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世界平和実現のためにできること

今回のnoteは、普段の内容とややかけ離れていますので、掲載するのをやや迷いました。クローズな場所や、友人にだけシェアしよう思いましたが、1人でも多くの方と意識を合わせたいので、ここに書くことにしました。
(もちろん無料掲載です)

それほど、時代は「激変」に向かっています。コロナだけではありません。今後、様々な事が急激的に起こってくると思います。

今回の内容は、あまりに絵空事で、理想主義と思われるかもしれませんが、賛同していただける方がいらっしゃることを祈ります。

また、ぜひこの「計画書」を、シェアしていただけませんか?そして、あなたが発信者や、複数の人に発信力を持つ知人がいるのなら、教えてあげてください。

スピリチュアル的な内容が多いのですが、すべての人に共通することです。


  世界平和実現計画書


  はじめに『どうしてこの計画書を作ったのか?』


我々は「個人」です。それぞれの個性があり、それぞれの価値観や考え方があり、それがこのユニークな世界を作り、ハーモニーを奏でています。

結婚やビジネスの“パートナーシップ”において、何よりも大事なことは、「価値観や考え方を同じくする」ことでしょうか?

確かに、その努力も必要かもしれません。

しかし、それよりも「創りたい世界はどんな世界か?」という、共通のビジョンを持つことで、そのビジョンに向かって、共同創造することではないでしょうか?

相違があるからこそ、役割分担も自然と生まれます。しかし、共通のビジョンがなければ、お互いが別の方向を向いていれば、共同創造ではなく、各々が、個人活動で創造することになります。

もちろん、個人によって為されることもありますが、一人より二人、二人より三人。

一燈照隅・萬燈遍照、という言葉がありますが、まず一人一人が、自分のいる場所を明るく照らすことです。しかし、遠く離れた小さな光ではなく、同じ理念を持ってその光を持ち寄り照らし合えば、それはとても大きな大きな光となり、世界中を照らすこととなります。

世界は今「分離」しています。様々な情報が溢れ、何を信じて良いのかわからなくなっています。

2020年、まさしく、激動の時代の幕開けであり、日本は「令和」の新時代、過去を精算し、新たな自由で明るい世界を、次の世代へとつなぐためにどうするか?一人一人の小さな明かりで良いのでしょうか?小コミュニティで、趣味や、個人の仕事に夢中になっていれば良いのでしょうか?

それを否定するわけでありません。

しかし、地球、人々、平和な世界という土台があってこそ、喜びや豊かさを体験できます。そして今、それが足元からぐらついています。

だから今こそ、我々が団結する時だと思います。団結といっても、物理的に一緒にいることとか、一緒に現場作業をするということではなく、「想いを一つ」にする、という意味です。

平和への活動の前に、「平和な世界」や「平和な世界を生きる人」という共通のビジョンを持ち、あらゆる意識がそこに向かうように意図をすることで、宇宙は確実に、その実現に向けて動き出します。

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・どうすれば世界が平和になるか?

「平和の定義」


・世界中のすべての人々が穏やかに、安全に暮らす。(*1)
・人としての尊厳が保たれる。
・自然物、人工物問わず、あらゆる生命、あゆらる物質、非物質に、感謝と敬愛の心を持って接する。
・それぞれが特技を持ち合い、協力し合う。(共生。協調)
・すべては平等であり、公平であるという信念の共有。差別のない社会。
・自身の生きがい、やりがいを見出している。
・意見の相違、価値観の相違を認め合い、どちらかが強要・強制することなく、問題解決に向けて、話し合いが行われる。
・奪い合うことなく、各々が自分の人生に集中して生きながら、それが全体性となり、協調性がある。(*2)

(*1)生活の保証は必須。心身の健康。食料の確保。住居スペースの確保。パーソナルスペースの確保。治安への信頼。環境への信頼。コミュニティ参加の自由。

(*2)物質資源や富が「有限」であり、「不足する」という考え方を見直す。世界には、有り余るほど富があり、自然の中にエネルギーはあるという事実を知る。
しかし、そのためにも「物質」に捕われない思考や、自然循環型の可能性を示す必要もある。

① 政治やシステムにおける可能性

② 経済における可能性

③ 政治やシステムにおける未来の可能性

④ 教育 (①〜④は現実的な内容に偏るため、今回は割愛します)

