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君たちはどう生きるか?

お知らせ 9月3日(日) visionオンライン

〇〇メソッドとか、成功哲学、スピリチュアル、瞑想など、何をやるにしても、「自分」はどこか?を知らない限り、すべては一過性の空想で終わる。そうならないために、「自分」を知るための学びです。自分を知り、初めて思い描くvisionを体験する。

☆ 君たちはどう生きるか?

7月に公開されたスタジオジブリの新作。

のレビューを書きたいわけじゃないけど、あえてこのタイトルにしました。

Youtubeで、観た直後の感想(のようなもの)を述べてましたが、

今回のnoteは、まさしく、

君は、

どう生きるのか?

ってことについて。

「人はパンのみに生きるにあらず」

聖書の中の有名な言葉です。パンは、食という、動物としての我々に欠かせないものであり、ここでは同時に物質としての象徴です。つまり人はただ「飯を食う」だけでないし、物質的なものを得るために生きているわけではないということ。

聖書ではこう続きます。

「人は主の口から出るすべてのことばによって生きる」

主の口から出ることば。つまり、神の言葉。「真理」や「真実」であり。時にそれは「愛」と呼ばれたり、「信仰」と呼ばれるかもしれませんが、我々は物質的なものだけでなく、目に見えない神秘的なエネルギーで生きている、ということです。

ここで、あなたに問う。

あなたはなんのために生きているのか?

幸せになりたい。
豊かになりたい。
夢を叶えたい。

色んな意見、考え方があるでしょう。

まず、僕もこの歳まで生きてきて、多くの人を観察した結果思うのが、非常に曖昧で、漠然としている、ということです。

いわゆる「vision(ビジョン)」ありません。幸せになりたい、という人の多くが、今の悩みを解決してほしいなぁとか、今より収入が上がったらいいなぁとか、ふわっとしたことを期待してるのがほとんどです。

面白いのが、自己啓発とかスピリチュアルとか、その手の「生き方」や「精神・心理」の世界を学ぶ、つまりその手の「意識高い系の人たち」ですら、非常に漠然としていて、自分の意志を持たず、誰かの(インフルエンサー・作家・有名人)の意見に左右されている人たちばかり、というのが現状です。

改めて問うのは、君はどう生きるのか?ってことです。

これは、今の時代に必要なことです。これまでは、漠然としてても、誰かについて行けばよかったし、多勢が行く方へ行っていればなんとなくうまく行きました。

しかし、これからの時代は違います。
・自分で考える
・自分で選択をする
・自分で行動をする。

これができる人。つまり「自分を生きる人」になるか?「流される人」になるかの二極化です。

この感覚、一部の人は肌で感じています(思考や情報ではありません)。

今、確実に時代が、シフトしようとしています。それは人類全体のシフト、ということです。

しかし実際のところ、なんとなくこのまま、漠然と続いてくと思ってる人が大半でしょう。リアリティを持ってこの感覚を得ている人は少ないと思います。

何もそれはこの小説で書いた、

ディストピア的な近未来ではなく(十分考えられる世界線ですけど)、確信を持って言えるのが、

これまでのやり方が通用しない。

ということです。

人々は基本的に、過去のデータで今日を生きています。過去に身につけた言語、常識、社会通念、あらゆるシステムの使用法、人間関係におけるやり取り、意見の交換などなど。

過去に培ったものです。今日、何を食べようかな?そうだ、あれ食べよう。あそこで食べに行くか、スーパーで材料買おう、という思考も、全部過去の積み重ねの結晶ですよね?

これらが役に立たないのです。すごくわかりやすく極端な例で言うと、食品が売ってない、食べれない、生産されていない、とか…。

そうなった時に君はどうするか?

そしてそもそも「食べる」って概念すら、今後どうなるかわかりませんよ?

別に脅かすわけじゃないです。それはひょっとしたら素晴らしいことかも知れないんです。ものすごく高度で、叡智と共にある生命活動に置き換わるかもしれません。

しかし、同時に、KYOMUのような世界になる可能性、どちらもあります。

どんな未来にするか? 

それは自分次第です。それは間違いないです。あなたが「どう生きるか?」です。

未来って、誰かが決めていると思います?

