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美しさとは

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美しさの定義って、難しい。その時代に生きた人の価値観とともに、変わるのかもしれない。いや、まったく変わらないものなのかもしれない。美しさってなんだろう。自分に問いかけて、考えたこ…
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#note

1000年前の美しさの定義。

時代ごとに美しさの定義は変化していくけれど、いま私たちが見ても、美しいと思えるもの。そんな普遍的な美しさも、また存在する。 ロマネスク時代の美の基準とはなんだったのか。1000年前に遡ってみたいと思います。ルネサンス文化が生まれる、ずっと前のはなし。 古代ローマが崩壊し、分裂、侵入の繰り返しで、暗黒といっても過言ではない、つらい時期を過ごしたヨーロッパ。 目の前が何も見えない、真っ暗な世界のなかに、一筋の希望の光として、誕生したのがロマネスク。 トスカーナ州には約40

天文の美しさに囚われたひとびと。

長い歴史の天文学。どこよりもずっと進んでいたアラブでは、天体観測器が作られ、それが欧州へと渡ります。 1334年に建立されたフィレンツェのジョットの鐘楼。塔の高さ、塔の色の美しさに目を奪われて、見落としがちな装飾レリーフ。その一枚に表わされているのが、この天文学。 壁の部分に星座が薄く彫られている。 なんという細かい仕事。 当時の天文学と占星術は、切ってもきれぬ仲。種まきも収穫も、すべて天を眺め、星の動きをもとに、時を計り、時期を知り、人々の生活が成り立っていたのです。

ローマに秘められた、天体回廊。

前回で「天文のテーマ」は終えるはずでしたが、ローマへ行く計画が浮上し、今回は引き続き第二部です。 なぜローマで第二部かというと、ローマには、科学とアートが融合した素晴らしい作品が残されているからなんです。 前回の記事のきっかけになった「アートと科学」という小冊子を、この夏に読んでいて、すごく驚く発見があり、びっくりして、機会があれば、ローマに行ってみたい!と望んでいたのです。 今回は、体験してきたことを、お話しします。 フィレンツェからローマへローマで見たい展示会が、

空間の美しさとは? Part.1

空間を知るって、どういうことなんでしょう。 紙面に縦線と横線を引けば、水平と垂直はすぐに描けるけど、奥行きはどう表現する? まずは、絵画から探ってみよう。古代ローマや、中世時代は、数学的な根拠のないまま、なんとなく奥行きがあるっぽく、こんな感じかなーと、表現していた。 なんとなくの奥行きでも、ぐっと、深みがでてくる、1300年代の絵。 マリア様と幼子キリストが座っている玉座の後ろに、聖人を重ねて描くことで、二人の背後に、聖人がいるんだなぁ。と、感覚的に空間をつかめる作

空間の美しさとは? Part.2

フィリッポなくして、フィレンツェは形成せず。 フィリッポ・ブルネレスキが、遠近法を発明したのが1416年頃。2年後にクーポラのコンクールが行われ、彼の案が採用されます。 両手放しで、喜ぶことはできない条件はあるけども、とりあえず、現場監督として、1420年からクーポラの建設が始まります。 こちらが、ブルネレスキの建築記。 中世の面影を残すフィレンツェの街に、ダイナミックでシンプルな建造物が、自己主張することなく溶け込み、新しい時代へと繋いでいきます。フィリッポ・ブルネレ

ルネサンスの寵児、フィリッポ。 空間の美しさ。Part.3

天才と呼ばれる人に共通しているのは、ゼロから1を作り出せる人ではないか。彼らの作品を通して、つくづくと感じます。 吹き抜けのドゥオーモクーポラの八角系の台座、実は、中心が合わないんです。 と丸投げされてしまい、後世の人々は困った。どう建てていいのやら、どこから手を出したらいいのや、とんとわからず。 1296年から建て始め、1380年にはクーポラ以外はほぼ完成。 途中で、黒ペストが蔓延する非常事態があったのにも関わらず、100年もかけずに、ここまで建てるなんて、フィレン

ルネサンスの寵児、フィリッポ。 空間の美しさ。最終回。Part.5

前回からの続きです。 フィリッポは、前代未聞のクーポラを建築するために、作業員が安全に仕事ができるように、さまざまな新しい試みを具現化していきます。 前回紹介したのは、こちら。 堅固な足場を作る クレーンを作る クーポラ専用帆船バダローネ フィリッポの革新的アイデア - 24. 石積み技術 レンガを水平に積み続けると、重みが下に向いて、重量で丸屋根が崩れちゃいます。そこで、考えられたのが、矢筈やヘリンボーンと呼ばれる積み方。これがそれ。 この積み方をもってすれば

音の美しさ

目で見て、手で触れて感じることのできる石。 角が丸くなり、表面の光沢が失われ、ところどころに溝や小さな穴があり、いままで、生きてきた証を、見せてくれる、風化した石。 まったく同じように、長い時間をかけて、いままで生きてきたのに、風化という言葉が当てはまらない、音。 わたしはキリスト教徒ではないけど、たまたま訪れた教会で、ミサが開かれていると、そのまま滞在することがあります。 ミサのときどきに、賛美歌が歌われ、何世紀も前に作曲されたものが、いま、この瞬間に、歌われるって