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"わるいもの"ってなに?

ものを作り出して、いざ発表をするとなった時必ず考えること。
それは「これはみんないいと思ってくれるかな?」という疑問だ。
楽曲はもちろん、イラストにしても何にしても発表する時には必ず思い浮かぶ。
「この曲の歌詞感動してもらえるかな」
「このイラストのここゾッとしてくれるかな」
「この小説の展開ドキドキしてくれるかな」
っていう風に。

その度発表の寸前で一度足を止める。
「どうかな、いいかな、やめとこうかな?」
それで考えてよし発表しようってなる時もあれば、ここやっぱり作り直そう、またはボツにしようってなることもある。

一度作品を受け取る側になって考えるっていうことは制作においてすごく重要な部分で、制作作業のうち一番長く時間がかかることもある。
まだオリジナルの楽曲を作り慣れていなかった時期はどうしたって判断ができなくて、出来上がった曲を1ヶ月も発表することができなかったこともあった。
今でも1週間くらい悩むこともあるし、曲作りを覚えて慣れて長さは少し変わっても重要な段階なのは今も変わらない。

ただその制作過程に最近少し変化ができた。
作品を完成させて。
さてどうだろうと考えて。
うーんいいかな悪いかなと短時間悩んで。
その結果時間をかけることなくぽいっと

"自分の曲だけどわからないから
誰かに聞かせて判断してもらう"
ようになった。

ありがたいことに音楽をはじめた頃と比べて仲間も増えたし、僕の活動を理解してくれる友達も増えた。
その人たちに「なんか僕はいいと思うんだけどよく分からなくなっちゃった、この曲どう?」ってすぐデータを送る。

聴いてくれる誰かが喜んでくれるかどうかを自分一人で判断することは難しい。
自分で傑作だと思って発表したらよくないと言われたり、ギリギリ間に合わせて悩んでいるうちにネットにupした曲をたくさん褒めてもらったり、そこはなかなか一致しない。
鏡なしで自分のことを見ることはできない、自分のことを一番よく見えているのは他人。
そんな言葉もあるけど本当にその通り、僕の作ったものを何のフィルターもなしによく見ることができるのは僕以外の人なんだ。

そしてその上で僕が思ったのは"いいものかどうかの判断は誰かに託す"ということじゃない。
むしろ逆。


"自分がいいと思ったものはいい"


ここでは"自分"と"聴いてくれる誰か"という2つで考えているけど、ここに存在するのは2人じゃない。
"聴いてくれる誰か"はたくさんいる。
ありがたいことにたくさんいる。
そのそれぞれにそれぞれの感性があって、好きな音楽も好きな色も好きな景色も違う。
その全ての人に愛される曲があるとしたら素敵なことだけど、必ずしも全ての人に愛される曲ということがいい曲ということの条件じゃない。
また僕が書きたいのはそういうのとは多分ちょっと違う。

「クロモのこの曲は好き、でもこの曲は好きじゃない」
そんな風にひとりの人にも好き嫌いが分かれてもいいと思う。
それにそれくらいそれぞれ違う色で突き抜けているものでいいし、僕はそれくらい違う色のものを作っていきたいと思う。

そうなってくると"聴いてくれる誰かにとっていい曲なのかどうか"なんて考えたらキリがない。
それにそんなこといい曲を作る上で大切なことなんかじゃない。
僕は自分でいいなと思った曲。
そして僕にとっての「僕」である仲間がいいなと言ってくれた曲。
これはもう"いい曲"でいいんだ。
色々な感性でもって聴いた時に好き嫌いがあったとしてもそれは変わらない。

これは僕に限ったことじゃない。
みんなが作る料理だってそう。
みんながした仕事だってそう。
みんなが描いた絵だってそう。
それぞれがたくさん考えて作り上げたものはもうすでにいいものだ。
あとはそれをたくさんの人がいいと言われたものが世の中でいいものと言われたりするけど、それは多分違う。
いい悪いじゃなくて"いいと思った人がたくさんいた"というだけ。
いいと思った人が自分だったり、少なくても誰かいたのなら、その人にとってそれは間違いなくいいもの。
もちろんたくさんの人がいいと言ってくれるものを作るということが目的の一つであるならそこを目指さなければならないけど、純粋にものづくりをする上ではさして重要じゃない。

自分がいいと思ったものを作る。
自分がいいと思ったことを信じる。
誰かに楽しんでもらえるように作ることは何より大切だけど、こっちも同じくらい大切なことだと思う。


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