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山と瞑想の日々 ー 恐怖で膝が震える ー


先に言っておくが、世のスピリチュアル・ファン方々は、戸隠を「パワースポット」として崇め奉り、やれパワーをもらえるだの、願いが叶うだの、龍神がどうのこうの、やんややんやと“スピ子”たちが騒いでるのだが…。そういう話を聞くと、

「はぁ?」

と、意地悪に言いたくなってしまう僕がいます(笑)。

なんでかと言うと、例えばあなたに対して「会いたいんです!」と言ってくる人がいたとしよう。その人があなたに会うためにやって来たのに、あなたの家には来ないで、あなたの住む町内会の入り口からあなたに向かって「こんにちは!私の話を聞いてください!」と言ってたらどうだろう?

あなたからしたら、

「ちょっ…!待てよ!(キムタク風に)。会いてぇんなら家まで来いよ!それともこっちからお前のとこまで来いっつうのか?」

と思わないだろうか?

何が言いたいかと言うと、スピ好きの“スピ子”が群がる戸隠神社。その『御神体』は、いわゆる「神社」という建物でも、そこのご祭神の手力命(タヂカラノミコト)でもなく、なんと言っても裏手に悠々とそびえる「戸隠“山”」であり「九頭龍“山”」なのである。

もちろん、奥社は山を臨む場所にあり、言ってしまえば御神体を拝む場所なので、そこで十分とも言える。だから別に「必ず山に行け!」ってことじゃないけど、奥社の建物に参拝して、

「私ですか?ええ、戸隠は行きましたよ?戸隠の九頭龍と繋がってます」

とか言う人がけっこういる。それで「自称戸隠通」ヅラをされると、

「屁のツッパリはいらんですよ!」

と、言いたくなってしまうのだ。(キン肉マンが好きにしかわからないかもしれない…)

なぜなら、それほどこの戸隠“山”は、僕にとって『神と出会う山だった!』と、思えるからである。(理由は後に述べる!)

と、ここまで書いておいてディスりたいわけでもマウントしたいわけではないが、小生は「やったつもりのスピリチュアル」に対しては、いつも「はぁ?」と思ってる次第であり、どうしてもその辺は辛口になりがちなだけなので、どうぞ戸隠通のスピファンの方々よ、なにとぞお許しください。

さて、こちらの記事で、僕が初めての一人旅で「戸隠」へ行ったことは書いた。

この初めての一人旅の目的は「ひとり旅」をすることと、もう一つは「登山」だった。その山は、THE・戸隠山。

前回の続きなのだが、今回のnoteは「山と瞑想の日々」シリーズ。

この頃の僕はまだ「全国パワースポット巡り」とか「神社巡り」はしていなくて、それよりも「山登り」に興味が向いていた。だから2014年〜2015年は、アホみたいに近隣の山々を登山していたと思う。

“戸隠はけっこうキツイ”とか“危険、難易度高し!”との事前情報は得ていた。だからそれなりに気合は入れていた。

前日は初めての一人旅の夜で、眠れるか不安だったが、案外普通に眠れたので、コンディションは申し分ない。

当時の僕はかなり早寝早起きだったので、5時半くらいに起きて、朝の体操や坐禅をして、6時半ごろには宿泊していた宿坊をスタートした。

朝が早いので、朝食がなかったので、おにぎりのお弁当を持たせてくれた。けっこうずっしり。山で食べようと思う。

しかし、登山道にたどり着くまでが長い。戸隠五社の一番下の宝香社のさらに下に宿がある。

しかし、とにかくハイペースで坂道を登っていく。早朝なので誰もおらず、とても気持ち良い道だった。

季節は10月。長野の山の中なので肌寒いが、ガシガシと歩くと体は温まり、すぐに汗ばんできたが、上着を脱いでどんどん進む。早く山に行きたかった。

前日の奥社には行っていた。山を見上げて、「待ってろよ!」と言い残して後にした。とにかく気持ちが早る。

奥社へ続く杉の並木道。何度見ても見事だ。

この登山の後にも、家族でも2度ほど戸隠は訪れているが、この光景は圧巻だ。神さまがどうのとか、パワスポがどうのこうの以前に、巨木の連なるこの並木道は、誰もがきっとその美しさと、凛とした雄大さに胸を打たれ、荘厳な雰囲気に圧倒される。どんな季節でもいい。冬の雪が積もる時期にも来たことがあったが、それも見事だった。

