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作品を弔うという気持ち

東京都台東区、TX浅草駅からほど近く、長瀧山本法寺というお寺さんがあります。
1591年に建てられた後、1657年の明暦の大火(振袖火事)、1923年の関東大震災と2度焼失しながらも2度とも見事に再建。
400年以上の時が経った今もその白い面構えは江戸から東京と名を変えたの町の変遷を見守り続けています。
ここに台東区有形文化財に指定された一つの塚が建立されています。
この塚の名前は「はなし塚」



1941年、太平洋戦争が開始される直前、日本では次第に戦争の色が濃くなってきていました。
国家総動員法によって国民の持つ金属という金属を回収したり、食料の確保のため雑草や昆虫を食料となると新聞で紹介したり。
宝塚歌劇や少年少女の読む漫画雑誌などといったエンタメ類も戦争への士気を上げるために利用されたり、不謹慎だということで打ち切りにされたりと、国民の生活がみるみるうちに変わって行きました。

そうしていく中で今や伝統話芸の一種である「落語」も影響を受けます。
不謹慎であるとされた廓、遊里といった遊女の噺や、その当時統制されている酒に関する噺など53演目を「禁演落語」と国家によって位置づけられ、上演を禁じられてしまいました。(戦後の1946年に解除される)
中には「品川心中」「子別れ」「明烏」など僕も知っている名作と言われる噺もあり、当時の記事を色々見るとその戦争の空気も相まってとても落語がやりにくかったみたいです。

その禁じられた53演目を弔うために塚を建てて、その台本を納めた。
それがこの「はなし塚」というわけです。
僕でいえば楽曲や絵の魂を弔う、ということになるかと思います。
人によってはそんな人口創作物に魂があるなんてくだらないと片付けられてしまうかもしれませんが、何だか僕はわかるような気がするんです。
人前に出すために、そして人を喜ばせようとして自分たちが生み出し演じた根多。
人やジャンルによっては作品、自分の子供だっていう人もいますよね。
それがもしかしたら一生人前に出すことができない、生まれた意味を潰してしまうことにもなるかもしれない。
僕だったら何もしないではいられません。
そんな創作物をまるで人であるかのように大切にするという考え、何だか暖かくて素敵だと思うんです。



そんな規制をかけられた落語ですが、太平洋戦争の10年以上前、満州事変の時は逆に、戦場の兵士を励ますためにその他浪曲や漫才といった芸能分野とともに派遣され、そこで慰問公演を行なったそうです。

音楽もそうだし過去現代に限らず様々なエンタメ分野は、国の不測の事態が起きた時分などに「不謹慎」というキープアウトの黄色いテープを貼られてしまい、自主的に、公的に、または”自主的という名のもと”強制的に自粛させられてしまうことがあります。
確かに多くの場合、これらは衣食住のように直接的に人の生き死にに関わりはないと言えるでしょう。
重要度も二の次、三の次になることが普通だと思います。
でもやっぱり必要なものです。
無ければ…語弊を恐れず言うのなら、それで死んでしまうような人がいることも知っています。


僕ら演者の魂も、それを生きる糧としている人の魂も、そして作品の魂も。
塚で弔いなんてするより前に、誰かが悲しい涙を流すようになる前に、穏やかに一緒に歩んでいける世の中になってほしいと思います。

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