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59arts|青森 現代アートに出会う旅 2 十和田市現代美術館

人生で一度は行ってみたい美術館、そのひとつが十和田市現代美術館です。花の馬(チェ・ジョンファ《フラワー・ホース》2008)は、観光パンフレットなどでみたことがある人も多いのではないでしょうか。


十和田市現代美術館

十和田市の官庁街通り全体を美術館に見立て、アートの展示やプロジェクトなどを行うまちづくりプロジェクト「Arts Towada」計画の中核施設として、2008年に開館。美術館スタッフや顧問、建築においても錚々たるメンバーが集結した、日本屈指の現代アートの美術館(しかも市立美術館)となっています。

展示エリア

手前が大森達郎《鞍型歴史案内板》、奥が草間彌生《愛はとこしえ十和田でうたう》2010

企画展示室もありますが、十和田市現代美術館のメインは常設展示! 作品は美術館の建物内や屋外のほか、まちなか常設展示、ベンチとして利用できるストリートファニチャーと、まちなかに点在しています。

十和田市は、かつて旧陸軍軍馬補充部が設置されていた「馬の街」で国内3大馬産地のひとつでもありました。美術館のある官庁街通りは「駒街道」という愛称で親しまれ、馬をモチーフにしたオブジェも多く設置されています。
よくある行政が設置したブロンズの彫刻群と侮るなかれ。まちの歴史を象徴するモチーフ、日本美術や西洋美術でも重要なモチーフのためか、作家の感性や腕前が伝わってきます。(と言うか大森さんの作品がすごい)

アカデミックな美術と現代アートが、お互いを引き立てあっていました。

美術館

奥の壁画は奈良美智《夜露死苦ガール2012》2012

作品ごとに「アートのための家」として専用の展示室が与えられ、各部屋をガラスの廊下がつなぐ形になっています。

手前の花壇のようなところは、「AOMORI GOKAN アートフェス 2024 メイン企画 野良になる」の一作品だと思うのですが、ツアーで用意してもらったチケットで鑑賞できるかわからなくて見逃しました。とても気になる内容だったんですけど。

ロン・ミュエク《スタンディング・ウーマン》2007

チェ・ジョンファ《フラワー・ホース》と並ぶ美術館の名物が、この《スタンディング・ウーマン》、身長約4mのおばあちゃんです。

乳房やお尻の垂れ具合がリアルで、シワの深い厚みのある皮膚に食い込んだ指輪は窮屈そう。ワンピースの薄くて肌触りの良い感じも伝わってきます。憂いを帯びた重苦しい表情は、彼女の過去に何かあったのではと観る者に思わせます。

マリール・ノイデッカー《闇というもの》2008

展示室に突如現れた夜の森。自然史博物館の展示のようなジオラマは、奥行き10m、幅6m、高さ5m、実際に森で樹木をかたどって制作しました。

ウェブサイトの写真は明るくて、地面に散らばる木の枝や倒木、地面の起伏がわかります。ですが、展示室には光源としてライトがひとつあるのみで、鑑賞者は目を凝らし、徐々に暗闇に慣れてきた視界で、息を潜めるように森の様子を伺います。
最近はクマの被害も多いですし、自然の脅威は洒落にならない怖さですよね。

山極満博《あっちとこっちとそっち / ぼくはきみになれない》2008

中庭や建物の間、エレベーターの中など、美術館の隙間空間にポツリと佇んでいるのが、山極満博さんの「あっちとこっちとそっち」という作品群。

山極満博《あっちとこっちとそっち / ひとつはふたつ》2008

氷漬けのマーモットやコンクリートの側溝に走る道路、風船といったものから、鑑賞者は自由にストーリーを紡いでいきます。
ふと目を向けた先に、思わずふふっと笑ってしまう光景があって、エネルギッシュな作品が多いなか、良い緩衝材になっています。

レアンドロ・エルリッヒ《建物―ブエノスアイレス》2012/2021

床面にビルの正面、上部に斜めに巨大な鏡が設置され、鏡に映った姿を写真に撮るというレアンドロ・エルリッヒの作品です。
鑑賞者はビルから落ちたり窓の柵に捕まったりと、思い思いのシチュエーションを演じてカメラに収める、非常に発想力が問われます。

2017年に森美術館で開催された個展でも大人気でしたが、こちらは地方で平日ということもあり貸切状態! みなさん交代で写真を撮られていました。

まちなか常設展示

まちなか常設展示の作品は、道路を挟んで向かい側のアート広場と、少し歩いたところに2作品があります。

インゲス・イデー《ゴースト》(左) 《アンノウン・マス》(右)2010

これもキャッチーな見た目ですね。左は高さ8mの《ゴースト》、右の建物はトイレで、銀色の垂れ下がっているものが《アンノウン・マス》という彫刻です。
トイレの中から見ると《アンノウン・マス》には目があり、トイレを覗いているのだそう。お前、かわいいお化けだから許されるんだぞ!

