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「獸(JYU)」に関する走り書的覚え書

執筆:野村純平

備考:この小論は2024年4月27日〜5月6日にかけて行われた展覧会「獸(JYU)」の直後に私が覚書として書いたものである。備忘録としての有り様を損なわせぬため、少々の加筆修正を施しているものの、論旨全体の大枠はそのままの形でここに提出される。また文章内の写真は私自身の撮影による[編者註:画像は後日追加]。 

・・・浅田さんが滑稽といわれ、多木さんがブリコラージュといわれましたが、だから、確かに、いわゆるニューエクスプレッショニズムっていうのは、新たなレヴィジョニズムというか、むしろ歴史から疎外され、その知識も充分でない幼児のような素人が、にもかかわらず過剰に自分の参加できない「歴史」を意識して、そこに入り込もうと、素手で必死に格闘しているって趣がありましたね。いわば子供のような暴力的なナイーヴさで歴史を誤読してしまうというところが、ドイツに限らずイタリアのクレメンテなんかでも、まあ面白かった。・・・

「物質的アレゴリー: キーファーを神話化から奪回する」『ユリイカ』第25巻, 第7号(1993年7月).
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1993年7月号のユリイカ「特集 アンゼルム・キーファー」誌上で行われた多木浩二、浅田彰、岡﨑乾二郎による鼎談の中で岡﨑が発した会話内容の一部である。展覧会「獸」を観て回る中、この鼎談が思い起こされた。歴史が宙吊りになった冷戦期終盤に登場した新表現主義と括られる動向 ーー誇張的な構図と作品の醸す物語性によって観客を魅惑し、時には崇高さを帯びて(高度消費社会の只中において、勿論それは全てが戯画化あるいは戯画的に解釈され超越への到達不可能性を全面に帯びた余りに貧しい崇高なのだが)作品然とするーーその影を、「獸」は露骨に漂わせるのである。

Gillochindox☆Gillochindae(以下GCD☆GCDと簡略、ギロチンと言表されている様だ)のディレクションする「獸(JYU)」というアートプロジェクトの3回目「獸(第2章 / BEAUTIFUL DAYDREAM)」が開催されていた。(詳細は以下https://bijutsutecho.com/exhibitions/13575

一応、初回「第0章/交叉時点」と二度目に行われた「第1章/宝町団地」共に足を運んだ者という点からのみ、簡潔に本展の備忘録をここに残しておこうと思う。

今回で、今までからこれから先の展覧会の方向性、一体「獸(JYU)」とは何なのかということがある程度こちら側にも解るようになったのだと思う。端的に言って、それはGCD☆GCDによる自身の私小説的プロットを下敷きに、そのナラティブを現時点で可能な限りのスペクタクルへと3次元的に置換し、アートの名の下にそれらを表象するプロジェクトである。しかしこう簡潔にまとめてみると、このプロジェクトには根本的な欠陥が多方向に孕まれていることが分かる。この小文は、その間隙を大雑把にスケッチすることを目する。

「獸」を構成する要素を3方向に分解すれば、そこに並走するバラバラな諸形態が明らかになる。「私小説」というナラティブ、「スペクタクル」な形に可視化されたビジュアル、そして「美術/作品」という形式、である。しかし、この3つの要素は、美術展覧会として提示されさえすればそれらがそのまま直接的に統合されるものでもない(福尾匠の言葉を借りれば、それこそが悪しき「展示フォーマリズム」に他ならない)。むしろ、近代美術から現代美術への変遷における教科書的な常識においては、それらが互いに相反する様相を示していたことをまず我々は健忘するべきでない。20世紀初頭のフランスで起こった主に絵画領域を中心にした視覚性の解体が目指された営み、戦後アメリカで思想的、経済的背景によって裏打ちされた美術作品が(批評的言説とともに)「自立性」という目的に沿って自己純化していった過程(勿論、GCD☆GCDの戦略的参照項であろう村上隆はこの過程で生まれた「平面性」というジャーゴンを日本的な形に「スーパーフラット」として歪めポストモダニズム潮流を支えにアメリカに逆輸入したのである)。そして、神話など土着の物語的要素や作品のスペクタクル性は崇高的なものへと還元され、マーク・ロスコやバーネット・ニューマンなどの達成に至る。

