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皮肉なことに、「バンクシー展 天才か反逆者か」はBanksismを体現している

先日、こういう旨の相談を頂きました。

「バンクシー展 天才か反逆者か」を見に行きたいのですが、展示会の副題である「天才か反逆者か」という言葉が強すぎてアレルギー反応を起こしています。

掘り下げてみると、どうやら「バンクシーは天才とか反逆者という評価をされたい人ではなく、ただ主張したい人なのではないか?」ということのようで、そもそも落書きという媒体を選ぶ以上Banksyは自分の作品の保存を前提としていないはずではないか?という違和感があるそうです。

その上で、この副題についてどう思うのか、作品を残すことに重点をあまり置かない作家の描くものを展示として集めるとはどういう意味を持つのか、について聞かれました。

結論から行くと、この副題はとってもいいタイトルだと思います。そして彼の作品を展示として集めることにも価値があります。

※今日はバンクシーについてではなく、「バンクシー展 天才か反逆者か」についてです。悪しからず。

「バンクシー展 天才か反逆者か」について

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2018年からモスクワ、サンクトペテルブルク、マドリード、リスボン、香港の世界5都市を巡回し、100万人以上動員した展覧会です。
日本では、横浜 → 大阪 → 名古屋(現在) → 福岡 とめぐっているようです。

今回の展示の面白いところ
・Banksyはストリートグラフティを専門とするため、多くの作品は消されてしまう。そのため、この作品は数少ない個人所蔵の作品により成り立っている。
・本人は監修に携わっておらず、非公認の展示会である。
・展示会の最後に投票がある。

おさらい

Banksy知ってますか。Banksy。
割と有名なアーティストかと思います。

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このあたりがとくに有名ですかね。

Banksyとは?
イギリスを拠点に活動する匿名の芸術家。世界中のストリート、壁、橋などを舞台に神出鬼没に活動している。アート・ワールドにおいてバンクシーは、社会問題に根ざした批評的な作品を手がけるアーティストとして評価されている他、テーマパーク、宿泊施設、映画の制作など、その活動は多岐にわたる。バンクシーの代表的な活動スタイルであるステンシル(型版)を使用した独特なグラフィティと、それに添えられるエピグラムは風刺的でダークユーモアに溢れている。その作風は、芸術家と音楽家のコラボレーションが活発なイギリス西部の港湾都市ブリストルのアンダーグラウンド・シーンで育まれた。
(引用:バンクシー展 天才か反逆者か

ま、社会問題などを風刺する落書き書く人です。

ところでBanksyって何やってる人なんですか?

>社会問題に根ざした批評的な作品を手がけるアーティストとして評価されている

Banksyはその表現で有名ですが、国内ではなかなか何をテーマにしているかは知られていない気がします。

過去には過度な資本主義、暴力やテロ、人種差別、パレスチナ・イスラエル問題、児童労働といった社会問題に対する風刺を行っています。

私個人は、Banksyのテーマを大きく「中央集権的体制に対する批判」あるいは「為政者の抑圧」「権威性の否定」「自分たちでも認識できていないような束縛(認知バイアス)」と捉えています。
この辺の解釈は自由ですが…。

天才か反逆者かという副題(認知バイアス)

私が当初頂いた相談は「バンクシーは天才とか反逆者という評価をされたい人ではなく、ただ主張したい人なのではないか?」という旨のものでした。私もその意見に賛成です。
個人としては「天才か反逆者か」 より、「作品か落書きか」 の方が正しいと感じます。そもそも天才と反逆者は両立しうるものですし。

さて、改めて、この副題は意図的にバイアスをかけるような題だと思いませんか?

