大島ケンスケ 自己紹介
身体感覚研究家、神秘家、瞑想家、アーティスト・作家・シンガーソング・ライター
1978年、北海道生まれ、男性。
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プロフィール
22歳の頃に原因不明の呼吸不全と、うつ病で苦しむ。
極度のチアノーゼで瀕死の状態に、“人智を超越した存在”に出会う。
その後、東洋医学に出会い救われるが、そこから神秘や真理の探求を始めつつ、健康回復の目的も兼ねて坐禅を始め、ある時“恍惚体験”が起こり、ますます精神世界への探求は進む。
ヒーリングや、エネルギー療法を学ぶが、故・安岡正篤氏の講話録に出会ったことをきっかけに、東洋思想を学ぶ。
29歳。結婚。息子が生まれる。その頃から、ミュージシャンより「小説家」を目指すようになる。
30歳前後から、喘息、アトピーなどのアレルギー疾患に悩まされるが、玄米菜食を自然食で完治させる。
35歳。八ヶ岳山麓に移住し、自然農をして自給自足的生活を営もうとする。
合気道を習い始める。
八ヶ岳などの3000m級の山々への登山と、本格的な瞑想などを通し、自らの神性や、宇宙とつながる“覚醒体験”が起きる。
自身の体験から、瞑想指導や、目に見えないエネルギーを感受するためのワークショップなどを全国で開催する。
2019年初出版。しかし、既存のスピリチュアル業界に疑問を抱き、ますます個人的な探求へと入っていく。
「2020年、再び東京へ拠点を移す。全国を旅しながら、祈りと瞑想と内的世界の探求を続ける。
また、真理の出会いは内面の世界であり、肉体のエネルギーを通して「奥」へ入れることを悟り、
心と体を繋ぐボディーワークと、日本人本来の動きを取り戻す「和の歩法」に出会い、伝える活動をしている。」
より詳細なプロフィール、経歴など。
生い立ちから
生まれは北海道。とある札幌の衛星都市にて。
その一室に、除霊やお祓いなどを行なっていた霊媒師が住んでいて、祖母はそこに弟子入りしてて、一緒に霊媒の仕事をしていた。
祖母が死に、入れ替わるように俺が生まれると、その霊媒師の先生も去っていった。
近所に神社があり、自然と、その神社に行くのは好きだった。その神社に幼稚園があるにもかかわわらず、歩いて30分はかかるキリスト教の幼稚園へ。理由は「オシャレだったから」と、後に母は語る。だか自然に「神様」という存在に対してオープンになった。
14歳の頃、母が原因不明の神経病で入院。その後、入退院を繰り返す。それをきっかけに母の借金が発覚し、一気に家計は火の車で、現代には珍しい「貧困」を体験。突然訪れた困難に、世を呪う。
毎日のように仏壇や神社に祈るも、病気も借金問題も、悪化する。
結果として「この世に神などいない!」と結論づけ、信じてきた神の存在を否定する。
家計をどん底にした、憎くて仕方ないその母親の介護のため、気が狂いそうになりながら、下の世話からなにからやる羽目になる。
家庭環境は最悪だったが、その頃、ギターを始めていて、楽器を弾き、歌いまくる事で現実逃避。
学校では、家とは全く別の顔を持ち、明るく振る舞い、ちょい悪の生徒会長になったする。生来の目立ちたがり屋だった。
おかけでおっかないヤンキーの先輩との諍いは、高校になっても続くことになる。
中2から、歌手、プロ・ミュージシャンを志す。「俺はスターになって金持ちになる!」と、公言し続けていた。
想いのたけを昇華すべく、自作の歌を作り出す。
地元の工業高校へ進学。ほんとはさっさと働いて社会に出たかった。
高校生の頃も、家庭事情は大変だが、外ではバンド活動し、女の子と遊びまくり、不良仲間と過ごす。(自身はケンカとかはしないで、知恵とハッタリとユーモアで乗り切る)
高校三年生で、北海道規模のバンドの大会でグランプリを取り、ラジオ出演。
20歳でプロミュージシャンを目指し上京。