さて、ここでなぜ「近代」的な美術の変遷を俎上に載せておくかといえば、それはGCD☆GCDの採用した「私小説」という物語形式(数多ある物語形式の中から採用されたはずのそれ)が、全く近代的なものだからである。

私小説を可能にする条件とは何か。それは何よりもまず作者の経験した内容が、読者自身の経験としてありありと想起されるための、透明なメディアの存在である。突き詰めていえば、明治期に勃興した言文一致運動の中で形成されたような特別なエクリチュールのことだ。このエクリチュールの特徴は共通言語使用者である我々が、事物(言)とそれに対応する言葉(文)との間のズレ/差異を認識できないような言語の形式とでも言えよう。このエクリチュールが生まれた結果として、自分の経験は他者の経験とも通じている。よって、私の問題は世界の問題とも通底する。という私小説の存立を思想的に支えるコスモポリタンな、あるいは主客融会的な話法が初めて可能になるのである。

しかしだとすれば、ここで余りに単純な懐疑がおこる。美術作品として提示される事物が私小説性を帯びていることは、近代的なアスペクトからすれば根本的な矛盾ではないか?と。

そもそも(これは美術作品に限ったことではないのだが)、事物と人間の関係は複雑的である。ある事物から特定のメッセージを人間が受信したとしても、そこで感受される内容は千差万別だ。そして混迷な、つまりかつての宗教美術のようなレヴェルでの象徴的なレトリック機能を疾うに喪っている美術作品であれば、それは尚更である。美術作品という多解釈的で不安定性を孕んだ形態が「国語」のようなインスティテューショナルな機能(物語を伝達する媒体としてのエクリチュール)を果たすには荷が重いようではなかろうか。

(しかし反対に、このような問いを立てることも不可欠である。今日、美術作品として制作され続ける「事物」たちは物語を伝達する機能をどこまで担いうるのだろうか?またあるいは、そこで伝達可能な物語はトライバルな伝承や様々なマイノリティの悲痛な叫びで「しか」ないのであろうか?少々逸れてしまったが、そんな事を思いもする)

ともかく、物語の伝達形式として、そして特に私小説という形式のそれとして考えるならば、少なくとも美術作品はこの上無く互換性が悪い。

またスペクタクル性と美術という形式も一体どこまで両立可能だろうか。勿論、それらを形式的に組み合わせて表象することは可能だ。しかしここで私の言わんとするは、スペクタクル性が高まれば高まるほど、それはエンターテイメントの領域に近づき、美術であることの意義が問われることになろうし、美術形式を押し出すならばある種の認識的操作が必要になり、極端に言えば万人が楽しめるという次元とどこかで折り合いをつけることになろう、ということだ。(筆者の見立てでは今日的な意味で「アーティスト」と呼ばれる人間の態度の一つとして、断念的に後者を選択し、資本主義世界の様々な悲壮的メランコリズムをアイロニーで切り裂くような態度が共通して存在している。)

このように「物語(GCD☆GCDの場合は私小説)」「スペクタクル」「作品」というそれぞれ異なる次元の形式を統合し、美術としてアウトプットすることが非常な困難であり、私がはじめに欠陥と表した訳も明るくなったであろう。

しかしこの困難さは、「美術」形式ゆえに生じる困難さでもある。なぜならば、GCD☆GCDのプロジェクトの3つの指針「物語」「スペクタクル」「作品」という要素は本来マスメディア技術、表現行為においては特に「映画」的なメディアにおいてこそ統合されてきたものだからである。

ーースペクタクルとは、現体制が自分自身に関して行う途絶えることのない言説であり、この体制の雄弁な独白である。…スペクタクルをその最も圧倒的な表面的発現である「マス・コミュニケーションの手段」という限定された側面において理解する場合…この道具は中立なものなどではまったくなく、まさにスペクタクルの自己運動に適した道具以外の何ものでもない…この社会の管理と人間どうしの間のあらゆる接触とが、もはやこの瞬間的なコミュニケーションの力に仲介されることによってしか行われえないとすれば、それは、この「コミュニケーション」が本質的に一方向的なものだからだ。(ギー・ドゥボール)ーー

恐らく「獸」鑑賞者の中で展覧会の不明さに困惑する者もいたであろうが、きっとこのあたりの齟齬に原因はあろう。だからここで、「獸(JYU)」とは何か、と問われれば、以下の様に明言してもよい。

