系譜02

『魏志倭人伝』訪魏使節大使考察(雑)

(※有料設定していますが記事は全文読めます。あくまでも雑感です)

『魏志倭人伝』の原文と現代訳↓

http://www.eonet.ne.jp/~temb/16/gishi_wajin/wajin.htm

諸説ありますが、私は「難升米=梨津臣(=那志等美)」説で話を進めて行きます。

タジマモリ説が強いですが、彼は垂仁帝(11)に仕えた人なので「少し時代が遅い」と感じる。
梨津臣の子・聞勝が崇神帝(10)の頃「倭国の大乱」で功績を上げ褒章を得ている(=この時期に戦争が終結している)為、その一代前である彼が助力を乞いに行くのが時期的に「丁度いい」とか、まぁ色々考えると私は「一番妥当な人物」かなと。


……が、私はあくまで「作家側」の人間であり「歴史研究はシロート」なので。「拙宅設定」として受け取ってください。偉い人。

現代と隋代では随分発音が違う……!
「拘」は現代だと「ジュー」と読むみたいなのに、隋代だと「キョー」……!?

https://twitter.com/Chetpheng/status/957561728706887680

発音記号、殆ど読めない人なので自分の勉強の為にメモらせてください…!

「い(イ) いゃ(カ) ー(シ) きゅ(コ) おー(ヲ)」 

子音/s/の発音は難しくて、現代のように発音できるようになったのは室町時代くらいからなんだとか。
「カ」は「破裂音」(喉から発破する感じの音)なので「っいゃ」の「ゃ」を強めに発音すると「カ」っぽく聞こえるような気がする。

で、イカシコヲさんがどんな人かっていうと

平安時代の「藤原伊周・隆家みたいなポジションの人」と思って下さい。
当時は「中宮」の語は無いですが、平たく言えば「中宮の兄」です。

日本最初の「宿祢」を賜った「大矢口宿祢」が「外祖父」となって大きな権力を得ていたのがわかります。なので子供達も親に倣い、自分の娘を天皇(この時代は大王)の妃として嫁がせています。
伊香色許男はその三代目。

当時の中国は三国志の時代より少し後。
魏の国は曹操の孫・曹叡が継いでいた。

古代は大体「ふっくらした豊満体型」が「美人」とされていたけど、漢代は戦乱があったからか「細身の体型」が「美しい」とされた。眉も細い方が美しい(柳眉)とされ、オシャレな人は抜いたり剃ったりした。

……つまり「現代と美人の価値観が大体一緒」の時代。

そして「容姿の美醜が昇進にまで影響していた」らしい。

伊香色許男の「色許男」は「イケメン」と言う意味。

この時代のイケメンは「現代風のイケメン」!!!(二回目)

古代(遣唐使が廃止されるまで)の大夫選定の審査基準は

・教養がある
・家柄が良い
・行儀が良い(品性がある)
・容姿が美しい
……etc

だったそうなので、伊香色許男さんは充分にその基準を満たして居る訳ですね。勿論、梨津臣さんもこの基準を満たすに十分な家格の出身。

そんな訳で、まだ暫定ではあるのですけど

「掖邪拘」は「伊香色許男」かもしれないなぁ

と思ったのでした。雑感。

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