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コミュニティの時代、だからこそ、個人個人の「人間力」が問われる。そして、これからの時代について。

お知らせ。2月9日。

コラムスタート。

現代は「コミュニティ」の時代だと言われている。オンラインサロンなどの普及がまさしくそうだろう。

インターネット、特に【SNS】の普及により、誰もが『発信者』となった。そして、発信者は「チャンネル登録数」やら「フォロワー数」で影響力が決まる。まるで、それが『その人の価値』と直結しているような現状を作り出している。少なくとも、それを一つの指標や指針にしてる節はある。

これはもう集合意識の流れなので仕方ない一面もあるが、それでもやはり人間の性質には購えない部分もあるなと感じる。今日はその辺の事から、現在と、未来についての洞察を書いて行こう。

コミュニティ運営者、発信者もピンキリだが、そこに参加する人だってもちろん様々な人がいる。ただ、どうしてもコミュニティの中心人物、インフルエンサーを「教祖化」まで言わずとも「システム長」にしてしまい、彼らの意見を鵜呑みにして、結果、自分の思考を放棄してしまってるような人はいる。

この現象は、スピリチュアル業界や自己啓発業界では悲しいかな“定番”と化しているが、「すごい人」と「すごくない私」という構図で、“すごくない私”は、“すごい〇〇さん”の意見を無条件で採用し、それで自分の決断を委ねてしまっている。いわば、自分の意思、思考、選択を、放棄している状態だ。

人は「人の上に人を作り、人の下に人を作る」のだ。特に、そういう「心理」「精神世界」「ニューエイジ」「スピリチュアル」に走る人は、元々心が弱かったりするから、ハマりやすい傾向があるのかもしれない(スピリチュアルにハマる人は知能が低いとまで、メンタリストDaiGoさんが統計データを元に述べていたが、あながち的外れとは言えない…)。

SNSの普及により、全員が発信者になれるので、使用人から脱却しようと、「起業」する人もここ数年うなぎ上りだろう。

そこで求められるのは、商品・コンテンツのクオリティより「ファン・ビジネス」であり「キャラクター・コンテンツ」ありきだ。

「何を売るか?」ではなくて、「誰がやるか?」「誰が売るか?」がビジネスの決め手になっている。

つまり、同じような商品やコンテンツでも、その販売者が「誰か」によって、ブランド化され、そこに「信用」が生まれる。信用さえあれば、誰でもビジネスとして展開できてしまうのだ。

もちろん、信用の中には、「この人を応援したい」「支持したい」「この人から買いたい」という「応援」もあり、支持者はその人を支持・応援することで、自分の意志を「宣言」できるという意味合いもある。

(例としては、『私は〇〇さんに同意します!〇〇さんのような素晴らしい方と意見を同じにする意識高い人の仲間です!』みたいな)

しかし、この「信頼」や「信用」は、場合によっては、商品の“クオリティ軽視”になり、価値観の低下や暴落、混乱につながるのでは?とも思ってしまう。なぜなら、商品やコンテンツを「誰が発信したか?」で選ぶことで、「品質」が全く無視されてしまうことも、往々にしてあるからだ。

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以前、『ゲスの極み乙女』の「川谷絵音」さんがNesPicksで“落合陽一”氏との対談の中で言っていたが、「有名Youtuberが音楽制作・発信し、大きなLIVEイベントをやってることに対して?」に関して話題を振られた際、

「人気があれば稼げちゃう時代になったけど、いち音楽リスナーとしては、クオリティ低い音楽を聴く気はしない」というような趣旨を述べていたが、俺も同感である。

もちろん、人はただ「人気者に会いたい!」から行くのであって、そもそもクオリティや芸術性なんて求めてないのかもしれないが、彼らの商品やアートに対する「センス」が磨かれる事はないだろう。

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