⑤ 個人における意識

⭐︎⑤の個人における意識を考察していく。


【世界が平和になった社会での、個々の人々の精神性のモデル】


・我欲優先でなく、共同、共生、共有できる精神性。
・個人主義から全体主義(個性は尊重しを活かしながら、全体の利益となる)。
・富や豊かさを分け合う心。
・人の痛みに共感する感受性。
・あらゆる差別意識がない(人を立場や身分、身なり、肌の色、思想、宗教、価値観、考え方の違いで優劣をつけず、すべての人間を、尊い生命として尊敬する意識)。
・必要以上に欲せず、求めず、得ても溜め込まず、『知足』の意識を持っている。

・トラブルや困難に対して、感情をコントロールし、平和的解決に落とし込める意思を持っている。
・動植物や地球環境を守るためになら、現代文明における、必要以上の利便性を手放せる意識。
・人の「死」や「人生」について、考察し、存在を講義的に達観し、意義を見出せる精神性。
・奢らず、威張らず、常に謙虚さを持って、自己の成長に喜びを見出せる精神。
・隣人の幸福を、我が幸福とし、隣人が飢えていて、自分が満ちているのなら、自分の財を与えることができる。
・他者やシステムに依存せずに、成人は個人として自立している。
・被害者意識を持たず、常に自分の責任に落とし込める意識。
・仕事とは奉仕の意識。与える事。
・自然や生命への畏敬と感謝を持つ。

実現に向けてどうすべきか?

1 正しい知識、事実に基づいた情報を知り、精神性の向上の必要性を知る。
2 現時点で衣食住に安定供給がある人々が、率先して精神性の必要性を知る。
3 誰もが安全な環境に過ごせる状態を作る。なぜなら、食うに困る状態であると、精神性を養う余裕ができない人が大半だからだ。
4 感受性の強化。文化レベル、教養レベルは、最低限の教育と共に、アート(芸術)性が必須になる。全国民に、等しくアートのある世界と、その喜びを享受してもらうべく、自治体、コミュニティ、行政ぐるみで、アート享受、活動への参入のハードルを下げる。
5 社会的なスピリチュアリティの認識と受容。(これは並行より、少し遅れて届けられる)


⭐︎愛という法


これらは「無法」ではない。確固たる「法」が存在する。
それが「愛」である。
憲法や法律、宗教理念、教義は、すべて愛の法の下になる。

「愛」の概念の浸透のためには、対照的な「恐れ」への知識や俯瞰も必要で、教育には必ず心理学的考察や、個々の「思考の癖」の存在や、「マインド」の仕組みなどを、最低限知る必要がある。

愛の定義は、「思いやり」「許し」「感謝」「譲り合い」「助け合い」「尊敬」「謙虚」などが含まれるが、まずは個人レベルで「愛」を体感し、「愛による選択」への気づきが必要。

しかし、人間は感情があり「エゴ」がある。エゴは恐れの産物である。
「内的自己」との対話が必須。なぜなら、エゴから発せられる「独占欲」「所有欲」「承認欲求」「他者へのコントロール願望」などが現れる心理的な仕組みや、個々に抱えた心の傷や癖を洞察し、知ることから始めなければならない。

そのためには、先に進んだものの助言、アドバイスも有効であり、カウンセリングやセラピーなどのメンタルワークが、もっと一般的に浸透し、メンタル成長への喜びを感じられる社会作りが必要である。

愛の法は、個人の「内なる良心」でもあり、内なる良心が発動するためには、人格形成の段階もある。衣食住などの安全が確保されないと、発動されないケースが多い。


⭐︎段階として

前提として、すべてに「段階」は存在し、エゴの振りかざす「恐れ」の潜在的思考が強い場合、祈り(下記参照)などの行為においても、現実化されるのは「恐れの反映」になる。なので、全体性への祈りや、全体性への奉仕活動より、個人個人レベルの精神的成長から始まる。

まず「自分を大切にすること」。なぜなら、まずはの衣食住という生物の生存欲求(マズロー五段階欲求の説く、生理的欲求・安全欲求)が確保された後、もしくは並行して、自己価値の欠如や、思い癖などから起こる「精神的葛藤」から解放していく。

その後、「精神的充足感」が必要。社会にコミットしている安心感(社会的欲求・共同体感覚*)、個人として認められている感覚(承認欲求)、それらの精神的に満足を得て「他者を大事にする」「他者に与える」という行為につながる。自己愛から、他者への愛へ。