東京生活開始
上京前から、デモテープ・オーディションで興味を持たれ、レコード会社のプレゼンテーションのライブに出たり、バイトしながらも、劇団のミュージカルの作曲など、すぐにチャンスやコネクション、音楽の仕事を得て、トントン拍子かに見える。
その頃、コンプレックスだった顔を少しでも変えようと、プチ整形で目を二重にしてみる。(後にほとんど戻ってしまう)それほど自分のことが嫌いだった。
21歳。北海道時代からバントをやって、同じ頃に上京し、切磋琢磨していた親友が自殺する。家も近所で、死ぬ1週間前に電話で話し込み、落ち込んで行き詰まってた友人に対して、自分の「自慢話」ばかりしてしまった事を気に止む。
何かに取り憑かれたように、バンド活動と、バイトしまくりで、自分を追い込む。
しかし、22歳のある日、頭の中で「ばちんっ」と音がして、そこから世界が暗くなり、息苦しくなる。病院では原因不明の「呼吸不全」とだけ。
激しくうつになる。パニック障害、不眠症などで苦しむ。
心療内科に通い、向精神薬や睡眠薬を摂取。改善はなく、病状は悪化。薬はどんどん増える。
音楽活動は中止。バイトも休み休みしかできず、あれだけ憎んだ借金を、自分がする羽目になる。もちろん、実家は金銭的に頼れる状況ではない。
毎日チアノーゼで、酸欠の続く中、不思議な感覚をいくつも得て、一種の覚醒体験や、神秘体験を経験し、人智を超えた存在を知る。。
東洋医学の整体師に出会い、自分の体を知り、薬物ではない治療法を知る。
東洋医学から人生に目醒める
そこから、自分の体にアプローチし、姿勢、立つ、座る、歩く。すべてを意識して行動する。
西洋医学を否定し、あらゆる民間療法や健康法を試みる。
その中で「座禅」や「ヒーリング」を知る。ふただび、「神」や「大いなる存在」と出会う。
座禅を重ねる上で「恍惚体験」などの神秘的な感覚に出会い、のめり込む。
しかし、ヒーリングやエネルギー療法で、目に見えないエネルギーのことを理解し始めるも、既存の“スピリチュアル”の在り方に疑いを持ち、ヒーリングなどは一切やめて、現実的でストイックな「東洋哲学」を学び、実践する。座禅は「精神修行」「健康法」として継続。
呼吸が改善されると、「生きているだけで幸せ」、という状態になる。その頃はまだ体調は万全ではなかったが、音楽活動も再開。カラオケの音源作り、コーラス吹き込み、編曲、パーティー・バンドのボーカルなどの仕事、バイトしながら、オーディションを受けたりして頑張るも、なかなか芽は出ず。
その頃、借金は200万を超えていたが、
「息が吸えるだけで幸せ」
「金ごときで俺を殺せない」
「そんなもんなんとかなる」と本気で思ってた。
しかし、ちょっと人間関係に疲れたのと、利息を払うのにいい加減不効率さにうんざりしてたので、自動車工場へ就職し、寮生活へ入る。金を使わないように、ストイックに生活しつつ、その生活の中で本格的に小説を書きはじめ、すっかりはまってしまう。
工場を半年勤めて、その後はデータ入力の会社へ入り、PCのブラインドタッチを覚える。
その当時付き合ってた女性が妊娠をきっかけに結婚。商社へ就職(契約社員)。
嫁に借金を立て替えてもらうが、おかげで、お金の信用は0。
結婚生活
当時は金にうるさかった妻と、金、貯金、節約・・・。職場と家の往復の日々。
29歳で息子が生まれる。しかし、仕事とお金と時間に追われ、育児ストレスを抱えた妻との生活のストレスからか、色んな病気(アトピー・喘息・鼻炎)になり、
それを治すために、ますます健康オタクになる。
冷えを改善し、玄米菜食など、食生活を改善したら、どんどん病気が治り、生来の虚弱体質が変わる。
陰謀論など、医学、健康全般の問題に疑問を持ち、様々な知識を持っていたので、ブログを始める。
そこで「食」を追求した結果、2013年。八ヶ岳山麓へ移住し、自分で米野菜を作る。
