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【メキシコ】文化の交流?一風変わった「インターカルチュラル大学」

自粛の影響で、外国人はおろか日本人同士とも会うことが少なくなってしまいました。異文化交流なんてしてる場合じゃない、といった感じになってますね。
今回は、「文化」にちなんで、メキシコにある変わった大学を紹介します。その名は、「インターカルチュラル大学」。

1. 「インターカルチュラル」とはなんぞや

そもそも「インターカルチュラル」って何、と思うでしょう。

端的にいうと、「文化と文化の交流」です。

文法的な話をすると、「インターカルチュラル」(intercultural) は形容詞で、名詞は「インターカルチュラリティ」(interculturality) です。例をあげると、「インターカルチュラルな状況のことをインターカルチュラリティという」みたいなことです。ご理解いただけたでしょうか。

さっき、「インターカルチュラルとは文化と文化の交流」と説明しました。
さて、ここで重要なのは、「多文化」とは意味が違うということです。
これを理解するために、日本語と英語を対応させて考えてみましょう。

多文化 = マルチカルチュラル (multicultural)
間文化 = インターカルチュラル (intercultural)

実は、「インターカルチュラル」には日本語訳があり、「間文化」と言います(これ、後の説明の際に大事です)。 
多文化と間文化は、接頭辞の違いとかで説明もできますが、難しい話になってしまうのでここでは割愛します。

「多文化」は、文字通り、たくさんの文化があるというものです。つまり、「多」くの「文化」があるから、「多文化」。

一方で「間文化」は、文化がたくさんあるかどうかはあまり関係ありません。重要なのは、文化と文化の関係(交流)です。つまり、「文化」と「文化」の「間」にある関係や交流に注目するから、「間文化」なわけです。

「多文化」を標榜している国の代表例は、アメリカです。イメージ通り、と言って良いでしょう。そんな多文化国家アメリカですが、周知の通り深刻な貧困問題を抱えており、特に黒人やヒスパニック系の人が貧困層に多いのが現状です。多様な文化はあるけど、特定の文化の人々の多くが生活に困っているのです。

多様な文化がたくさんあればいいわけではない、ということをアメリカは意図せず証明してしまったのです。それでは、アメリカには何が足りなかったのか。

答えは、文化間の交流です。

ただ多様な文化があればいいわけではなく、それぞれの文化間に平等な関係や交流、尊重が存在することで、全ての人が差別や排除をされずに生きていけるという考えが、「多文化」に変わって現れ始めました。量をとった「多文化」、質をとった「間文化」と理解しても良いかもしれません。

メキシコの場合、人口の大多数が(白人と先住民の)混血の人で、先住民はマイノリティとして位置付けられています。マイノリティである先住民は500年近く、差別されてきた存在でした。そんな先住民の地位や権利を守るための政策の1つが、「インターカルチュラル大学」の設立だったのです。

2. 「インターカルチュラル大学」は、普通の大学と何が違うのか

「インターカルチュラル大学」が目指すことは、何百年にも渡って差別されてきた先住民が守り続けた文化や知識、伝統、言語を価値あるものとして再認識して、彼らが本来持つべき市民的権利の獲得を促進することです。

「インターカルチュラル大学」の学科には、「言語と文化」や「持続的開発」など、先住民の生活や言語、文化を勉強したり研究するものがほとんどです。経済や法律、文学などどこにでもありそうなものはないのが特徴の1つです。

また、先住民が多い地域に限定して設立されています。先住民のことを研究するならば、当然のことですね。

ちなみに、「インターカルチュラル大学」というものを構想して実施している国はメキシコしかありません。「インターカルチュラル教育」という教育理念を実施している国(or地域)はいくつもあります。

3. どうしてこんな大学が作られたのか

メキシコでは、先住民への差別がおよそ500年近く続いていました。1970年代になってついに、彼らが守り続けた文化や伝統を保護する動きや、市民的権利の獲得を促進する活動が本格化しました。それからおよそ30年後の2001年に、「インターカルチュラル大学」が構想され、設立に向けて政府が動き始めました。

この政策が実施された理由はいくつかありますが、その1つに先住民の若者に対する教育機会の少なさ、があります。先住民の大半は、田舎に住んでおり、当然地方に行けば行くほど教育体制は悪化していきます。これは日本でも同じですね。
高校や大学に行く機会に恵まれず、小卒や中卒の先住民は結構多くいます。彼らの教育機会を充実するというのは、1つの目的であったわけです。

他の理由には、大学での研究や調査を通して、先住民の伝統や言語、文化、知識の価値を再認識することがあります。
実は、1900年代に先住民の地位向上の運動を行った最初の人は、人類学者などの深い知識を持つ人だったし、その運動がさらに強まったきっかけは高学歴の先住民の台頭でした。大学などで勉強して、市民的権利がないことや差別の現状をしっかり認識することが、先住民のためになったんですね。

4. この大学のい良いコト、悪いコト

「インターカルチュラル大学」ができて、大学まで通うことができる先住民の若者は、実際かなり増えました。「インターカルチュラル大学」の学生に私がインタビューした時に、学生の間にインターカルチュラルな状況が生まれている、と話してくれた人もいました。

そして、大学の科目の1つで、どこかの先住民村落に赴いてフィールドワークをして課題を見つけて解決策を提示する、という全員必須のプロジェクトもあるみたいで、先住民村落に学生の知恵を還元するシステムができているのもすごい良いことです。

ですが、先住民村落に向けた内容ばかりで、グローバルな目線を養う内容は少ないようです。例えば、観光系の学科なのに英語を全然勉強しないみたいです。ローカルな視点のみが強調されすぎて、グローバルな視点はほとんど無視されているという現状があります。

そして、経営層の腐敗という、メキシコで超深刻な問題が「インターカルチュラル大学」にも存在しているみたいです。例えば、上層部の人が、能力のない自分の家族を雇用して私腹を肥やすということが実際あったそうです。せっかく良い理念を掲げているのに、やはり残念ですね。

5. まとめ

文化間の交流に注目した「インターカルチュラリティ」という概念が近年台頭してきて、多文化主義に代わる新たな考えとして広まりつつあります。

そして、メキシコでは、先住民の地位向上や伝統文化の保護を目的として「インターカルチュラル大学」が設立されました。

まだまだ課題はたくさんあるものの、「インターカルチュラル大学」で勉強した学生たちが先住民村落に貢献していく動きが少しずつ生まれてきています。

日本でもここ数年で東南アジアからの移民が増えて、飲食店だと外国人が働いているのをよく見かけますよね。そんな彼らをただ労働力として搾取するのではなく、同じ人間として共生するために、「インターカルチュラル」な考えはめちゃくちゃ必要になるはずです。