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身体を満たすもの

今、わたしの身体は完全に南仏の強い陽射しと、濃い青色の絵の具を何度も重ね塗りしたような空と、透き通る水色のゼリーのような海とでできている。
恵まれた地中海性気候、季節ごとのそれはそれは濃い色が中身にもそのままギュッとつまったかのような味わいの有機野菜や果物、朝獲れの魚、新鮮な肉。地元の旬の食材を食べて暮らすこと、それはこの土地に住む醍醐味である。

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春が始まり初夏にかけて、ニースの市場はパチパチとはじけんばかりの水々しい食材で溢れ出す。生で食べるとその甘さが口いっぱいに広がるグリーンピースやそら豆、パリッと糊がかかったように生き生きとしたズッキーニの花、採りたて一番のハーブたち、それから少し経つとさくらんぼで始まり、アプリコットや桃がスタンドの最前列に誇らしげに顔を並べ出す。夏野菜に比べるとまだ淡い色の春の野菜で溢れるこの時期の市場がわたしは一年で一番好きだ。

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5ヶ月間仕事で南仏を離れ、パリへ出る。
仕事柄とも言えるが、もうほぼそれが生きがいのように、生産者たちから直接届く新鮮な食材を年がら年中探し回っている恋人に、南仏やイタリアの新鮮な食材から5ヶ月も離れてしまうことを嘆くと、北は北でいい物がたくさんあるじゃないかと取り合ってくれない。フランス東部のワイン生産者巡りから帰ってきたばかりの彼は、ほら東部一番のショコラ職人のだよと、見るからに濃厚な真っ黒いタブレットショコラをパキッと割ってわたしの口へ放り込んだ。純度の高いカカオの苦味とほんのりとした甘さが瞬時に口いっぱいに広がる。そして、持ち上げるのもやっとという重さのスーツケースを2つ抱えて翌日パリへ発つというのに、ひとりで食べ切るのに数週間はかかるであろうどっしりとした東部特産のコンテチーズを持たされた。

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日本に居た頃から食べることは人一倍好きだったが、あの頃に比べても、口にするものがこんなにも自分の重要事項のひとつになるとは思いもよらなかった。真摯に、そして明るく食に関わる人たちに繋がって、食材を選ぶ。贅沢なことだと思う。だけどそれと同時に、とても大切なことだと思うのだ。生きること、生きていくことにこんなにも直結していることはないのだから。

「君は今年最初のここのさくらんぼを逃すね。」
出発の日、駅の改札まで見送ってくれた恋人がにやりと意地悪そうに笑って、わたしを柔らかく抱きしめた。

一番好きな食材の南仏の季節を味わえないのはとても惜しいのだけれど、食材の他にも身体を満たす大切なものがある。それを楽しめるのはパリの醍醐味というもの。身体を満たすものは甘美に混ざり合う。

愛しい日々の連続を。

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