初夏に、「昭和と平成」の世界観を引きずり旧い「男」を押し付ける、「レベルの低いリベラル」に呆れつつ、歴史を少し語ってみる。
やっと「初夏」と言う感じになってきました。まだまだ、夜は寒く気をつけないといけないですが、夜窓をあけっぱなしにしてると緑のカメムシやらハチやらカナブンやら、たまにタマムシやらが蛍光灯を頼りに集まってくるので、なんとなく賑やかで楽しくなってくるのです。もうすく、短い間ながらカゲロウが来る時期になるのが楽しみですね。
※この文章ははてなブログにも掲載しますが、一週間〜10日をめどにして、一部以外は「投げ銭購入」しないと読めないようにしますので、お許しを。
さて、こんな、ハフィントンポストでの対談記事が話題になっています。
令和の時代が幕を開けた。バイアスのない世の中を実現するため、昭和、平成を生きてきた私たちができることは何か。#本音で生きよう 連載最終回は、男女の本音をぶつけ合う座談会を開催。仕事、家庭、社会において変わり続けるジェンダー観について語り合った。
(中略)
白岩 僕、最近考えていることがあって。男性の育児参加とか、家事をやる・やらないみたいな話題って、よくあるじゃないですか。でもそれはあくまでも表面的な話でしかなくて、本当は根っこの部分で「男性が女性に心を開いていない」状況が、問題の核心にある気がするんですよね。
というのは、もし本当に心を開いていたら、困っているパートナーをなんとかして助けようという気持ちが、もっと湧いてくると思うんです。女性への“思いやり”が出てこないのは、男性が大人になっていく過程で、女性に対して心を開きにくくなる構造があるんじゃないか。もちろん人にもよるんでしょうけど、男性が弱さを見せられなかったり、共有するのが下手だったりするのも、その辺りが関係しているのかなと。
石戸 男性も、規範というか、「男らしさ」みたいなものに縛られて生きている。そういうのも心が開けなくなる要因のひとつかも。
(中略)
田 今回の座談会で「男もつらいんだよ」という声がひしひしと聞こえてきて、考えさせられました。
白岩 でも、それを全面に押し出すのはダメだと思うんですよ。
石戸 そのとおり。
白岩 女性の方がずっと抑圧されて大変な状況にいるのは事実で、それを差し置いて「男だって、つらい!」と声高にいうのはおかしい。ただ、互いのつらさに耳を傾けずに、男対女の戦いで傷つけ合って溝が深まっていってしまうのは、やっぱり悲しいじゃないですか。男だけ/女だけの問題としてではなく、たまたま違う性をもって生まれた同じ人間の問題として捉えて、ともに乗り越えていけたらいいんですけど。
「レベルの低いリベラル」が、男は我慢しろと言う過酷な状況。
さて、これ自体はよくある「フェミニズム的な座談会」なんですが、問題なのは、石戸氏と白岩氏が男性であり、しかも載ったメディアがハフィントンポストという、リベラル側の大手ネットメディアだった。ということなんですよね。要は、「リベラルはこうあるべき」「社会はこうあるべき」と繰り返してるメディアで、「男性が大変なのはわかるけど、女性はもっと大変なのだから我慢しろ」ってやってしまった訳ですよ。
これが、所謂「保守」、右派側のメディアと文化人が言ってるなら、大した反発はなかったでしょうね。だって、彼らは元々そういう考えで凝り固まってるわけですから。ところが、そこを批判して対立している側も、おんなじようなことを別の理由出して言ってきた訳ですよ。これは、多くの「つらい思い」を強いられ・我慢してる男性たちからすれば、どうしょうもなく見放されたような感覚に陥れられるのは、火を見るよりも明らかな話で、そうであるがために、非難が殺到して「炎上」しちゃてる訳ですよ。
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