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ユージーン・スタジオ 新しい海 EUGENE STUDIO After the rainbowにゆく

東京都現代美術館 に行って参りました。最後に清澄白河を訪れたのは2015年。オスカー・ニーマイヤー展でした。リニューアルして建物もめちゃめちゃ素敵に。

お目当てはユージーン・スタジオ 新しい海 EUGENE STUDIO After the rainbow!インスタでフォロワーさんたちがこぞってUPしていたので、ずっと気になっていました。なので今回は、いつもお馴染みぐるっとパスはお留守番。Viva Video! 久保田成子展とセットのチケットで入館しました。※ちなみに楽しみにしていた「MOTコレクション Journals 日々、記す vol.2」はコロナウィルスの兼ね合いで休室。復活したら今回のチケットの提示で入館可能とのことです!大事に保管しておかないと。

ユージーンってお名前なんですね。ラプンツェルのキャラクターの名前を模してるのかと思っていました…(すみません)なんと平成生まれの作家さん。
そして、入ってびっくり。何もない白い絵が飾っています。

<ホワイトペインティング>シリーズ

実はこの、真っ白な作品、人々がキスした跡が重なっているという。この白いキャンバスは国や地域、信仰など様々な人や想いが交わった作品。今回の展示会について、寒川裕人さんはこう語ります。

想像する力は、無限である。自分にはわからないこと、みえていないこと、自分とは違うこと。他者が必ず共にいて、異なる意見、多数の視点が必ず存在している。そのことを少しでも、想像してみようとすること。その力。それは例えば、本質的な多様性への理解、共生につながるのだとも思う。想像の水平線は、はてなく続く。いま、想像という行為に、なによりも豊かな可能性を感じる。

ちょっと私も想像を膨らましてみると…”どんな想いでキスをしたり、どんな想いで作品づくりを手伝ったんだろう”と、ふと思った。昇進した、プロポーズがうまくいった…など愉しい面持ちで参加した人だけではなくて、昨日ケンカした、最近近しい人を亡くした…などいろんな人が作品に参加しているのだと思うと、私の目にはとてもただの白には思えなってきた。

そして次もびっくり。海が広がります。不思議な空間でした。

海底

そして、次もびっくり。地中美術館のモネの部屋を思い出す白さ、広さ。

ほっほーん。ここも白い作品ですか?とたかを括って近づくと、なんか違う。

淡いグラデーションによって多様な色彩が描かれている本作は、無数の点描からなる油彩画である。作家は個々の点を「人」と捉えており、個性のように微かに異なる色を一筆ごとに選んで、虹色の群像のポートレートを立ち上がらせた。カンヴァスの中でせめぎ合うように密接している点は、連なっているのかと思うと個々に独立し微妙な色差があり、全体を見渡すとレインボーになっている。<ミクスト・グレー〉は一瞬、淡いグレーのグラデーションにみえるが、やはり個々の点の存在に気づくと、こちらもレインボーに彩られていることがわかる。タイトルにも表れているように、それぞれの作品は国や地域、コミュニティを鳥瞰しているようで、個と集団、存在の差異と類似などへ思考を巡らせる契機を与えてくれる。

<レインボーペインティング>シリーズ

説明文を読んで、たしかに。本当だ、レインボーだ!!そして、点たちを見て思います。この点を人だとすると、やっぱり個人だけどだれかと隣り合ってる。人は人と離れられない。だけど横に誰かがいるから個が際立つ。そして、大勢の中でも個って消えない。いろんな人がいても自分の存在って大切だし、いろんな人がいるからこそ素敵な存在になっていくんだろうなと感じた。

お隣の部屋に移ると、想像#1man という作品の解説に 

ひとによって、想像する像は異なるようだ。それは仏像的なものでもあれば、あるいは粘士の像、もしくは大理石、冷たい石――それから大きい像、小さい像――これは、その人が過ごしてきた人生にもよるのだと思う。

という記載がありました。最近私がよく出会うような表現でした。本当に1人ひとり置かれた環境によって、同じ経験をしても、となりの人と感じることは全く違う。当たり前なのに「普通はさ〜」なんて言葉多用して「たしかに〜。」なんて簡単に相槌打っちゃうけど、普通ってなんだ?何を持って普通なんだ?ふと思いました。ちなみにこちらの作品は整理券で見るそうで、見れませんでした。体感をもって、実感してみたいです。

不思議な空間。チェスの頭脳分析とドラムの共鳴・共振現象によってスポーツの構造を再構築したそう。

あるスポーツ史家の部屋と夢#連弾
私にはすべて光り輝いて映る

そして、次の部屋へ。

私は存在するだけで光と影がある

こちらの「私は存在するだけで光と影がある」という作品。私の心がとっても震えた作品でした。

"一枚の絵を折り曲げて、太陽にあてると、光と影ができる。光が当たるところは退色し、影の部分は守られる。抽象画のようなこの作品は、「絵そのもののみで」絵が作られている。"

すごい簡単に言ってしまえば、色を変えているわけではなく、ただ折って、日光を当ててできた作品。どんな自分も自分。暗い時も明るいときも。たのしいときも辛いときも。全部わたしだから私らしく、私を愛そう。と、あくまでも私は感じました。素敵of素敵!!すぎて言葉が出ない。

この世界のすべて

この作品どのように構成されているかというと…

本作品は1面体から120面体のサイコロから成るもので、この場で転がされた状態で置かれている。出た目の数、偶発的なものであり、日々、サイコロは振られるため、ニ度と同じ状態になる日はない。くこの世界のすべて〉が偶発的、奇跡的な要素によって構成されることを再考する時、日常への視線を改めざるを得なくなるだろう。

私たちが出会うのも、今日起こることも本当に奇跡だなぁ。一期一会を体現されておる。個人的にこのお部屋が好きすぎて。ここをずっとうろうろ。

物語の整地

そして、最後から2つめ。

ゴールドレイン

闇の中で金箔と銀箔が降り注いできます。作者は「生と死の澱、生命のよどみのように見える」と語っていますが、私は見ていて儚くて胸がギュッとなりました。何を思い出しただろうなぁ、なんか涙が出てきそうになり。というか、守ってあげたくなるような。それでいて美しい。積もったら大成しそうな。実は強さが見えるように私は感じました。

最後の部屋は「夢」という映像の作品です。ドビュッシーの「夢想」を用意してあるヘッドホンで聞きます。素敵なクラシックが流れる中で、共通点のないような二人が、ピアノを弾く様子が映し出されます。そこには、

夢は、現実とは異なり責任や実態を伴わないため、不特定多数の人々と共有できると思われがちだが、そのあまりにも多様な広がりが予測をはるかに超え、時には自らの夢すらも制御不能に陥る。共通しているのは存在に結ばれているということのみであり、個々の深度と振幅は無限の広がりを持つことを象徴する作品である。

夢の中の自由さは寝てる時だけじゃなくて、覚醒しているときでさえ、もっと自由でいいよね!と思った。改めて作品と向き合う時間の大切さを感じたとても有意義な時間でした。

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