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「語りの複数性」@東京都渋谷公園通りギャラリーにゆく

天気がなんとか持ってくれたので、yahoo雨雲レーダーを見ながら移動(笑)こないだ買った【ぐるっとパス】を使って、自転車で松濤美術館→渋谷公園通りギャラリー→漱石山房記念館を巡ってきました。2500円が定価のぐるっとパスですが、もう今日時点でオペラシティギャラリー(1200円)+松濤美術館(1100円)+漱石記念館(300円)でもう元が取れました!!お得ですね☆

さて、1番心が震えた東京都渋谷公園通りギャラリーの思い出から書き連ねていきたいと思います。自転車で渋谷PARCOの8階の駐輪所に停めて、てくてく🚲

今やっているのは「語りの複数性」という展覧会です。大森克己、岡﨑莉望、川内倫子、小島美羽、小林紗織、百瀬 文、山崎阿弥、山本高之(敬称略)の作品に出会うことができました。

▼展覧会パンフレットはこちらから

展覧会では物の受け取り方の多様性を感じることができます。もっと詳しくパンフレットで説明してくれているので抜粋。

見ることや聴くことは、受け取る人がその存在を捉えてはじめて成立するという意味で、その人が語ることでもあります。物事をうけとり表現する方法は、ひとつではありません。視覚を使わずに見る人、手話を使って話す人がいるように、人の身体だけ、”語り”はさまざまに存在します。それは、限られた人の特殊な方法ではなく、本当は誰もが持っている、自分と異なる他者や物事とともに生きるための能力と言えるでしょう。

「語りの複数性」展覧会パンフレットより

中でも、遺品整理の会社で働く小島美羽さんの最期の場所を作った作品。テレビで見たことあったから本物を見れてワクワクしました。「あーこれだ!」と。

でも、今回の展覧会がわくわくしたのは、最初にお部屋でした。写真家 川内倫子さんの《はじまりのひ》が迎え入れてくれます。係員さんから言われた「触れますので〜」の言葉にとても驚きました。

視覚障害をお持ちの方と一緒に作り上げる美術鑑賞とのことで、最初は目が見えない人が感じる作品って「ああ、こんな感じかあ」と思うくらいでした(正直)ただ、解説と後方にある動画を見て感動しました。本当に「 心 が 震 え た 」

あるゆる物語は、ひとりでに語り出すわけではなく、受け取る人がその存在や意味を捉えてはじめてそこに現れるという意味、その人が語ることでもあります。語りとは、そもそも可塑的なものです。身体や精神の状態、環境や過去の記憶、人間関係など、さまざまに不確かな要素の影響を受けています。…近代以降、自己という概念は同一性を持つものと考えられ社会では、個の中の揺らぎや矛盾は一旦ないものとして大掴みに扱われてきました、それはしばしば、人種や性別、障害などの属性に対するステレオタイプや偏見を生んできました。しかし、それらの属性は個を構成するほんの一部に過ぎず、感覚や記憶、経験など、人によって異なる要因に影響を受け、私たちは属性ではくくることのできない個別の身体を育んでいます。

館内パネルより

まとめると、よく受け取り方・感じ方なんて「一人一人ちがう」とは言ったものですが、それをずどんと、「これかああ」と雷に打たれた気分だったんです。

展覧会で同じ時間に同じものを見て、仮に心が震えたとしても、どう、どの箇所に心が震えたか…なんて、同じ年数、同じ地域で、同じコミュニティで、経験したとしても、バックボーンも違うから、一緒なようで全然違う。よく「障害は個性だ」とか聞いたことがあって、綺麗事で行け好かないと思っていたが、障害の有無は関係ない、五体満足の私が言うのは失礼だけど、ぶっちゃけみんな障害があるようなもんだなと思った。

  「語りの複数性」展もまた、ひとりひとりにとってそれが唯一であると感じている世 界を、少しだけ忘れてみることからはじまる展覧会、と言えるかもしれません。

「語りの複数性」展 公式サイトより

館内で再生されていた動画で「五感で体感することは想像を頭でひろげる」と言ってました。でも経験したことないことを想像するのはフィクションだと。辛さも嬉しさも本当の意味で共感するのは、とても難しいことだなと思いました。

それと、館内の動画で「蒟蒻問答」について話が上がっていました。

蒟蒻問答とは…

落語の「蒟蒻問答」から出たことば。にわか坊主になった、こんにゃく屋の六兵衛が旅の禅僧に禅問答をしかけられて、禅のことばをこんにゃくの出来具合だと思い込み、とんちんかんな返事をするが、結局は禅僧を言い負かしてしまうという話。

https://dictionary.goo.ne.jp/word/蒟蒻問答_%28四字熟語%29/ より

お笑いなら漫才でもそうだし、アンジャッシュのすれ違いコントみたいに面白いけど、日常のミスコミュニケーションって、実はこんなことが往々にして起こっているんだと思う。

彼女の「ねえ、私の話聞いてる?!」「そうそう」というやりとりも、実は、考えている本当に根の部分は違かったりするんだろうな(笑)

まとめると、
・コミュニケーションは思っている以上に難しい
・一人ひとり違うから、良いんだよ!むしろ自分の考え方オンリーワンだよ
・一人ひとり違うから、色々な人の思うこと聞いてみたら楽しそう
 でも、それを否定する必要はないな!!

という学びを得た展覧会でした☆

有意義です。


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