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イチローから学ぶ、努力を超越する方法

どもども、あさくらです。


みなさん、ご機嫌いかがでしょうか。


そういえば、最近体がなんだか重いような、うーんといった状態があったりなかったり。いつもならnoteの前に来るとすんなり出てくる言葉達が、なぜか喉のあたりでストップしているような、そんな感覚にある。


なんだろう。自分の中でも何かしら変化が起こり始めているような、そんな時期なのかもしれない。


そういえば、最近は暇な時tiktokをついつい見てしまう。大抵はかわいい女子が踊っているのをスワイプするという、俯瞰すると一体なんやらという時間を過ごしがちだけど、ふとした時に心に響く動画が降りて来ることがある。


昨日はそんな、珍しい瞬間が訪れた一日だった。動画をスワイプしていると、ふとイチローがインタビューを受けている映像がながれてきた。インタビューの内容は「努力は報われると思いますか?」というもの。


漫画やアニメで「努力は報われる」といった表現があまりにも過多になっていることへの反動なのか、最近の”賢人”と呼ばれる人たちが「努力は報われるわけじゃない。」というメッセージを放つことが多くなっていると感じている。


そんな中でイチローが口にした回答も、”賢人”と同じ「努力は報われるわけじゃない。」というものだった。ただ、イチローの言葉はそこで終わらない。その後にイチローが続けた言葉が本当に印象的だった。


彼は次のように言ったのだ。


そもそも、自分の行動を”努力”と呼んでいる状態は、まずいでしょうね。人には努力に見える、でも本人にとってはそうじゃない、そんな状態までいくことができれば、いつの間にか報われていることはあるかもしれません。


この話を最初に聞いた時、とても難しく恐ろしい話だと思った。だって彼が言っているのは努力という概念を超越しろということなのだから。ある意味のサイコパスというか、超人的な思考だとも感じた。


しかし、実際に人には努力に見える、でも本人にとってはそうじゃないという状況を想像してみると、結果それは僕が感じていたような雲の上の出来事ではないように思えた。


もっと無邪気だ。多分。超人的な発想でもない。ただ目指す場所に行く途中で必要なことをやっている、という感覚なのだろう。いい意味で周りを見ている暇などない。それがとんでもない努力ということを単純に認知していないだけなのかもしれない。


確かに、その人にとって当たり前なことを努力とは言わない。ただ無邪気に自分を納得させるまでやる。世の中の当たり前ではなく、自分の当たり前で生きる。同時にそれは、とても生きやすい生き方だと感じた。


僕たちの周りには、どんな当たり前があるだろう。自分が毎日行っている些細なことが、他の人にとっては特別なのかもしれない。そしてその行動が自分の行く末と同じ道をたどるとき、努力なしで報われる日が来るのかもしれない。


好きなことを仕事にしろ、というのはこういうロジックで落とし込めるのか。その逆もしかり。今やっている仕事をいかに好きになれるかってのも、努力を超越する方法だ。


僕はやれるかな....自信ないなあ.....


まあでも、みんなが成りたい自分になれたらいいよね。


今日はここまで。


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