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テーブルまでいそいで

住んでいるアパートの建物を出て左にまっすぐ歩く。一つ目を通りすぎて、二つ目の通りを左に曲がる、と、つき当るボナパルト通り、通称ナポレオン通り。通りに出てすぐの場所に店を構える長身のカフェの店主に挨拶、その隣の洋服屋のスキンヘッドの店主にも挨拶、少し歩いて雑貨屋の前で店主に挨拶、そのまま進んでお洒落さんたちが集まる眼鏡屋も、薬屋も、ゲイが集まるバーも何百種類ものチーズをショーウィンドウに誇らしげに並べているチーズ屋も甘いヴァニラの香りで客を呼ぶクレープ屋も通り越して、角のカフェのウェイターにも挨拶をして、広場に出る。広場を斜めに横切ってずんずんと歩く。芝生が広がる公園に入る。寝転びながら話こんでいるカップルを横目に通り抜ける。公園の端には地面から水が吹き上がる装置が設置されている。太陽の光を浴びてキラキラ反射する水を浴びながら小さな子供達が楽しそうに跳ね回っている。公園を途中で抜け出し、右に曲がる。スノッブなカフェも薔薇の香水屋も地元一美味しいという噂のショコラの店も通り過ぎる。店内に剥製が所狭しと飾られているバーが右に見えてくると目当ての店はもうすぐ。そのバーを通り越しずんずんと進み、ようやくお気に入りのレストランの扉を開ける。

皿にあたるスプーンの音、ワインをつぐ音、グラスが触れ合う音、椅子をひく音、注文をとり終わった給仕の「了解!」という声、Oh là là(オララー)という驚いた客の声、扉を開け店内へ一歩踏み入れた瞬間に、そのすべてのざわめきが反響し合った音と何重にも織り重なった食事の香りに身体はまるごと包まれる。席に着き、微発砲の白ワインをひとくち飲む。青カビのチーズと洋梨を包んで焼きあげたパイ。口の中で先ほどの白ワインのまろやかな風味が立ち上がり、チーズと洋梨の調和を引き立たせる。ポンッという威勢のよい音を立てて給仕係が赤ワインの栓を開ける。冷たいもの、熱いもの、口に入れたその瞬間からほろほろととけていくもの、歯ごたえのあるもの、濃厚なドライトマト、香草とクリームをまとったセップ茸、ワインをひとくち飲んでは、この土地の食材の濃厚さがぎゅっと詰まったソースをパンに絡め、口に放り込む。
旨いねえ...
マナーはこの際そっちのけ、最後の一滴まで皿のソースをパンで拭い取る。葡萄の搾りかすで作った蒸留酒を飲み、胡桃と無花果を頬張る。最後に濃いエスプレッソをいっきに喉に流し込む。

その夜のすべてをのせたテーブルは地上から5cmばかりふわりと宙に上がる。皿やワイングラスがカタカタと揺れて音を立てるが気にしない。座った椅子も宙に浮かぶ。テーブルクロスはバタバタと風になびき、わたしたちを連れたままテーブルごとゆっくり空へのぼる。黒に限りなく近い濃紺の空へ。

わたしたちは相変わらず、見つめ合い、乾杯しては、笑い、会話を続ける。

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