確かに、大きな大きな流れってあります。でも、その出来事に対して、自分の対応というか、自分の向き合い方で、自分が体験する世界って変わります。

あなたの「幸せになりたい」は、誰かがやってくれると思いますか? すごいカリスマ的リーダーがやってくれたり、特別な能力を持った誰かとか、なんとか神様とかなんとか星人がやってくれると思いますか?

もしくは、あなた自身が魔法の杖を手に入れて、マハリクマハリタヤンバラヤンヤンヤン♫って幸せになれると思いますか?

断言します。それは、ないです。

幸せになれない、なんて言ってませんよ。自分で「なる」んです。

でも、そのために「ビジョン」がないと、目的地を設定してないカーナビと同じです。

しかしそしてそもそも「幸せ」ってなんですか?

あなたは「どうなりたい」のですか?

なんでそうなりたいのですか?

ここに瞬時に答えられるくらいになっておかないと、visionを生きることはできません。つまり、ナビ設定ができていないので、どこにも行けないか、漠然と進むしかありません。自分でナビを設定しないと、誰かが設定したナビで自然に誘導されるでしょう。

ちなみにそれはスピリチュアルなどの世界観で言う「サレンダー(降参)」とは違います。サレンダーという選択があり、その上でvisionを持つ。

それがないと、ただ全体主義的な大局に流され、多勢に流され、世間に流されます。そしてあっという間に「あれ?もう終わり?」って、人生は晩年です。

人生いつからでもやり直しがきく!

って、希望のある言葉を言う人たちもいますが、残念ながらそれは方便です。50歳の人は、20歳はやり直せないように、今日を明日やり直すことはできません。何もしなかったら、「自分を生きる」ことが叶わずに終わります。

この世界は「有限」の世界です。なぜなら有限の時間と空間の地球だから。ふわっとしたスピリチュアルの人が言う「エネルギーは無限です!」とかいう曖昧な話を間に受けない方がいいです。

もちろんエネルギーは無限です。でも、そのエネルギーを使えないのが地球ですよね?

だけど、そのエネルギーとどうつながるか?を、スピの人は「メソッド・方法論」でやろうとしてるわけですが、方法とか法則とか、効率よく、お得でコスパ良いやり方を模索しても、結局何も起きません。やった“つもり”で、まるでファンタジードラマを見てたような状態になります。夢から醒めたら、自分不在の人生が漠然と横たわっているだけかもしれません。

頭で考えたやり方でやる、というのがもう通用しなくなってきます。思考重視の世界観では、自分の人生を切り拓けないと思います。

じゃあお前はどうなんだ?

とお叱りがある前に言っておきますが、僕自身は悲観的な未来を考えてないです。むっちゃ楽しくなると思っています。最高の人生が待ってます。なんて面白い時代に生まれたのだろう!と、しょっちゅう思います。

だから現時点で、僕は様々な探求をしながら、とても楽しんでいますし、色んなことに気づき、自分にこびりついたものを引っぺがすたびに、身軽になって、優しい気持ちになります(引っぺがす時は痛みを伴いますが笑)。

じゃあそれでいいじゃん? なんでこんなことしてんの?というツッコミに対しても答えを持っています。

SNSにこんな投稿をしました。

僕の目的は決まってます。
言葉にすると胡散臭いし、
口に出すとキレイゴトにしか聞こえないけど、
『世界平和』です。

投稿にある通り、僕はなんだかんだで、実は“わがままな人間”です。“欲深い人間”かもしれません。だって自分一人で、そんな未来を生きるのはつまらんのです。自分と、自分の家族や一部の人だけが体験する素晴らしい未来じゃ物足りないんです。

だからみんなで体験し、共有したいんです。あやふやなものではなく、手応えのある喜びを。

それが僕の「vision」です。

このnote(↓)

「平和とはなにか?」という定義も、共通認識にする必要があると思ってます。そうでないと、「平和にするために、平和を乱すものを退治する」という、これまで人類が行ってきた愚行を繰り返すでしょう。