八ヶ岳へ移住
家族で田舎暮らしを模索する中、兄が急死する。その数日前に、神秘体験をし、兄とのあの世の約束を思い出す。 (こちらの書籍にも書かれています)
2014年。息子が不登校になる。
無理やり学校に行かせてしまい、ひどい喘息になる。
長年溜め込んでいた夫婦間の怒りが勃発。
毎日のように夫婦喧嘩。
しかし、お互い溜め込んだものを、離婚の危機なほど爆発させたおかげか、ようやく冷静になる。そして息子のことなど、お互いの「対話」を始める。
その頃から、様々な児童心理学、そしてさまざまな心理学や自己啓発系を学び、再び「スピリチュアル」を知る。
また、この頃から合気道を習い始め、肉体の声を耳を傾ける。呼吸不全の間に、いつも身体の観察をしていたおかげで、体のつながりを感じたり、使うことは得意だった。
座禅から、本格的な瞑想を始める。そこで、宇宙と繋がり、一瞥体験、覚醒体験が起こる。
瞑想家
毎日瞑想と、暇があれば登山に勤しむ。収入のある仕事はほとんどなく、とにかく貯金を崩しながら、畑作業をやり、ブログを書いたり小説を書いたり、歌を歌って、やりたいことだけをとことんやってみる。
合気道を習っていて、仲間から瞑想を教えてほしいと言われる。教えてみると案外楽しいと気づく。
それをきっかけに地元で瞑想会、お話会を始める。
完全に諦めていた音楽熱もまた再発し、アコースティックライブなどを行う。
しかし、それらはまったくお金にならず、貯金が尽きそうになる頃に、2016年、ビジネスコンサルのインフルエンサーとの出会いで、お金やビジネスを学び、コラボで「八ヶ岳瞑想リトリート」を発案。
それをきっかけに知名度が上がり、パワー・ブロガーや、作家などの、様々なインフルエンサーたちとのコラボ企画を行い、リトリート活動、セミナー、瞑想会、神社ツアーなどを全国に行う。
スピリチュアル意識の普及だけでなく、歌や音楽を通して、エンターテイメントとスピリチュアルの融合する活動を始める。
2019年11月末。
「人生をひらく不思議な100物語」で作家としてデビュー。
発売1週間後に増刷が決定。(その後も増刷。累計14000部)
そんなノリノリの時期に、アクセス上昇中の「アメーバブログ」を離れると宣言。オフィシャルブロガーの紹介もされたが、あえてその話もお断りして、noteに活動の中心を移す。とにかく、何かとアマノジャクだが、自身の深いスピリチュアリティの探求のため、独自の道を模索中。
2020年4月、コ〇ナ騒動が始まったというのに、東京へ一家で引っ越す。都内に活動の拠点を移しました。
再び東京へ
スピリチュアルのワークショップやセミナー講師よりも、音楽活動や、アーティストとしての活動に力を入れていく決意をする。
その理由は「精神世界はそもそも言語で伝えられない」と悟り、音、歌、物語などで伝えていこうと思ったから。
オリジナルソング「龍の唄」のアニメーションMVを制作したいとインスピレーションを得て、クラウドファンディングで資金を集める。
100万円の支援を募ったが、結果として300万円の支援を得る。
(完成した動画→龍の唄)
2021年 noteメンバーシップ「サークル・探求クラブ」を発足。コロナ時代だからこそ、親密な人と人との交流を関わり合いを大事にしこうと思った。
小説「幸せになりたいの」出版(Kindle)
2023年3月 小説「KYOMU」出版
2023年11月 「なんにもしないが教えてくれる」
真理との出会いは「肉体の奥」にあると悟り、体と心をつなげるワークショップに力を入れ、2024年から「和の歩法」という、本来の日本人の身体動作を伝えるレッスンを開始する。
Youtubeで、無料、瞑想動画レッスン。下記ブログ内にリンクあり。
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