解説には「お化けや幽霊はふつうは目に見えませんが、私たちの想像の中ではさまざまな形をなし、上から布を被せればお化けの姿を覆うと同時にどんな形をしているか知ることができます」「彫刻全体に詩的でアニミズム的な性格をもたらすのはこの「目」です。《アンノウン・マス》はそれを気づかせる仕掛けでもあるのです。」とあります。

アーティストの想像力に布を被せて可視化したものが作品であり、たったふたつの丸や穴があるだけでキャラクターが宿る。何かちょっとしたことで素敵なものができるのだなと感じました。

ニュー-テリトリーズ / R&Sie(n)《ヒプノティック・チェンバー》2010


これは(半)野外で映像を使った常設作品ということで驚いてしまったもの。

「粘菌が作り上げたかのような有機的な形状の空間」(解説より)という、癒着した人体の一部のような構造物の中に入ります。中には小さなモニターがあり、おじさんの顔がずっと映し出され、「力を抜いて、何も考えないように」「自然に体が動いてしまっても気にせずに」と瞑想に誘うような音声が流れています。
このまま聞いていたら、空間に取り込まれてしまいそうでした。

目[mé]《space》2020

空き屋の2階部分に、ガラス張りの真っ白な空間が埋め込まれています。このようなニュートラルな空間をホワイトキューブと呼び、多種多様なアート作品に対応できるため、特に現代アートの展示を想定する美術館に採用されています。
このまちに長く存在して風景の一部となっていた建物に、脈絡もなく現れたホワイトキューブは、まちの新たな風景の一部となり得るでしょうか。

この建物は現代アートチーム 目[mé] の作品であると同時に、美術館のサテライト会場でもあります。

企画展「尾角典子 #拡散」

モニターには展示会場である《space》のイメージ(画像)と解説文があり、それを機械音声で読み上げているようですが……バグっている?

これはアーティストの尾角典子さんが、小説家ウィリアム・バロウズの「Language is a virus from outer space(言語は外部から来たウイルス)」という一節に着想を得て制作した体験型インスタレーション。
隣のマイクに名前を吹き込むと、その名前が一文字ずつ解説文に紛れ込み、それに合わせてAIが新たに《space》のイメージを生成します。声を吹き込むことで、イメージと解説文に、任意の言葉をウイルスのように感染させるという趣向です。

試しに自分の名前を吹き込むと(うまく認識してくれなくて「あんな」になっていますが)、まず新たな文字を組み込んだ解説文を機械的に朗読した後、その解説をオペラ調で歌ってくれました! (曲調も都度変わるようです)

これは雨の中、頑張って歩いた甲斐がありましたね。

ストリートファニチャー

まちとアートをつなぐプロジェクトにおいて、ベンチにもなるアート作品をつくるのは定番の手法です。アート=異物としてユニークな光景を演出する狙いもあり得ますが、まちの風景に溶け込み、まちの人々に親しみを持って利用されることも大事な要素となります。

十和田にある7点のストリートファニチャーは、どこか気になってしまう存在感のものが多いようです。

劉建華(リュウ・ジェンホァ)《痕跡》2010

官庁街通りに大きな枕が置かれています。少し凹んでいるので、誰かが寝転がっていたのでしょうか? 誰のですかね、座っていいです??
ためらいがちに座ったら、誰かの温もりが感じられるかもしれません。

近藤哲雄《ポット》2014

こちらはベンチにしたり、花壇にしたり花瓶にしたりと、マルチユースなポット。奥に見えるのは作品ではなく土嚢です。

現代アートをずっと鑑賞していると、「これも作品かな?」と思ってまじまじと見ちゃうこと、ありますよね。土嚢です。

道路のポールも馬

悪天候とバスの時間を気にしながらで、全ての作品は見られませんでしたが、美術館とその周辺を散策してきました。
市役所や病院といったお堅い施設の多い通りでしたが、現代アートは悪目立ちすることもなく、たくさんの彩りを添えていました。

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