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とあるスポーツチームフロントによる回想録【獅子吼】vol.1 始まりの出会い。

2017年4月。私は当時創業3年目でやっと会社が軌道に乗ってきた頃でした。
私の会社は『営業代行』というクライアントの営業を文字通り代わりに行うことを業としています。しかし当時は営業代行?という感じで認知もほとんど無く、営業代行を任せてくれる営業に四苦八苦する毎日でした。創業当時は土日にアルバイト、朝は新聞配達で生計を立ていた私はやっと自分の本業だけで生活ができるようになり、クライアントから新たに1部門の運営を任せていただき、その責任の大きさを感じていました。

単に営業するだけで無く、そもそも営業部門そのものを弊社が請負いマネージメントするという依頼はこの時が初めてで、以降弊社の業務スタイルは営業代行からコンサルティングに近い現在の形へシフトしていきます。

セールスのプロとして自負をしていたものの、業界の全く違う分野で常勤では無い私が1部門を統括していくことは簡単な話ではありません。
世の中、【知ったふり。】が一番怖いことは、長年の経験で身に染みていました。

【わからない時は結果を出している人に聞くのが一番】ということで、そのクライアントの愛知法人の副理事長が最もその道に精通されていると聞いた私は、それまで会釈をする程度しか存じ上げなかった副理事長に電話をしました。

「私の考えがあっているか、聞いていただきたいです。一度お時間をいただけないでしょうか?」
この相手が何を隠そう、現ヴィアティン三重のGMの中尾聡氏です。

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私が教えを乞うと、「いいよ!!」と早速相談に乗っていただけることになり、私は自分なりの戦略を詳しく説明しました。
一通り話を聞いた後、中尾氏は「いいんじゃないか!考え方!合ってるよ!!」と言ってくれました。この出会いから私は沼へと入っていくことになります。w

仕事の話をした後、プライベートな話をしていると話がヴィアティン三重のバレーボールチームの話になりました。
当時私は、ヴィアティン三重というとサッカーしか知らず、バレーなんてあるんですね?思わず聞き返してしまいました。
(実は私はラジオパーソナリティを2年ほどしており、ヴィアティン三重のサッカーの応援番組を担当したことも)

スポーツ自体の興味の無かった私がバレーボールという競技が頭に残ったのはこの日です。

この出会いから数日後。登録の無い番号から1本の電話が入りました。
この電話の相手はヴィアティン三重 代表取締役の後藤大介社長。
以前にお会いはしたことがあり、ご挨拶はした事がありましたが突然のお電話に驚きました。
事務所で会いたい。という話になり、クラブハウスを訪問すると中尾氏がバレーボールの営業に椎葉をどうか?という話を後藤社長にしており、この展開になったようでした。

事情を聞くとバレーボールチームは発足2年目。国体を目指し立ち上げたが、なんと初年度でVリーグへの参入を果たすことができ、今年の10月にはV3リーグに参戦していくということでした。
(正直この時点の僕はVリーグという存在さえ知らなかったのです。)
この時が4月の末頃だったと思いますので、半年しかないという状況。
常勤スタッフはサッカーしかおらず、サッカーのスタッフも営業はしてくれているが当然サッカーの営業・運営もしなければならず、思うようにスポンサーがついていないという状況でした。
半年間でユニフォームをスポンサーでいっぱいにしたい。そう切り出され、私は正直断ろうと思いました。

起業して3年苦労してきてやっと軌道に乗ったばかり。しかも新しい案件を抱えており、この状態で他ごとに手を出すべきでは無い。そう思ったからです。
今思い返しても、この時の状況であれば引き受けるリスクは大きかったと思います。

私のようなコンサルティングに近い形の仕事は結果による信頼しか財産はありません。ヴィアティン三重の仕事を引き受けても、営業する時間を作れず1社も契約が取れなければ、椎葉は口ほどにも無い。そう思われ噂を立てられると新規の仕事が取れなくなるからです。
受けた仕事は結果を出して、信頼を勝ち取る。
結果を出せない仕事は受けない。これしか私のような仕事に未来はないのです。

「申し訳ありません。」そう口にしようとした時に、後藤社長がヴィアティン三重の理念ブックを持ち出し、熱く自分の理想を語り始めました。
確かにそんな三重県になったら素晴らしいな。そう思いました。
その熱量に、断るに断れず、引き受けてしまったのです。

そう。ここから全てが始まったのです。           【vol2へ続く】