争いの先にあるのではなく、調和の中での平和。それにはやはり「個人」が全責任が伴います。

個人の目覚め、とでも言いましょうか? 個人が「自分を生きる」人生を送ることで、他者を尊重できると思いますし、自分の内面が、そのまま外の世界に繋がっているのなら、今これを読んでるあなたの内面が、世界に映し出されてるのだから、あなたの内面が調和と安心の中にいることが世界の平和への実現の唯一の道です。

個人、と言っても、共有は必要です。だから「仲間」が必要になります。個人の目覚めのために、人と人の心からの交流を通して、自分自身を見つめ直せるのです。

個人的な話ですが、僕はもうアーティストでも作家でもなんでもありません。何者でもありません。ただ、visionと共に祈る人です。それだけです。

たまたま、以前「スピリチュアル」と呼ばれる業界の人たちと多く交流があり、そういうことを求めている人たちから、多少なりとも知られるようになったので、そういう方達とのご縁は、それはそれで大切にしたいな、と思っています。だから、おかしな方向へハマっていて、ファンタジー世界に思考が持っていかれてる人には「警鐘」を鳴らしてはいます。伝わる人に、届けばいいなと。

どうやら、スピリチュアルなどの「意識高い系」な人ほど、思考の罠に落ちているのを見受けられます。これは今のような時代の転換期に毎度起こることです。思考へのエネルギーが増大するのです。だからこそ、扱い方が注意で、創造も起こるけど、破壊の可能性も高いのです。

ただ、僕が何を言っても、誰かを直接連れて行くことができない、というのがポイントです。自分で行くしかありません。だから警鐘は鳴らせても、「話を聞け!」と言うわけにもいきません。本人がそれを選択しないとならない。

もちろん、僕の話じゃなくて、真理は誰が伝えても真理です。「誰が言うか?」じゃなく、「それは愛か?」「それは真実か?」が判断基準です。

しかし現状、多くの人がその「ヒント」すら知りません。カーナビ設定どころか、自分の現在地すらわからず、漠然と地図だけが広げられてる状態です。

そのヒントという名の知識や知恵は、何も隠されているわけではありません。ちょっと自分の労力を使って探して、それを知る人に会いに行ったりして、素直な気持ちで受け取ればいいだけです。

あくまでもヒントですが、それを手がかりに、自分で進むしかないのです。ヒントや道標があるとないのとでは大きな違いがあります。

それは頭だけでなく、全身全霊で進む旅となります。そこには葛藤があり、戸惑いがあり、感情の揺さぶりがあり、手足にふれるものがあり、体力の消耗があります。つまり「手応え」のあるものです。あやふやなエネルギーがどうのとか、そんな空想をしている暇がないくらいの手応えです。

僕のこの戦いは(あえて戦いと呼びます)、とても地道な、持久力と忍耐力の問われる戦いです。短期決戦、短期的結果、現状の価値観における物質的成功を求めるのではなく、個人の内的な調和ですから、いかんせんわかりにくいし、伝えるにしても言語化はしにくい。「わかりやすさ」と「コスパ・タイパ重視」の令和の風潮の完全に逆を行ってる(笑)。

だけど僕はそのvisionを祈り、仲間と共に向かっていきたいです。

もちろん僕はこれらを「有償」でお伝えしている部分がたくさんあります。こればかりは僕の現実の生活ためでもあります。しかし、どうやらお金を払わずに、労せず得だけしよう、という人にはどちらにしろ何を言っても響きようないので、セミナーやワークショップなど、お金はいただいております。無料で開放して、タダだからという気持ちでやってきた人に話しても、空回りが多いのです。お互い時間の無駄になります。

だから僕は何者でもないけど、そんなことを仕事にしてはいます。だから仕事として作家という顔もありますし、歌うたいで、声使い、調え屋さんでもあります。

でもビジョンは決まっています。すべてがビジョンへの祈りです。

最後にもう一度問う。

君はどう生きるか?

宮崎駿監督のメッセージ。「〇〇で生きろ」とか「〇〇を信じろ」とか「〇〇になれ」ではない。何が良いとか悪いとか、正しいとか間違ってるではなく、「どう生きるか?」です。

つまり「自分で考えて」ってことです。だから問いかけなのです。そしてそれがこれからの時代を豊かに、そして楽しむための道です。

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