普段、代替の人はアーティストを天才↔反逆者という基準で見ていません。しかしながら、このタイトルを出されることによって私たちの評価は天才か反逆者か、の二軸にすり替えられます。

この副題によって、大衆はバイアスをかけられ、彼らは「バンクシーは天才か反逆者か」という問いを無意識に行ってしまうのです

前項で、私はBanksyのテーマの一つに、「自分たちでも認識できていないような束縛」があると書きました。このタイトルはそれを意識してつけられたのかもしれません。それこそ彼の批判していることなのですから。

天才か反逆者か、という投票(認知バイアスの強化)

この展示会、実はすごい特徴がもう一つあるんです。
それは、展示会の最後に投票があることです。

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こういう投票、私今まで見たことありませんでした。
改めて「天才か反逆者か」を投票で問うのが非常に恣意的じゃないですか。
今まで一度もそういう展示を見たことがないので、必ずなにか理由があるのだと思いませんか?

芸術界隈では当初は騒がれていました(そしてあまりいい印象を感じていないようです)、おそらく大衆は気にせずどちらかに投票するでしょう。
この投票は、最初から最後まで一貫した歪んだメッセージの中で展開されているのです。

展示会が非公認である(権威性への称賛)

さきほど、展示会の面白ポイントとして、
・本人は監修に携わっておらず、非公認の展示会である。
と書きました。これの何が面白いのでしょうか。

つまり、全ての作品が本物かわからないんですよね。
たとえどれだけ作品が本人らしくとも。

展示会を見に来た大衆は、作品の正当性ではなく、作品がBanksyという権威によって作成されたものっぽいことに注目しています。

以前も書きましたが、日の出ふ頭にかかれたBanksyらしき作品が都庁で展示されてました。

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しかしながら私は思うのです、作品そのものよりこの看板が素晴らしくないですか?
「バンクシー作品らしきネズミの絵」

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もう、バリバリに権威性に対する称賛ですよ。バリバリに。

今回の展示も、結果的にではありますが、権威性に対する妄信で展示会が成り立っています。

私のアンサー:これは良い副題である


ここまでくると、これはもう意図して付けたタイトルだし、意図して作った投票だと思います。

そもそもバンクシー自体が現代アートシーンの中から出ててきてますし、学芸員がちゃんとしたキュレーションして副題や投票をしている可能性もあるんじゃないかと。

実際:私の考えすぎでした

これは流石にキュレーターの意見を聞きたいと思って調べました。

「ただの破壊行動と言う人もいるが…」バンクシーの大規模個展プロデューサーが魅力を解説

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ただの自分の好きなアーティストが批判されたから怒ってるオタクの話じゃん…。

はい。萎えました。

さりとて、Banksismが体現されている。

この展示会が意図して構成されたものではないことがわかりましたが、さりとて副題や投票によって、展示会自体がよりBanksismを体現するようになっています。
トータルを考えると非常に良い展示、なのではないでしょうか?

是非皆さんも展示会に行って「作品を見て神妙な顔で『Banksyは天才か反逆者か…』とジャッジしている人たち」などを見てきてはどうでしょうか。

(結果として)それも作品として十分に成立していると思います。
うーん、非常に現代アート的ですね。この辺は盗めるアート展に近いです。

その他

今回書いてて思いましたけれど、私キュレーターできると思いませんか?
少なくともBanksy展のプロデューサーよりは面白い展示ができると思います。
興味を持っていただけたらどうぞよろしくお願いいたします。(?)

余談

バンクシーのプロがバンクシー展 天才か反逆者か 大阪をレビューしてみた!

ある意味この記事が良かったです。
この人はこの展示を他の展示に見劣りするものと主張しています。
なぜなら「他の非公式のバンクシー展に比べると、レアな作品の数が圧倒的に少なかった」からです。
眼からうろこです。そういう視点があったとは…(というか世の中そういう視点が大半でしたっけ)

バンクシーのプロは、現代アートのプロというわけではなかった…。
作品の価値を考えるのと、作品の意味は別の行為なのだなぁという気持ちです。

いただいたお気持ちは、お茶代や、本題、美術館代など、今後の記事の糧にします!