*社会的欲求や承認欲求においては、それぞれの自己価値観や自己肯定感によって欲求の強さは違うので、心理的なアプローチは必須。

社会人として、他者へ愛を与える精神に必要なことは、『目の前の人の痛みを、我が痛みと感じれる』という共感力も必要になり、想像力も重要になる。(よって、共感力、想像力や感受性を高めるために、アート作品と多く触れ合う社会であること)
*しかし、それは他者に追随したり、自分を押し殺して他者に同調することとはまるで違う。その辺も、精神的葛藤と、自己価値の欠如と向き合う内的ワークや内観が必要となる。

共感性や、繊細な感性が身につくと、利己的、排他的自我、分離的自己ではなく、全体感として、「他者は自分自身である」という事に気づく。これは知識ではなく、【体感】である。しかし、社会全体に、この意識が広く浸透することで、この感覚を受け取り安い母体になる。

「他者は自分自身である」という、対人への意識から始まり、自分自身が「植物」「動物」「自然」、さらに広げ「地球」「宇宙」と、その愛の意識を拡大させていく。そのような精神性が確立されていくと、他者にしろ、動植物や自然を、破壊しようと思えなくなる。

この時点に行くと、その人の心は、「物質」に囚われることなく、目に見えないエネルギー存在としての、普遍的で、永続的存在の自己に気付ける。


⭐︎ スピリチュアルのある社会へ


これらの意識の段階は、思想や宗教(*1)、従来型の教育システムや、行政指導、立法などによって為されるものではなく、個々における「スピリチュアル(霊性)」における目覚めである。

人は誰しも、スピリチュアル(霊的)存在であることを知る。それと同時に、スピリチュアル懐疑者、否定者に向けて、スピリチュアル実践者がおだやかで、幸福的に暮らす姿そのものがメッセージになる。

伝える際は、瞑想時の脳波のデータや、素粒子物理学や量子力学などの見解も、広く公表し、可能な限りの科学的エビデンスもつけたり、歴史的事実などの実話も補足すると良い。しかし、無理強いすることはなく、『スピリチュアルを信じない』という考え方を尊重する。

スピリチュアリティに目覚めていくと「個人の喜び」だけにとどまらない。幸福の概念が拡大していくからだ。仮に「自分が満ち足りて幸せ」だとしても、隣人がなんらかの痛みを抱え苦しむのなら、自身の幸福探究のために、隣人に手を差し伸べるように意識が向かうだろう。
(個人主義や、自身のコミュニティだけが助かればいい、豊かであればいい、という考え方は、エゴの好む意識であり、それは不可能なのです。なぜなら、我々はすべてつながっているから)

(*1)宗教の中でも、個人として目覚めることはできるが、宗教団体という性質上、教義や戒律、上下関係がある場合は、スピリチュアルの目覚めと相対する事が多いので、あえてそう書いた。

⭐︎ 現時点でスピリチュアリティに目覚めた人たち。


すでに、スピリチュアリティ(霊性)に目を向け始めている人はどんどん増えています。

しかしそこに「特別性」を見出さないこと。
特別性は、エゴがとても好むものであるとよくよく知り、初期の段階をクリアし、精神的にも成長するほどに、内観や瞑想の時間を増やし、己の内面への考察を怠らない習慣が必要である。自己価値の欠如や葛藤は思わぬところに潜み、思わぬ形で思考に浸透する。

スピリチュアルなワークとして、ヒーリング、瞑想、ヨガ(エクササイズではない)などはもちろん、各々に見合った、フィットしたワークを行う。なお、宗教的特別性を高めるワークは推奨しない。あくまでも、個人の自己成長のためのワーク(行)である。太極拳や山歩きなど、自然や肉体を使ったワークも同時併用する。肉体性の軽視は、グラウディングを妨げる。 

社会的にも、スピリチュアルな意識を成長させることを、特別性を抱かせずに、人々が憧れて、目指すような世界観を構築していく。

そのためにも、影響力ある人々が、スピリチュアリティを発揮するのは推奨する。しかし、リーダーや影響力を持つ立場になるほど、自己の内面に闇(承認欲求や支配欲、分離、欠如)がないかと、常に自分の心の状態に鋭敏である必要がある。

奉仕の精神。自己犠牲のない与える心、与えることに喜びを感じる精神、世界平和への志を常に忘れない。
個人の願望はあっても良いが、それがそのまま「他者への貢献」「他者の幸福」に繋がること。
(霊的超能力や特異能力は、スピリチュアルな人生の目醒めとは直接的な関係はないので注意が必要である)


⭐︎世界の平和実現に向けて、スピリチュアリティへの目覚め、解放は、避けて通れない道である。

真の世界の平和のためには、「スピリチュアルな革命」が必要。なぜなら、『愛の法』に基づいた「開かれた世界」と「つながりを感じ合える世界」「存在としての関係性」「自然との共存」「循環への意識」など、すべて(現状では)スピリチュアルとして扱われるものである。

⭐︎人々がスピリチュアル(霊性)に目覚めるために何をすればよいか?


