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探求文庫 #134 「自分を満たす」の落とし穴

探求文庫 #134 「自分を満たす」の落とし穴


先日のオンライン瞑想会でもお話ししましたが、我々が「内面」に目を向け始めると、「利己的」で「エゴイズム」な欲求や衝動と出会います。

精神的、心理、スピリチュアリティの探求とは、外部に振り回された意識を、内部に向けて、外部の幻想に気づき、内的な真の自己に出会うプロセスですが、どうしても避けられないのがこの部分でしょう。

これはもちろん人それぞれに強弱や度合いはあるでしょうけど、まったく利己的な部分がない人間はいないでしょう。

利己的な自分とは、一言で言うと「自分さえ良ければいい」という心理です。

スピリチュアルのインフルエンサーでも「ご自愛」や「自分を満たす」「自分をご機嫌にする」などのメソッドを提唱されている方が多くいて、確かに僕もその重要性は感じています。

それは僕の場合は「癒し」として、過去に満たされなかった傷を癒したり、欲求を昇華させることであり、そこから順を追って、内観や気づきを持って浄化し、より深い愛の洞察に入ることで、真の創造的な人生を歩み、魂の成長を得られると思っています。

しかし、この利己的な自分の衝動を「魂の欲求」とか「生まれてきた使命」とか、そういう最もらしい理屈と、妄想じみた理論をこじつけて、自分を満たすことが人生の大義であり、生まれてきた意味だと勘違いしてしまう傾向があります。

怖いところは、そのおかしさに自分自身が気付けないことです。

最近読んだ古い本で(江戸時代の本で、剣術の極意の本)、こんな一節がありました。

「小人はただ己を利するを以て心とする故に、己に利あれば邪なれども其の邪を知らず。己に利あらざられば正なれどもその正を知ることなし」

現代風に言うと、

「小人(できない未熟な人間、という意味)はただ自分の利益だけを心がけているので、自分に利益があれば、邪なことであっても、その邪に気付けない。自分に利益がなければ、正しいことであっても、その正しさに気づくことができない」

という意味です。

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