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すごくシンプルな理論をお伝えします。

まずは、

あけましておめでとうございます。


能登の大地震で、素直に「おめでとう」と言えない人もいるかもしれませんが、あえて「おめでとう」と言わせていただきます。

そして、能登の収束と復興をお祈りし、そしてこの災害を通して、結果として最善の導きと、さらなる発展とつながることと信じております。

2024年。noteは2019年の年末から初めて、早4年となりました。あらためまして、大島ケンスケのnoteをいつもお読みいただきありがとうございます。

今年もお読みいただける皆様のお役に立てたり、楽しませたり、感動を与えられるよう、ユーモアを忘れずに、精進し励んで参りますので、どうぞnoteでの執筆、表現活動への応援、購読、よろしくお願いします。

また、ぜひコメントなどでも「意見」や「質問」などありましたら、遠慮なくおっしゃっていただけると励みになります。そして改善にもつながります。そして、コメントって「コミュニケーション」でもありますし、交流ができたらと思います。

さて、今日は新年早々、とてもシンプルなことをお伝えしようと思います。

あなたは〇〇になるために生まれた

まず、あなたはなぜ生まれたのですか?

なぜ生きているのですか?

多分、おそらく、

「幸せ」になるためではないですか?

幸せって「感じる」ことですから、いつかどこかにはなくて、今ここで感じるものですから、つまり「幸せの体験」をたくさんして、そこで「感動」を得るためです。

感動して、魂を浄化すること。自己成長すること。意識が拡大し、霊性が向上する。

これが「幸せ」になるってことです。

そして、あなたは「幸せ」になるために生まれた。

では、幸せになるためにどうすればいいのか?

自分を〇〇ことで、あなたは世界から愛される。


あなたは、自分を愛していますか?

「私、自分のことが好きじゃないんです」

って人もいるかと思います。僕もずっとそうでした。てゆーか、自分のことが大嫌いでした。

だから、自分を変えないと!って必死でした。今の自分を否定して、まだ見ぬ憧れの存在になろうとしてました。

しかし、ある時から、その考え方は間違っているなぁと思いました。自分への愛が足りてない!と理解したのです。

自己啓発やスピリチュアルなどで「自分を好きになろう」と言う方がよくいますが、残念ながら、自分を嫌いだった人が、いきなり自分を好きになれるはずなく、ここは時間をかけていくしかないですが、一番良い方法は、

そんなの気にしない、です。

好きでも嫌いでも、どっちでもいいじゃないですか?

それよりも、自分へ「愛」を向けることです。

まるで母の愛


愛ってなんですか?っていう質問は、多分本一冊書いても足りないし、三日三晩語れますが、とにかく「自分が思う最高の愛」です。

そのためには、まず自分というキャラクターを少し独立させます。

僕の場合は、「大島ケンスケ」と、「大島ケンスケを見て、動かせる存在」の二つに分けます。ちょっと難しくいうと、「私」と「“私”を観て、干渉できる俯瞰の自己」って感じです。

ただし、後者(俯瞰)は、往々にして大島ケンスケの肉体や感情に飲まれてすぐに消えてしまいますから、落ち着いている時にしか発動できません(基本的には、慣れるとこっちが優勢になります)。

後者『ケンスケを見て動かせる存在』が「母親」とします。そして『大島ケンスケ』そのものを「子」とします。

例えば、子が(ケンスケが)「伊勢神宮へ行きたい!」と、強く思ったとする。母は「お金も時間もかかるよ」と、とりあえず伝えます。

でも「それでも行きたい!」と思うと、母は「よし!そんなに行きたいんだったら行っておいで!応援するよ!」と、可愛い子を旅に出します。

母は必ず、その時間と費用を工面する方法を知ってます。子が本当に願うことは、母ならそれを叶えるための知恵が湧いてくるのです。

子「カップヌードル食べたい!」
母「体に悪いよ」
子「それでも食べたい!」
母「うーん、でも昨日も一昨日も食べたから、さすがに今日はジャンクフードはお預け!」
と、こういうことも起こるかもしれません。なんてったって母の愛ですから、子の言いなりになるってわけではないです。子の健康を第一に考えます。まあ、間違えでもあえて失敗させて学ばせる、という高等テクニックの愛もありますけど(笑)

でも、基本的には子供の意思を尊重し、子供を自由にし、干渉は避け、あくまでも子供を見守ります。そして祈ります。

それが母の愛ですよね? 我が子の成長と幸福を第一に考える。

そうやって、とにかく自分のことをたくさんやらせてあげました。これまでは母の愛の前に、「エゴの恐れ」という兄弟が「お金がなくなるよ〜」「嫌われちゃうよ〜」「危ないよ〜」と、そっちの言いなりになってばかりでしたからね。それも愛の一種ですが、恐れで生きると、人は何もできませんし、つまらない人生です。

だからより深い愛はどっちか?というと、恐れの兄弟「エゴ」よりも「母の愛」でした。

こういうことを何年も何年もやってるうちに、僕はだんだん自分のことが嫌いじゃなくなりました。まあまあ好きになりました。てゆーか、好きと嫌いとか、どっちでもよくなりました。

そして、とても幸せです。自分を愛すると、世界はどんどん開かれて、まるで世界が自分を愛してくれてるかのような、そんな気持ちになります。

つまり、自分を愛するほど、あなたは幸せになれるってことです。

これ、シンプルな理論ですし、別段めずらしい論でもないですね。「自愛」とかって言葉があるように、これを伝える人は多いです。

自分に興味を持つこと


僕はいつも伝えます。

「感じてください」

繊細な感覚って、ちょっと意識を研ぎ澄ませないとわかりませんよね? 例えば、東京のような都会でも、耳を澄ませると鳥の鳴き声とか、街路樹のざわめきが聞こえますが、それよりもトラックとか、街の騒音の方が大きいし、何より自分の「頭のお喋り」の方が声が大きい。荒っぽいものに人は意識を持っていかれます。

でも、耳を澄ませば、意識を集中すれば、美しいものや、優しいものに気づきます。

自分の体ひとつでもそうです。たくさんの神秘があります。

このように「自分に興味を持つ」ってことは、愛ではないですか?

母がもし、我が子に無関心だったらどうでしょう? 母はいつも、子供の顔色や、声のトーンなど、微々たるものから情報をキャッチしてます。興味があるからです。

自分に興味を持つってことは、愛する行為の一つです。だから、あなたはもっと自分の「感じてるものに興味を持つ」ことで、=(イコール)「自分を愛する」ということになります。

そしてそれが、そのままあなたの世界に投影されます。あなたは自分の生きる世界で、自分への愛にたくさん気づきます。

幸せとか、愛って、気づかないと「無い」と同然です。

親の愛情に、自分が大人になってから気づくってありますよね? 子供の頃や若いことは、派手なもの、わかりやすいものにばかり好奇心が向かうから、繊細な愛情に気づけなったけど、大人になってみるとようやく気づく。

大事なことは知ることです。後から知ってもいいけど、早く気づくに越したことはないでしょう?

自分を愛してください。そして、自分の世界に「愛を溢れさせて」ください。

それが、2024年最初の、このnoteのメッセージです。

それでは、今年もよろしくお願いします。

☆ ワークショップ

つながるからだ、つながるこころ  (こちらのアメーバブログも参考に

東京 2月4日

大阪 2月23日

聖音瞑想会 大阪 2月24日

☆Youtube更新


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