それは、本来であれば映画の形式で作られるはずのものをアートの形で表象する(してしまっている?)プロジェクトなのだ、と。そして、「獸(JYU)」に興味深さがあるとしたら、それはその乱暴な子供のようなメディア変換やプロジェクト内のマルチメディア性がエキシビジョンとしてどのような効果を持っているか、というところにあると。ーー実際、他者の作品を媒介に私小説を組み立てようとする態度には笑ってしまうような傍若さを感じるし、またマルチメディアなインタラクション、その往還によって生じる観客の内面と私小説的物語内容との差異が「透明なエクリチュール」の奇形な代替物となる可能性に、「獣(JYU)」の魅力を見て取ることは不可能ではないのかもしれない。ーー

(一応先のために、「獸(JYU)」のマルチメディア性についてこの格子内で少々付言しておく。まず挙げられるのは展覧会と併せて音楽ライブを開催し、これらがまとめて「獸(JYU)」であると謳われる点。そして展覧会内ではGCD☆GCDのキュレーションにより、映像、彫刻、絵画、インスタレーションなどあらゆる美術形式が動員される点。その様からは今後の獸において単体のメディア-例えば絵画だけ-で1つの展覧会が構成されることは無いと思われるほどだ。)

このあたりで(漸く本稿の主題でもある)「獸(第2章 / BEAUTIFUL DAYDREAM)」について、そして作家Gillochindox☆Gillochindaeの方へ話を進める。「獸(JYU)」から窺える作家の姿勢とは何か。

それは以下の様な諦念に縮約されよう。

かつて美術史や文化歴史的背景、それも作品を見せるためのナラティブ(方便)として残存していた時代もあった。しかしそれすらも失効した。ポップアートすら(その正統なものは少なくとも日本においては)消失した。また、その種の語りにリアリティを持ち得ない非歴史化された学校美術教育に囲まれて育った現在、(そもそも歴史へのリアリティなどというものはロマン主義的幻想に過ぎず、いかにその魅惑から制作を解放するかというミッションが20世紀美術の運動の大きな方向性でもあったのだが、その辺りへの思弁や反省はGCD☆GCDからは見出し得ない)自身の制作する作品は如何に美術作品としてアイデンティティを担保させうるのだろうか。その回答は、展覧会という形式は維持しつつ、そこに観客を動員するという事実、出来事を裏付けさせるための世界観の設計こそがアーティストの役割である、と。そしてそのためにGCD☆GCDはコモンズとしての大文字の美術史からは撤退し、私小説的なナラティブと子供の様に肥大した暴力的横断的想像力(まるで子供のままのような無邪気な遊び方)を携え、世代的な包容と連帯に注力しているように見受けられる。ーーそしてより細かい議論になるが「獸(JYU)」は物語形式という形を謳っているが、その年々の開催の中で作家GCD☆GCDや展覧会自体が技術的にも興行的にもレベルアップしていくという(というかいかなければおかしい)、ドキュメンタリー的要素も伴っていることによってナラティブは二重、三重化されている。(勿論それは展覧会が面白いものであるかどうかとは全く別の問題だ)ーー

しかし、ここまでを踏まえれば(それは本展に限ったことになるかもしれないが)先の「獸(JYU)」で取られた戦略、つまりキュレーションによって制作された空間と彼がターゲットにした観客の相性は案外悪くない。なぜならば彼の私小説を受け入れることが出来る観客と「セカイ系」的なものを好む観客層は多分に重なるであろうからだ。ここで急に「セカイ系」というタームが出現するのは、この語が展覧会の感想としてX上のタイムラインで度々散見されたからである。また実際2Fで行われたtaroによる映像作品の空間には、セカイ系アニメの金字塔「新世紀エヴァンゲリオン」で主人公を包んだ巨大な母(綾波レイ)を連想させる少女の首が展示されていた事からもその世界観の構築の意図は窺える。

(他にも「厨二病」「終末」などの語がよく流れてきたが、どういう訳か「陰謀論」の語で感想を載せるものは殆いないようだ。)

