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怪電波

                                   
「私にとってあなたはラジオみたいな存在なの」
 二十五歳の春に恋人のミハルから真顔で言われた言葉は、十年経った今でも僕の心に留まり続けている。
一瞬意味が理解できなかった。
学生時代から付き合い始めて五年、些細な口論が別れ話へと急に姿を変えたのは結婚を視野に入れた同棲を始めて半年が過ぎた頃だった。
いや違う。
別れ話につながるサインはちらちら影を見せていたが、能天気な僕は見逃していただけだった。

 学生の頃にアルバイトしていたジャズ喫茶で出会って付き合い始め、卒業旅行は一緒に本場のベルギービールを飲み歩く旅をした。
共通点があったというより、嫌だなと思うものが互いに一致していた。
煮詰まったコーヒー、うんちくを披露しあうテレビ番組、しゃれたお店でなんとなく流れている当たり障りのないジャズ。

 二人でラジオについて話したことはなかった。
彼女と話していると次から次に話したいことが脳裏に浮かんできて時間を忘れた。
話しっぱなしの僕に対して、ミハルは時折短い感想や質問を挟んできたが実に鋭く要点を突いていて、僕のたわいもない話が急に高尚な議論へと様変わりしたかのようで心が弾んだ。
と書けば格好つけすぎだ。
感傷的なおじさんの勝手な独白。
実は僕は子どものころからラジオ好きであらゆる番組を聞いていた。
ラジオで聞いた話をさも自分で見聞きし考え出したかのようにミハルに話していたことも一度や二度ではなかった。
会えば気持ちよく話を聞いてくれる彼女にいつの間にか甘えていた。

「近いと、うるさいの。別々に住んでいた時は心地よかったのに今では四六時中電波を受信しているようよ。ラジオ局には住みたくない」

 程よい距離感が僕たちには最適だった。恋人でいることと夫婦でいることは違う。
恋人関係の延長線上に結婚があるのではなく、両者の間には深くて暗い断絶がある。
恋人同士で留まっていた方がいい二人。
そのことに気付いた時には手遅れだった。
もはや僕の言葉はミハルにとって怪電波でしかなかった。
彼女は僕の電波の届かない所へ、つまり遠くの街へ引っ越していった。
今では結婚して二児の母だ。

 以来ラジオという言葉を聞くたびに僕の胸はチクチクした痛みを感じるようになった。
いくつかの出会いと別れを経て穏やかな家庭を築いた今も変わりはない。
妻にこの話はしていない。
もちろん3歳になる娘のリオにも。

「ねぇ、『ぼよよん行進曲』歌って~歌って~。
ぼよよよ~んとそら~へ~」
 今日はもう五回目だ。
このところリモートワークでずっと家にいるのをいいことに、リオはテレビで流れていたこの歌を毎日何度もリクエストしてくる。
やれやれと思いつつも求められるのは嬉しいもので、娘が笑顔になってくれるならとついついノリノリで歌ってしまう。
子供向けの曲だが、気持ちいいリズムと前向きな歌詞が気に入っている。
妻はこんな父娘のやりとりを眺めて半ば呆れ気味に言う。

「リオにとってパパはラジオみたいな存在ね」
「パパラジオ! 私好きだよ!」
 もう痛みは消えていた。

いつも読んでいただき、ありがとうございます。