並木道を抜け、門をくぐると道は少しずつ、参道から「山道」になっていく。

この頃になって、リュックに入っている荷物が重く感じられた。財布や簡単な着替えのほかに、ハードカヴァーの本と、分厚い文庫本、水。そしておにぎり。

それにしても、どうして山に登るっていうのにハードカヴァーの本など持って来たのか…、自分の思慮の足りなさに呆れる。

しかし自己責任であるので、文句を言わず、そもそも文句を言う相手もおらず、黙々と歩く。

そしてそして奥社へ。汗を拭き、リュックを背負い直す。

前日はたくさんの人がいたのだが、早朝ということもあり、自分の他には二人ほどの参拝客しかいなかったので、ほぼ貸し切りだった。

呼吸を整え、静かな気持ちで奥社で手を合わせる。これから、ご神体へ参らせていただきます。

参拝を終え、登山道のある道へと進んだ。

時間は7時半くらいだっただろうか…、ここまで来るのになんだかんだで1時間くらい経過していた。

登山道でも、再び手を合わせる。

そこは社や仏像があるわけではない。「山」に対して、「お邪魔します」という気持ちを込めて、頭を下げる。山という大きな存在に、畏敬と畏怖の念がある。

それは無事を祈るためでもあり、山そのもの、そして山との時間を大切にするために、思わず手を合わせたくなるし、畏敬の念を持ち、自然を甘く見ないくらいでちょうどいいと思う。

山に入る。

岩だらけの道をしばらく登ると、岩場が多く、ハシゴや鎖場がたくさんあり、全身を使って登る。

(た、楽しい…!)

手を使って岩を掴んだり、梯子や鎖を使って登ると、一気に自分の中にダイナミックな何かが溢れてくるのがわかる。山とふれあい、地球と遊ぶような感覚になる。

そして山が好きな人ならわかると思うが、コースがこのように起伏に富んでいたり、景色があれこれ変わる方が面白いと感じられる。ずっと淡々と、まったく同じような景色を何時間も歩くのは、今の僕ならむしろ好むくらいだけど、当時は「新しい景色を見たいんだ!」欲が強く、戸隠山は次から次へと表情を変える、楽しい山だった。

(思ったより難しくはないな)

という印象だった。これくらいの鎖場や危険箇所は、ホームの八ヶ岳でもたくさんある。

しかし、その楽しい時間は1時間ほどで終わる。

事前に調べてはあった。山頂へ向かう最後の道は、戸隠山名物(?)、『蟻の塔渡り』がある。

ちなみに蟻の塔渡りの前の鎖を登り切った場所に「胸突き岩」と呼ばれる大岩が。その手前に「清子さん安らかに眠れ」という、滑落死した方への石碑がある。それがまたリアルであり、緊張感を高める。

そして、蟻の塔。

想像してもらいたいのが、平均台というのを器具を覚えているだろうか?小学校の頃、体育の授業でやっただろう。上を歩いてバランス間隔を養ったと思うし、遊んだことだろう。

その平均台に凹凸があるとしたら、なかなか歩きづらいことは想像できると思う。ただし、幅が50センチくらいだとしよう。だとしたら大したことないじゃん?と思うかもしれない。

しかし、人間には「恐怖心」がある。床の上に置かれた平均台ならいざ知らず、もしその両側が100メートル超の断崖絶壁だとするのなら、幅が50センチあっても、それはまったく別次元の話である。しかも、50センチと言っても、フラット(平ら)ではなく、こんもりしてたり、凸凹しているのだ。

日本全国、山での事故は多いが、戸隠山での事故は「ほぼ即死」だ。滑落、というより「転落」という表現になるだろう。調べればわかるが、実際にしょっちゅう死亡事故がある。標高は1904mと、長野県の中では高くないが、難易度的にはトップクラス。

この一年後に、こちらの記事で書いた「甲斐駒ヶ岳」でも、なかなかのきつい体験だったが、

「死と隣り合わせ度」は、戸隠の方が上だと思う…。

戸隠山のラストは「蟻の塔」を超えて、ラスト「剣の刃渡り」。通称ナイフ・ブリッジと言って、幅が20センチほどになる。それは靴を置く分くらいの、トンがった箇所であり、5メートルほどだが、そんな超超超危険地帯を通過しないとならない。文字通りナイフのエッジを歩いて渡るようだ。

想像できるだろうか?

両サイド断崖絶壁。そしてさらに追い討ちをかけるが如く、山頂というのは風が強いのである。

繰り返しになるが、右も左も100メートルの切り立った崖である。

そりゃ、しょっちゅう人が死ぬわな…。

それまで僕は「え?俺は高いところとかけっこう平気だよ?」と自負していた。

だから事前の下調べで、戸隠がいくらい危険と言われても「まあ、大丈夫でしょ!修行修行!」と、気合入れつつも、後から思うと完全に舐めてた。

上の写真を見てもあなたがピンと来ないように、当時の僕もネット情報で誰かの登山ブログの写真で見るのと、いざ実際に目の前でそれを見るとのでは、雲泥の差であり、月とスッポンどこか、ミジンコとマンモスくらい違う。

今はYoutubeなどの動画サイトでたくさんアップしているので、一つ紹介してみる。ヘルメットのカメラだから、目線そのままで、なかなかの臨場感が伝わると思う。

いかがだろう?このスリル。

僕は生まれて初めて、膝が震えましたね。「怖い」という感情に、思考の全てを奪われます。

多くの方が「四つん這いで渡る」と書いてあったけど、中には「歩いて腕を広げて歩いた方がバランスが取れます」と書いていた人もいたし、上の動画の主も歩いているが、へなちょこで高所恐怖症(だとこの時初めて発覚した)僕には立ち上がるなんて不可能だった。

