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掌編小説 「おにぎり」

 彼女に言ってあげたい事がある。
 そんな考え方は、ちょっとおかしいよって…。

「まあ、勝手にすれば?って感じ。でもそうやって結婚してすぐ仕事辞めちゃう女が多いから、どうしても男からナメられるのよ」

 真由美は私が結婚を機会に仕事を辞めると言っただけで、さっきからずっとこの調子でふて腐れている。

「結局男社会なのよ、何だかんだ言っても。男女平等なんてね、この島国には存在しないのよね」

 真由美とは幼稚園の頃からの幼馴染だ。
 昔から男勝りで、気の弱い私が男の子にからかわれているのを、よく助けてくれたりもした。
 でもいつからか、真由美は男性そのものに対していつも戦いを挑んでいる気がして、私はなんだか彼女を見てるだけで、胸が苦しくなることもあった。
 真由美の大学の卒論のテーマは【女性の社会進出について】だった。いつも、女性は男性に抑圧されて、不自由で搾取されていると、彼女は世の中に対して腹を立てていた。
 それは多分、少し昔かたぎな、厳しいお父さんの影響や、高校生の頃付き合っていた、怒ると暴力を振るったという、どうしようもない男のせいかもしれない。

「色んな生き方があるわけだし、否定はしないわ」

 そう言う真由美の言い方は、否定そのものだった。でも私は何も言わず、ちびちびと赤ワインを飲んでいた。
 真由美は今にもボトルごとラッパ飲みしそうな勢いでグラスを空にしては、自分で赤ワインを注いだ。スペイン産の赤ワインのボトルは、さっき頼んだばかりなのに、もう半分以上減っている。

「でも私はムリ。絶対ムリ!男に経済的に全面的に甘えるなんて、ムリ!ありえない」

 経済的な自立、それは女が男性と平等に生きていくために、最低条件だと、彼女は昔から言う。

「そもそも良樹くんも勝手よね。結婚したらアンタに家に入れって?女は家で家事と子育て?ふんっ!今時そんなの流行らないんじゃない?」

 言ってあげたいことが増えた。
 真由美みたいな頑なになっている女の人って、逆に今の時代に少ない気がするよ?それに、良樹は私に仕事を辞めろなんて言ってなくて、私が自分の意思で止めるの。彼はそれに対して『嬉しいよ。俺も働きがいがある』と言ったのだ。
 でも私はやはり何も言わず、オリーブのマリネをつまむ。酔っている真由美に何か言った所で、ますます怒らせるだけだ。

 大学生の頃、こんなことがあった。
 子供の頃の夢、というお題で話しあっていたのだが、後輩の女の子が飲み会の席で、「私、子供の頃、看護婦さんになりたかったの」と他愛ない事を言った。すると、近くのテーブルにいた真由美はその言葉を拾い、突然こちらのテーブルにやってきて怒り出した。その時もやはり酔っていた。

「看護婦?って言った?それはね、今はもう差別用語なのよ。知ってた?正式には看護“士”って言うの。男も女も、同じ仕事ができるのよ」

 真由美は鼻息荒く話すので、白衣の天使に憧れていたその女の子は、たじたじになり、今にも泣き出しそうになっていた。


「女は家にいて、夫と子供の面倒見て、ご飯作って掃除して。そんな一生、ふふっ」

 真由美は頬杖をつき、今度は独り言のように呟く。私を含む、この世界の全ての専業主婦、または専業主婦予備軍に対しての嘲笑を交えながら。
 言ってあげたいことがある。
 私は結婚したら、真由美のお母さんみたいになりたいって、昔から思っていたんだと。

 *

 真由美のお母さんは、ごく普通の主婦で、ごくありふれた、普通のおばさんだった。
 いつも美味しいご飯を作り、毎日沢山の洗濯物を干し、キレイ好きで、いつも真由美の家は清潔で、気持ちよく片付けられていた。
 手作りのおやつなんかも、私はたびたびご馳走になった。真由美の家に遊びに行き、真由美のお母さんと話すのは楽しかったし、とても落ち着いた。ぽっちゃりした体型で、実際、小さい頃膝の上に乗ったら、柔らかくて、ふわふわしていて、お菓子みたいな人だと思ったのを、よく覚えている。
 私の家は共働きだったので、いつも家にお母さんがいる真由美の家が羨ましかった。だからちょくちょくと遊びに行ったのかもしれない。
 そして無口できびしいけど、実はとっても優しい、表具職人のお父さんを、真由美のお母さんは影で支え続けた。いつも笑顔を絶やさず、よく夫のいう事を聞き、家を守った。
 つまり、真由美のお母さんは、今真由美のもっとも軽蔑するタイプの、昔ながらの専業主婦だった。

 **

 忘れられない思い出。
 小学四年生の遠足の事だ。
 私のお母さんはその前日から、田舎のおばあちゃんが突然具合が悪くなり、急遽帰郷していた。もちろん、お母さんにとっては自分の母親が倒れたのだ。私のお弁当の事なんかすっかり忘れている。まあ、元から手料理に熱心な方ではなかったけど。
 お父さんからおやつ代と一緒に、お弁当の分もまとめてお金を貰った。でもおバカな私はついつい、お菓子ばかり買ってしまった。普段のお小遣いでは買えない、付録付きのお菓子も、その中に入っていた。
 お父さんは朝が早い。私が起きる前に家を出て行く人だった。
 私は朝になってようやく、自分のしでかした間違いに気付いた。残りは二百円もない。この分じゃ遠足のお弁当は、コンビニのオニギリか、菓子パン一つ、それくらいしか買えない。事情を話してお父さんにもう少しお小遣いを貰うという選択も今更できない。
 私は途方に暮れながら、トボトボと学校に向かって歩いていった。水筒の麦茶と、お菓子ばかり沢山詰まったリュックを背負って。
 しばらくして、真由美に会った。真由美の家は私の通学路の途中にある。だからそんな風に朝会っては、一緒に登校することはよくあった。
 真由美はいつも長い髪をお下げにしていて、そのお下げは、お母さんが結ってくれたものだった。おかっぱ頭の私は、それもいつも羨ましく思っていた。