各個人が、上記の【世界が平和になった社会での、人々の精神性のモデル】を、実践する上で、「そうなったように振舞う」ことは大事である。外の世界の現実よりも、まずは自身の『思考・言語・行動を変えること』。思考は一番変えにくいので、行動と、使う言葉を変えることで、思考にもそれが反映されていく。

「意識が世界を創る」という原理や宇宙の法則を学ぶ人々が、同じ方向を向き、そのエネルギーを、神の世界平和の具現のために祈る。
「人は神」であるのなら、神なる生き方は「与える」ことに本質がある。太陽が360度に愛の光を放射しながらも、見返りを求めないように。


 個人個人のスピリチュアル革命のため。

(段階の項目と内容は重複します)

1 テレビなどの主要メディアからの脱却。
2 体の健康のための正しい情報を得て、実践する。
3 心の健康ための正しい情報を得て、実践する。
4 マインドフルネスなど、リラックスや健康目的で構わないので、一人でいられる時間の推奨。
5 瞑想法、メンタルトレーニングは、様々なアプローチがあると知り、フィットしたものを選べる自由。
6 自然活動における、心身の浄化。
7 自立した精神性の樹立のための支援制度(セラピー。心理学。癒し)

無理強いはしない。あくまでも個人の自由。一人の人間の意思を、最大限に尊重する。
スピリチュアルや心理、精神的活動に参加せずとも良い。
ただし、参加しない者を、参加している者が批判はしない。
参加しない者が、参加している者を批判したり、邪魔をするような行為は、人の尊厳を奪う行為である。


祈り

過去を手放し、世界の平和な姿をイメージし、その世界にいる我々をイメージしましょう。

愛から観る未来のビジョンを構築したら、その世界へ祈りましょう。

祈りは、感謝、許し、創造である。祈りや瞑想の習慣を持ち、世界の平和に向けて意識を持つ習慣を持つこと。そして、そのビジョンに向けて活動する。


最後に。

有名な「聖フランチェスコの祈り」の文言を掲載しておきます。


主よ、私をあなたの平和の道具にしてください。

憎しみのあるところに、愛を。

分裂のあるところに、赦しを。

疑いのあるところに、信仰を。

絶望のあるところに、希望を。

闇のあるところに、光を。

悲しみのあるところに、喜びを。

ああ主よ、

慰められるよりも慰める者にしてください。

理解されるよりも理解する者にしてください。

愛されるよりも愛する者にしてください。

なぜなら人は、与えることによって受け取り、

赦すことによって赦され、

死ぬことでとこしえの命を得るからです。


これは何ら強制ではありません。ただ、この美しい祈りの語句は、読み上げるだけで、あなたの心を浄化し、輝かせます。

しかしあなたがもし、聖フランチェスコのように、自分自身を「平和への道具」として、宇宙に身を差し出すことができるのなら、この世界はどんどん変化し、あなたの現実は変わっていきます。

なお、世界の展望に悲観的になってこのようなものを書いているわけではありません。私個人レベルでは、日々、充足し、幸せに暮らしていいます。

ただ、精神世界、スピリチュアルも、個人主義の時代から、もっと拡大した意図を放つ方が、より世界のため、そして、それはそのまま個人の幸福にも繋がると信じています。

*今回の計画書は、まだまだ加筆修正があると思います。「もっとこうしたらいい」とか「ここは違うと思う」「こんなアイディアは?」と。ご意見がご感想などあれば、ぜひコメント欄にお寄せください。

*割愛したのは、政治・経済の話の他にも、「スピリチュアル・リーダー」による協議の重要性などの項目もありましたが、まずは「個人レベル」からの意識変化が必要だと思い、今回は掲載していませんが、また引き続き、その辺もシェアしていきたいと思います。

シェア・拡散をお願いします。これに私(大島ケンスケ)という個人は必要ないので、内容がさえ伝わればいいです。【世界が平和になった社会での、人々の精神性のモデル】と、そのビジョンに向けた「祈り」の項目だけでも結構です。

サポートという「応援」。共感したり、感動したり、気づきを得たりした気持ちを、ぜひ応援へ!このサポートで、ケンスケの新たな活動へと繋げてまいります。よろしくお願いします。