四つん這いから、途中でまたがって進んだ。馬にまたがるようにだ。両足でしっかりと蟻の塔の岩を内腿で締め付けながら、手は岩を掴みながら、少しづつ進む。

横風が吹くたびに、命の危険を感じる。風の音が、澄み渡った秋の空気の中に流れていく。まさしく吹けば飛ぶような命だった。

女子にはわからないかもしれないが、いゆわる「キンタマちぢこみあがる」という状態だった。膝は震えるし、腰に力が入らないのに、恐怖で肩や背中、首、腕など、とにかく上半身に無駄な力が入る。

蟻の塔渡は20mほど、とあるが、体感的には倍以上あった気がする。真ん中あたりに来たときには、

(もう、やめたい…帰りたい!)

と激しく後悔しながらそう思うのだが、当然帰るには今の道を戻らねばならないので、前に行くしかない。

そして、最後は難関ナイフブリッジ。跨っている股に岩が食い込むくらいの切っ先を渡る。

ここまで自分で書いていて、こんなことをするのなんて「頭おかしいぜよ」と、なぜか土佐弁で言いたくなる。一体どうしてこんなことをせにゃならんのだろう?

しかし、もう来てしまった以上はどうにもならず、キンタマ縮み上がり(多分、完全に消失してたと思われる…)、膝が震え、腰が砕けそうになりながら、じりじりと進み、最後は四つん這いになって、ラストのナイフブリッジを鎖にしがみつきながら渡った。

(た、たすかった…)

安全な場所まで行き、しばし、呆然。誰もいなかったので、その場でへたり込み、後ろを振り返り、思わず唾を飲み込む。

(よく、渡ったもんだ…)

病気などでの生命の危機を感じたことはあったけど、「今すぐ死ねる選択肢がある」という状況は初めてだった。死が身近にあった。

これが冒頭に書いた「神と出会った」ということだ。それは“今まで出会ったことのない自分”であり、どでかい恐怖。そして命。

生と死。まさしくこれは神。自らの神性であり、自らの深部を覗き込んだ体験だった。

これは山の麓の神社参拝しただけでは、決して味わえないものであり、これがあったから、ついついなんちゃってスピの戸隠通に対して、

「君に戸隠のなにがわかるというのかね?」

と、天空の城ラピュタの「ムスカ大佐」のような口調で言いたくなってしまうのである。

さて、とにかく命の危険を乗り越えた。そこから先は特に危険箇所はない。

他の登山客に撮ってもらった写真。ガイドさんとロープを結びつけて、巻道という、崖伝いの鎖を渡るルートで登っていた。そっちもなかなか怖いだろう。

写真を見ればわかるかもしれないが、髪の毛は風で煽られている。山頂付近は風が強いのだ。よくまあ行ったもんだ。しかもGパンだからね。

お隣の九頭龍山も行く。これで戸隠の奥社の奥社。つまり、奥社of奥社をコンプリートした。

見晴らし良い場所でお弁当を食べる。山で食べるおにぎりは世界で一番美味しい。そして、食べてからリュックが思ったよりも軽くなった。おにぎりの重量感はなかなかのものです。

さて、本当はピストンで同じコースを戻る予定だった。

だけど、

(え?もう一度、あの道を戻るの?)

答えはNO!。即答である。もう2度とゴメンである。その気持ちは2022年になった今でも変わっていない。戸隠の蟻の塔渡りは人生で一度行けばもう十分である。

なのでそのまま奥へ縦走することに。戸隠牧場の方へ降りた。

牧場でソフトクリームを食べたのを覚えている。甘いものが食べたくなったのだ。体力はもちろんだけど、とにかく疲れた。

そこからはさすがにバスで麓まで戻る。そしてさらに長野行きのバスに乗り換える。初めての一人旅は、こうして終えた。恐怖で肩や首にも力が入っていたので、いろんな部分が疲れてた。

さて、ちなみに「神に出会った」などと書いたが、要するに自分の恐怖心という名の神と出会っただけであって、明らかにこんなの尋常じゃないので、パワスポ巡りで神社参拝して楽しむくらいで十分である。

だから、実はあれこれマウント的なことを書いてきたが、別に神社参拝だけして「私は戸隠行きましたよ?戸隠の竜神とツーカーですよ」とイキっていても、実際はそれで良いと思う。そして、戸隠はとても良いところです。蕎麦も旨し!

☆ イベント予定。
10月23日(日)『声』女性性をひらく、めぐる音楽、音体験 東京
11月上旬 探求クラブメンバー限定 リトリート 満席
12月上旬 『声』女性性をひらく、めぐる音楽、音体験 大阪(予定)

☆ Youtubeチャンネル

☆ サークル「探求クラブ」(noteメンバーシップ)

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