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簡単な自分史、書いてみた⑧

1.小学校までは優等生??
2.無気力な中高生時代
3.なんだか楽しくなってきた大学時代
4.落ちこぼれがまさかの大学院へ
5.初就職は地元を離れて派遣社員から
6.まさかの結婚?
7.妊娠ってこんなに難しい?
8.次男出産後、どん底を味わう…
9.自分がこんな働き方するなんて!
10.大器晩成型?? 今が1番楽しいかも!

7.妊娠ってこんなに難しい?(1)


さて周囲にヤイヤイ言われてあっという間に決まった結婚だった。

結婚前に子供をどうするか?という話はそういえば、全然してこなかった ような気がする。

これは絶対オススメしません笑
だって結婚後子供がいる生活を選ぶのか、また選ぶのであれば何人がいいか
とかってすごく重要な話だから。
子育てはお金はもちろん、体力も精神力もすごく使う。
ましてや我が家だけもしれないが・・・子供の教育方針ですごくぶつかる
ことも多い。

でも本人たちが思っていた以上にあっという間に結婚が決まってしまい、
子供のことを話す機会がないまま新生活が始まってしまっていたのであった。

私が結婚したのは29歳。
子供は欲しいと思ったけど長い学生生活を終えて仕事を始めたばかりだし、
すぐに妊娠、出産となったら迷惑をかけるから1年くらいはいいかな?と思ってた。

そのとき、またしても私はかなり無知だったのだ・・・
誰でもすぐに妊娠できるものだと思っていたところがあった。
本当にお恥ずかしい・・・

でも友達や職場の人から子供の話を聞いたり、生まれた赤ちゃんを
見にいく機会が増えてきてだんだんと早く子供が欲しい!!!と
思うようになった。

そこで半年後くらいから子供を意識して生活するようにした。

しかし・・・半年過ぎても妊娠の気配は全くなかった。
そこで意を決して不妊治療専門の病院に行ってみる事になった。


私と主人それぞれの検査をしたが特別な異常は見つからなかった。

今でも結構鮮明に覚えてるいやーーーな思い出がある。

1件目に行った不妊治療病院。
いつも混んでる評判の高い病院だったが、ある日ある検査の
結果を聞かされるとき、今なら通報もんでは??と思うような
やり方をされた。

5人くらい並んで席に着き、順番にある検査の結果を聞かされると
いうもの。


しかも一人いつもヒステリックな看護師がいて、席に着く前
「早く詰めて座って!」と叫ばれた。

私はあまりにムカつき、心の中で私は囚人か!!!とツッコミを
入れたのを覚えている。

あまりに屈辱的で・・・ その病院にはその日を最後にいくのをやめた。

2件目の病院は幸い、女医の先生もご自身が不妊治療されていたこともあってかすごく親身になって話を聞いてくれて心地の良い病院だった。

こちらでは排卵のチェックと排卵を促すお薬、タイミングの指導だけで
幸運にも不妊治療を始めてから1年後に無事に妊娠することができた。

そして長男が生まれたのが31歳の時。

ここまでだけなら、なんだ!この程度の治療で授かったのに大袈裟な・・・
と思った方も多いかと思う。

本当に大変だったのは次男の妊娠までだった。

それはまたしても私の変に楽観的な性格が仇となった気がする。

年も年だから次の妊娠まで特に避妊する必要はないけど、だからと言って
長男も自然妊娠に近い形で出産できたんだから、次も多少時間がかかっても
妊娠できるだろう!とかなり適当に考えていた。

しかもちょうど仕事も忙しい時期であったので子どもを真剣に欲しいと
いう気持ちも少し薄くなっていたのかもしれない。

そんな感じで気づいたら長男は3歳になってた。
同じく一人目の子が同級生のお家の家がすでに兄弟ができていたり、
お母さんが妊娠中だったり・・・といった感じで流石に私はあれ??
これはまた病院のお世話にならないと無理かも?と思い始めた。

そこでまた不妊治療専門の病院へ。
その時、34歳。
妊娠しやすい体質の人だったら特に問題がなかっただろうが・・・
加齢も伴いますます妊娠しづらい体になっていた私は以前のような
自然に近い治療法では全く結果が出なかった。

先生から高度な治療について考えてみて欲しいと言われて
説明会に参加し、高度治療を始める事にした。

ここでも私はまた楽観的だった笑
書いていても思うが、思った以上に楽観的な人間だという事に気づく。

「高度治療をすれば、流石にすぐに授かるだろう」


はい!残念・・・
ここからは本当に長い道のりでした。

続きます。

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