「なんか元気ないじゃん?」

 元気なさそうに歩く私に、真由美はそう尋ねてきた。
 私は少し迷ってから、事情を説明した。あまり恥ずかしいから、人に知られたくなかった。そして、言ったついでと、学校の下のコンビニで、パンかオニギリを買うのを付き合って欲しいとも言った。一人でコンビニに入ってオニギリを買うことが、心細くて、恥ずかしかったのだ。

「ちょっと一緒においで」

 話を聞くやいなや、真由美は迷いなく私の腕を引っ張り、来た道を引き返した。私は何がなんだか分からないまま、強引な真由美にされるがままに、真由美の家の前まで連れて来られた。

「ちょっと待ってな」と言い、真由美は靴を放り捨てるように脱ぎ捨て「おかーさーん」と叫びながら、ドタドタと家の中へ駆け込んでいった。

 私は玄関の前でぽつんと取り残され、じっと待っていた。
 なかなか真由美は戻ってこない。それほど時間に余裕を持って家を出たわけじゃないから、時間が心配になってきた。校庭には今頃、バスが来ているはずだ。私たちを残して出発したらどうしよう。
 そんな事を考えて不安になった頃、真由美と、真由美のお母さんが出て来た。

「ほらほら、美晴ちゃん、これ持っておいき。梅とコブだけど、嫌いじゃないだろ?」

 真由美のお母さんは、慌てた様子で、急かすように花柄のハンカチの包みを、私に手渡した。

「オニギリ。作ったから。これお弁当にしなさい」

「え、でも…」私は嬉しいよりも、何がなんだかわからず、びっくりするばかりだった。

「ほら、美晴、遅刻しちゃう。行くよ!」

 真由美はまた先ほどと同じように、また私の手を強引に引っ張り、今度は学校の方へと急ぐ。

「気をつけてね。楽しんでおいで。行ってらっしゃい」

 真由美のお母さんが手を振っている。その時になってようやく私は嬉しくて涙が出そうになった。でも「ありがとう」と言うには距離が離れすぎていたし、恥ずかしがりやの私は、道端で大きな声を出すなんて事はできない女の子だった。
 もちろん、遠足から帰ってから、、ちゃんと「ありがとう」と「ご馳走様」を言いに行った。真由美のお母さんは、「あんなあり合わせですまないねぇ」と、言って、笑っていた。

 ***

「女ってさ、そうやって何千年も男から抑圧されて生きてきたわけじゃん?でも今の時代、ようやくそれが解放されつつあるわけ。なのにウチの部署の上司ったらさ…」

 真由美は最近移動してきたという、叩き上げタイプの部長とソリが合わず、何かと不遇にされていると愚痴り始めた。
 この愚痴を聞くのももう何度目だろう。なんでも真由美が言うには、その部長が女をバカにしているから、仕事のできる真由美に嫉妬してるから、との事らしい。


 真由美のお母さんの作ったオニギリの味は、一生忘れられない。白いご飯にノリをたっぷりと巻いて、手作りの梅干と、昆布の佃煮。あんな愛情たっぷりのオニギリを、私も誰かに作ってあげたいと、年頃になってから思うようになった。だから今はよく、二ヵ月後に結婚する彼のために、オニギリを作る。
 そして今後、私に子供ができたら、我が家のお弁当における「オニギリ率」は、かなり高い方になると思う。


 言ってあげたいことがある。
 そんな生き方、ちょっと違うような気がするよって。
 いつもストレスを抱えて、仕事の愚痴ばっかり言って、胃薬を飲んで、イライラして、生理不順に悩んで(そもそも生理自体が、女が神から受けた“差別の極め付け”だと思っているようだ)。それでも男と戦って…。
 誰かと勝負して、それで勝てれば真由美は幸せなの?働く事はいいことだと思うよ?でも、そんな競争が、アナタが本当にやりたい事なの?
 真由美。アナタのお母さんは束縛されていたの?真由美や私に作ってくれたおにぎりはなんだったの?

 言ってあげたいことが、たくさんある。
 でも私は、何も言わずに真由美の愚痴を聞き流し、赤ワインを一口飲んだ。                


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僕は、テキスト風に、物事を説明するのも好きですが、こうしてストーリーで伝えるのって、とても好きです。あと、音楽とかね。

物語って、いいですよね。順序立てて説明するよりも、台詞や描写や、その余韻の中で、自分の“心の扉”が開いていくことの方が、実は心の成長のためには、重要だったりします。

昨日、こんな映画を見た(↓)詳しくはインスタにて。

この絵、本当に見れば見るほど、俺に似てるなぁ(笑)

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言葉の力で、「言葉で伝えられないものを伝える」ことを、いつも考えています。作家であり、アーティスト、瞑想家、スピリチュアルメッセンジャーのケンスケの紡ぐ言葉で、感性を活性化し、深みと面白みのある生き方へのヒントと気づきが生まれます。1記事ごとの購入より、マガジン購読がお得です。

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