ではなぜ先の「獸(JYU)」とセカイ系が繋がるか。それには論の序盤で提示した私小説の存立条件へ遡る必要がある。

「自分の経験は他者の経験とも通じている。よって、私の問題は世界の問題とも通底する」という私小説の存立を思想的に支えるコスモポリタニズム。

そう、この文脈から照らせば明らかだが、私小説という形式自体が孕む思想とセカイ系がもつ問題系はほとんど同型なのである。本来、自己と他者の間には絶対的に伝達不可能な差異がある。しかし私小説のテーゼとセカイ系的想像力はその差異、あるいはその他者性が消去された地平に存在する場なのである。そこにおいて、自己と他者の相互貫入的、融解的なビジョンが成立する。自己の肥大した想像力が無媒介的に、或いは超空間的に他者と接続し合うというグロテスクな世界が成立する。

(そして私の考えでは今日、私小説とセカイ系のコスモポリタニズムが反転された問題系の先端に「陰謀論」の横行がある。)

taroの他にも、本展にはセカイ系的でグロテスクなビジョンを裏付ける様なさまざまなイメージを読み取ることができたが、それを最も物語るのはGCD☆GCDの作品であっただろう。そこに周到に描きこまれたカタストロフィは震災によるそれ以外の何ものでもないのである。飛行機事故、テロリズム、戦争でもなく震災によって壊滅状態になった廃墟のイメージがここにある。震災的表象は勿論、阪神淡路大震災から東日本大震災の期間大きく発展したセカイ系アニメーションのこの上ないアレゴリーである。

(ここは様々な解釈の生じる部分であろうが、画面内にこの状況の原因となるものー例えば戦車や飛行機などーが描かれていない以上、自然災害と読み取るのが普通だろう)

そしてここでまた私達は、冒頭の岡﨑の言葉を思い出さずにいられない。その描かれたイメージの中心に佇む人影は「歴史からの疎外」のなかで「そこに入り込もうと、素手で必死に格闘している」男の貧しいまでのリテラルな肖像だからである。

しかし勿論、「歴史の終焉」「終わりなき日常」などという当時の標語は今日全くの虚構である。もし未だにそんな言葉に現実感などという幻想を抱き続けるならば、むしろそここそが今日の「悪い場所」であろう。

歴史は終わってなどいないし、日常の裂け目は到るところにある。あると言わねばならない。

そこには出来事が終わったように、また非出来事的なセカイを思い続けてしまう悪い場所があるだけだ。そのような場所の名を、本展に倣ってアイロニカルに「Beautiful Daydream」と呼ぼう。勿論、そこで見られる夢が悪夢であることは補足するまでもない。

・・・

色々と好き勝手な事ばかり言ってきたが、折り返しに差し掛かかりつつある来年の「獸(JYU)」も楽しみである。しかしその楽しみも年に一度の祝祭的な意味でのニュアンスを多分に含むのだが。

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最後に、ここ数日たまたま手に取っていた画家フランシス・ベイコンの対談より一部抜粋してこの雑考の筆を置こう。

どうやらベーコンも頻繁に白昼夢を見るような人物だったらしい。その絶望的なまでに強迫的なプレザンスを持った画面からは想像もつかない、美しい夢を。

デイヴィッド・シルヴェスター(D・S)ー あなたは座ったまま白昼夢を見ることがよくあると、以前言っていましたよね。そのあいだ、絵がいたるところに飾ってある部屋のイメージがスライドように次々と浮かんでくるということでした。そこで聞きたいのですが、絵の制作に取りかかる前の時点で、その絵のイメージはどの程度明確なのでしょう。

フランシス・ベイコン(F・B)ー たしかに私は何時間も白昼夢を見ていられるし、そのあいだに何枚もの絵がスライドのように心の中に浮かびます。しかし、そうやって思い浮かんだものがそのまま完成した絵になるということではありません。なにしろ、ひらめいたイメージは驚嘆すべきものなのです。そんなものをどうやって描けというのですか。もちろん私にはわかりませんから、偶然に頼りながら、なんとか自分なりに描こうとするのです。

デイヴィッド・シルヴェスター(D・S)ー 白昼夢では何が見えるのですか。

フランシス・ベイコン(F・B)ー とほうもなく美しい絵です。

デイヴィッド・シルヴェスター『フランシス・ベイコン・インタビュー』小林等訳, ちくま学芸文庫, 195–196頁.

https://www.tate.org.uk/art/artworks/bacon-triptych-august-1972-t03073


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