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8arts|国立映画アーカイブ

国立映画アーカイブは、日本で唯一の国立映画専門機関です。その活動は1952年より国立美術館の映画事業として始まり、1970年に東京国立近代美術館の分館として開館、2018年に独立行政法人国立美術館の6番目の館として設立されました。
頭に三角窓をつけた印象的なファサードを持つ7階建ての建物には、展示室と上映ホール、図書室を備えています。

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常設展では、カメラや台本、実際の映像作品など豊富な資料を眺めながら、日本映画史を学べます。

展示室に入ってまず目を引いたのが、古い映写機やキャメラでした。下の写真(1枚目)は、江戸時代からあった「写し絵」に使われた道具です。木箱の中に絵の描かれたガラス板を仕込み、後ろから油皿に芯をさした灯で照らして映し出します。こんな『キテレツ大百科』に出てきそうな道具がプロジェクターとして使われていたんですね……。ヨーロッパでもマジック・ランタンという同様の仕組みのものがあり、2018年に東京都写真美術館で展覧会も開催されていました。
1900年前後に映画が伝来し、1910年には木製の箱形キャメラで撮影が行われるようになります(2枚目)。こんな千両箱のようなもので映像が撮れるんですね……。キャメラや映写機というと精密機器のイメージがあるので、木製のものがあったのかと、かなり衝撃を受けました。

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1910年代に撮影された映画は、演劇色の強いものでした。日本初の映画スターは歌舞伎俳優の尾上松之助でしたし、女性の役は女形が演じています。内容も「忠臣蔵」など時代劇が人気でした。この頃はまだ白黒で音声もついていないサイレント映画です。白黒なので、役者には隈取りをしっかりつけてコントラストを際立たせたメイクが施されていました。その映像に合わせて活動弁士がナレーションをつけ、人気の活弁士もいたそうです。
1920年代になると、映画の近代化を目指す「純映画劇運動」が起こります。女性役には女優を採用し、活動弁士によって補っていた会話や状況説明を字幕で解決しようとしました。この時期から、より映画的な表現が追求されるようになります。
そして、1930年代には音声の入ったトーキー映画に移行、1951年には日本初の長編カラー映画『カルメン故郷に帰る』が発表されました。
映画が現代のような形になるまで、この技術と表現を模索してきた歴史には、映画人の情熱を感じます。

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実写映画だけでなく、アニメーション映画にも言及されています。
展示室では、現存する日本最古のコマ撮りアニメーション『なまくら刀』(1917)を観ることができました!一度観てみたかったのです。人物や背景は切り絵のようで、腕や物だけがクルクルと動き、あまり重力や質量を感じさせません。子ども向け番組の童謡のコーナーで色紙でつくられた人形が動く映像があると思うのですが、まさにそのような動き方です。
この時はまだ個人や少人数で製作されていましたが、1950年代後半からは、劇場向けの長編アニメーションがつくられるようになり、アニメーションが産業として発展していきます。

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映画は門外漢で、個々の展示作品については残念ながら消化しきれませんでした。しかし、日本映画史の概略を豊富な資料を目の前にたどれるだけでも、十二分にお腹いっぱいになれました!



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