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28arts|ユージーン・スタジオ 新しい海 After the rainbow 特別上映(東京都写真美術館)+特別鑑賞会(東京都現代美術館)

1月10日にアートEC&コミュニティサイト「ArtSticker」が開催した、「ユージーン・スタジオ 新しい海 After the rainbow」の特別上映+特別鑑賞会(無料)に参加してきました!

ユージーン・スタジオ 新しい海 After the rainbow」(東京都現代美術館、2021年11月20日〜2022年2月23日)は、日本を拠点とする寒川裕人(かんがわ・ゆうじん)さんのアーティストスタジオ「ユージーン・スタジオ」の展覧会です。
ユージーンさんっていうアメリカ人が主宰しているアメリカのスタジオかと思いますよね。裕人さん(アメリカ生まれ)なのか。
本展は、ユージーン・スタジオの国内美術館における初個展であり、現美で平成生まれの作家が個展をするのも初だそうです。
30歳前半で現美で個展できちゃうんですね! すごいなあ。

特別上映@東京都写真美術館

特別上映では、東京都写真美術館の1階ホールにて、寒川さんが制作した短編映画2本を鑑賞しました。座席190席・車椅子席3席と小規模ですが、すごく観やすいホールです。
両作は現在、各種映画祭で選考中につき一般公開されておらず、今回のイベントに際して特別に上映されました。ネタバレしないように感想言わないと。。。

「SANSUI LLAFRETAW」は、東北地方にある山岳信宗教の参道を、モノクロで撮影した作品です。実写作品ですが、自然が風景ではなく登場人物として観客に雄弁に何かを語りかけてきて、アニメーションのようにも思えました。

「Purple, Green, Blue」は、アフリカンとアジアンのふたりの父親、盲目の養子という家庭の一瞬を、アメリカ・中国・日本の合同クルーで撮影した作品。
マイノリティの詰め合わせのような設定(と考えるのは自分でもどうかと思うのですが)に社会派な内容を想像しますが、終始キラキラした美しい映像で、心の通い合った家族の交流が描かれています。

担当学芸員さんの話によると、寒川さんは目にみえる/みえない、良い/悪いといった対の概念やさまざまな存在が共にあるという意味での「共生」をテーマに作品を制作しているそうです。そのルーツは阪神淡路大震災、9.11、3.11を経験したことにあり、それはアーティストにとって戦争体験に匹敵するほどの影響力だろうと推測されます。
「SANSUI LLAFRETAW」では光と闇が同時にあり、「Purple, Green, Blue」では、彼らのいる場所は世間からは日陰にみえるかも知れないけれど、視点を変えてみるとあたたかく眩しい日向だった。それがテーマだと一概に言いたくない、もっと懐の深い作品ではあるのですが。
どちらの作品も、場面設定や人物の属性が特徴として前に出ることなく、光の眩しさや水の冷たさ、パサパサとした花の感触、鬱蒼とした森の匂いといった五感を刺激する映像で構成され、言葉で表現することの難しい何かをひしひしと伝えてきます。

「Purple, Green, Blue」については、作品から逸れた自分の感慨になってしまうのですが、社会制度や世間の空気によって、こうした人々の思いが潰されてしまうことがあってはならないと思いました。

特別鑑賞会@東京都現代美術館

特別鑑賞会には、ユージーン・スタジオの寒川さんが登場! 美術館の閉館後に、寒川さんの解説を聞きながら作品を鑑賞していきました。
限定公開の短編映画2本と作家直々の解説付きで閉館後に展示をみるツアーが無料だなんて、破格のイベントですよね。

さまざまな都市で人々に接吻してもらった白いキャンバスの作品《ホワイトペインティング》シリーズ、淡い色をした無数の点を人と捉えて群像を描いた《レインボーペインティング》シリーズ、スタンリー・キューブリックの映画『2001年宇宙の旅』(1968年)の終盤に登場する部屋を原寸大で再現して破壊・焼失させた《善悪の荒野》など、普遍のなかに個の歴史を刻むような作品が並びます。

印象に残ったのは、《海庭》という作品。東京都現代美術館が、かつて海だった場所、海沿いで海抜の低い場所に建てられていることを受けて制作されました。
吹き抜けの空間に白い砂と水を湛えた水槽が広がり、周囲は鏡で囲まれています。合わせ鏡の効果で作品と鑑賞者しか目に入らない空間は、時代性や場所性が特定できない、時空から切り離された場所の光景にもみえます。遠く水平線の向こうに参加者の列が映り込み、狐の嫁入りか葬列にでも遭遇したような不思議な気持ちになりました。

寒川さんのお話には、ユージーン・スタジオの作品を鑑賞する手がかりとなるポイントが2点ありました。一つは、作品が成立するにはモノとしてあるだけでなく、視覚からの刺激が鑑賞者の脳で処理されてはじめて作品が成立すること。もう一つは、作品は動かなくていいということです。
「作品は動かなくていい」とは、同じ作品でも、時間を経ることで感じ方が変わることがある。つまり、変わらない作品を通して自分の変化に気付けるということです。だから、作品や表現を時代に合わせる必要はないという、作家の気付きでもあります。

鑑賞って奥深い

作品はどれも表現が洗練されていて、説明を読んだり想像したりと鑑賞者自ら「鑑賞」することを意識しないと、ただのおしゃれでスタイリッシュな展示に思われてしまう危険があると感じました。
作品だけでなく解説を踏まえて鑑賞しなければ、意図や魅力が伝わりづらい。
そこが、現代アート、特にコンセプチュアル・アート(アイデアやコンセプトに重きが置かれたアートのこと)の弱点になってしまうのかなと思いました。

もちろん、作品解説に囚われすぎてしまうのもよくないですし、コンセプチュアルじゃない作品だって美術史や歴史、神話、文学のような知識がないとしっかりと鑑賞できない場合もありますし、鑑賞者のみる眼(アートに限らず)がどれほど養われているかも関わってくるのですが。

そうした「アートを鑑賞する」とは何か、自分は十分に鑑賞ができているかを自分自身に問う、いい機会になりました。

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