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9books|藤子・F・不二雄「ミノタウルスの皿」(1969)

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「ドラえもん」「パーマン」といった子ども向けマンガを描いてきたF先生による、初めての大人向けSF短編マンガ。現在『藤子・F・不二雄SF短編コンプリート・ワークス』として、新しい全集が順次刊行されています。

会話のできる動物を食べる

「ミノタウルスの皿」では、牛のような動物「ズン類」が惑星の支配者となり、人間のような動物「ウス」を家畜やペットとして生活をしています。地球とは人間と牛の立場が逆なのです。ただし、本作では「ズン類」と「ウス」は会話による意思疎通ができます。

ある動物が他の動物を食べる道理とはなんでしょうか?

食物連鎖によって捕食する側/される側の立場はめぐります。草食動物は肉食動物に食べられ、肉食動物のフンや死骸は植物の栄養となり、草食動物と餌となる。
写真家・宮崎学さんの個展で連作〈死を食べる〉をみて、それは単なる一つの輪の循環ではなく、いくつもの立場の異なる生物がさまざまなフェーズで影響を与え合いながら、共同で環境をつくっていくことだと知りました。

そこまでは納得できるのですが、明確に意思疎通のできる動物を、食べることができるでしょうか? そういった存在に人間が食べられることに納得するでしょうか?

人間とは違う存在を同等に扱う

「ズン類」と「ウス」の間には、食べる/食べられるという扱いの違いはあっても、下に見ている/上に見ているという上下関係はないようなのです。
同じ言語で会話ができる、同程度の知性や感情、人格があるのならば、自分たちと同じ扱いをしてもいいのではないでしょうか。

近い将来、ロボットやアンドロイドが人間と同程度の知性をもつ時が来るでしょう。人格まではわかりませんが。
その時、人間は彼らに自分たちと同じ権利を与えるでしょうか? 人間が造る存在ならば人間の支配下に置くべきでしょうが、ロボットがロボットを造れるようになったらどうでしょうか?

50年以上前の作品ながら、いまだに考察の余地があるばかりか、どんどん議題が増えていくばかり。けれど、本作の結末はあまりにもあっさりしています。

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