメントが書き込めるので、質問や、それに関するシェアもできます。

・週に一回、週末を中心にオンラインの瞑想会を実施します。zoomを使って、直接的な瞑想の指導、誘導します。録画しますので、見逃し配信もできますので、ライフスタイルに合わせて視聴できます。

・瞑想会とは別に、不定期ですがインスタグラムの「鍵アカウント」や、Youtubeの限定公開のライブで、お話や実践的ワークの配信も行います。

・サークルはオンラインサロン的な要素はありますが、オフラインでの関わりを大事にしたいので、関東や関西、人数次第では地方でもオフ会を実施し、直接出会える、血の通った関わりを作ります。

・サークル会員だけのリアルなイベント、リトリート、合宿などを行います。

・ケンスケの様々なイベントやワークショップに、サークル会員は優待価格で参加できます。また、優先的にご案内します。

上記の内容で、月額1500円です。

ちょっとおしゃれなお店のランチとデザート・セットと同じくらいの金額です。もちろん退会は自由です。

一人の探求


僕は幼少期から不思議な体験が多く(著書・人生をひらく不思議な100物語)、母親の難病や、身近な人の死、金銭問題、そして自身の病気などを通して、
「幸せとはなんだろう?」
「どうして人は生きるのだろう?」

「どうやったら人は幸せになるのだろう?」
と、ずっとずっと考え続けていました。

アーティストという自分の夢を追いながらも、常に「生死」や「真実」「魂」などのことを考え、思想や心理的なもの、そしてスピリチュアルな世界を探求するようになりました。

そこには不思議な世界がありましたが、日常こそが奇跡の連続であるという気づきがあり、決して霊性はあやふやなものでも、浮ついたものでもないと思っています。そして僕自身もそんな内的探求から始まり、今はかつて自分が思い描いていた以上の、幸福な人生を送っていると感じています。

しかし、一人の探求は卒業しようと思いました。

宇宙とか神とか、そういう「縦」の繋がりは、この現実に住む「横」のつながりがあってこそだからです。

サークル = 環・輪・和


最後に。
流行りの“オンラインサロン”でもいいのですが、noteの「サークル」というネーミングをとても気に入ってます。

なぜなら「サークル=環(わ)」だからです。

環は、輪であり『』。我々日本人の心の原風景に、和の精神はあると思います。

探求クラブで「環(わ)」を作り、一人ではなく、二人、三人と、輪を広げ、巡らせて行きたいと思っています。

サークルの参加はこちらから。「探求者」というコースの一択のみです。月額1500円です。

*noteのアカウントと、引き落としのクレジットカードが必要です。クレジット・カードがない方はご相談ください。

*引き落としは毎月1日です。8月はもう末ですので、残り9日間、濃厚な投稿を重ねます。9月から通常モードです。

*非公開参加も選べます。まだ直接関わることはないけど、文章を読んだり、アーカイブの視聴だけをしたい方もどうぞ。

探求クラブ。

よろしくにゃ。

追記

有料マガジン

は、これまで通り継続していきます。文章で伝える、それは作家として、全身全霊でやっていきますので、こちらもよろしくお願いします。サークルと内容が重複することはほとんどありません。

サポートという「応援」。共感したり、感動したり、気づきを得たりした気持ちを、ぜひ応援へ!このサポートで、ケンスケの新たな活動へと繋げてまいります。よろしくお願いします。