見出し画像

常識を打ち破り、時代を変えた印象派の巨匠モネ

モネの絵画を見ると、誰もがその美しさに心を奪われます。

私たちは、モネの絵画の、一体どこに心を惹かれるのでしょうか?

もしかしたら、それは、モネが生涯をかけて探求し続けた「光」と、その奥に潜む「変化の瞬間」を、私たちが無意識に感じ取っているからなのかもしれません。

今回は、苦しい生活が続いたにもかかわらず、絵画に人生を捧げたモネの生い立ちや画家として人生の起源に迫りたいと思います。

親の反対を押し切って… 若きモネが絵筆に込めた想い

モネは、フランスの港町ル・アーブルで、中流階級の家庭に生まれました。

モネは、自分の想いや感情を自由に表現できる「アーティスト」になりたかったのです。そのためには、自分で稼いでパリに行き、画家として認められる道を切り開かなければなりませんでした。

安定した暮らしよりも、自分の本当にやりたいことを貫いたモネ。

しかし、モネは、父親の援助を得られなかったので、生活費を稼ぐために、「カリカチュア」と呼ばれる似顔絵描きとして働き始めます。

生活のために絵筆を取っていたモネでしたが、運命を変える出会いが訪れます。

それが、風景画家「ウジェーヌ・ブーダン」との出会いでした。

ブータンは従来の絵画の常識を打ち破る革新的な画家で、モネの才能を高く評価しました。そいて、モネに油絵を教え、当時としては革新的だった「屋外での制作」をモネに伝えます。

アトリエの中だけでは決して気づくことのない、刻一刻と変化する光と影、大気の揺らめき。

ブーダンとの出会いは、モネの目に、全く新しい世界を開くことになりました。

写真の登場が変えた、絵画の役割、芸術の定義

モネが生きた19世紀後半は、絵画の世界にも大きな変革が訪れた時代でした。

「写真」技術の登場により、それまで絵画が担ってきた「現実を正確に写し取る」という役割は、その存在意義を失いつつありました。

そんな中、「ギュスターヴ・クールベ」という画家が、新たな芸術の潮流を巻き起こします。

クールベは、「ありのまま」を表現することにこだわり、神話や宗教画などではなく、農民の労働風景や、日常の風景を、等身大の視点で描きました。

さらに彼は、当時タブーとされていた「裸体画」においても、ありのままの女性の姿を描き、女神でも神でもなんでもない一般人のお尻を大画面で書いたことで、「ふざけるな」と激しい批判を浴びることになります。

しかし、クールベのこの挑戦は、絵画は「あるべき姿」を描くものではなく、「画家自身の目で見たもの」、 「表現したいもの」を描くものなのだという、新しい価値観を示した出来事でした。

後にモネの結婚の「見届け人」となるなど、公私ともに親交を深めたクールベ。

モネは、クールベの自由な表現と、常識にとらわれない姿勢から大きな影響を受けたと考えられます。

時代を切り開いた芸術家

モネが活躍した時代は、絵画に対する固定観念から次第に自由になり、新しい価値観が芽生えつつあった時代でした。従来の画家は、専ら依頼を受けて決められた題材を描くだけでした。

しかし、クールベなどの先駆者によって、画家が自由に表現できる新しい芸術の扉が開かれようとしていたのです。

モネは、その時代の空気を確実に感じ取っていました。つまり、自由に自分の考えや感情を表現できる新しい芸術家になりたかったのです。

モネにとって重要だったのは、単に有名になることではなく、自分自身を表現する自由そのものだったのかもしれません。

まとめ|偶然の出会いによって生まれたモネの絵

当時は、「写真」の登場により、絵画自体が煮詰まり、自由に表現することの価値観が芽生え始めた時代。

そんな世界の潮流の中で、モネは偶然ブータンとクールベという2人の芸術家と出会いました。

この2人との出会いによって、モネの芸術家としての才能が引き出され、自由な表現への夢が実を結びました。

時代の変革期に生まれ、新しいことに果敢に挑戦し続けたモネならではの芸術が、そこに生み出されたのではないでしょうか。

「自分が求めるものを追求し続ける」ことが、偉大な作品を生み出す原動力となる。モネの人生がそれを物語っているのかもしれません。

Podcast「アート秘話〜名画に隠された世界〜」では、今回取り上げた内容を対談形式で語っています。こちらの放送もどうぞよろしくお願いします!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?