「等しい」と「=」の無駄話

皆さんは、x=y という数式をどのように解釈しますか?

「x と y が等しい」と答える人が大半だと思いますが、そう答えた方にはもう一歩踏み込んだ質問をします。
(「x に y を代入する」と答えた人は、ここから空気を読んでください)

「x」と「y」が等しいってどういう意味ですか?

「x」「y」は文字であり、x と y は名前である

「x」も「y」も明らかに文字ですよね。
しかし「x という文字」と「y という文字」は等しいとは言えません。

こう重箱の隅をつつくと、次のことに思い至ります。

x=y とは、「x や y という文字がそれぞれ何かを表していて、それらが等しい」という意味である。

別の言い方をすると、x=y とは、
「x と名付けられたモノと、 y と名付けられたモノが等しい」
という意味なのです。
x や y という文字は、モノの名前なのです。

実は 3 + トマトの数 = 5 などと書いても良いんですね。
しかし何度も書くことになると面倒なので、普通は x や y などといった、極限まで短くした名前を使います。

「変数はモノの名前である」という解釈は、プログラミングの世界ではむしろ当然のものなのですが、「文字はモノの名前である」という解釈が数学で取り沙汰されることは少ないです。
「モノを文字でおく」とか「わからない数字を四角で書く」などと教えるよりも、「モノに名前をつける」と教えたほうが良いのではないか、と私は思っています。

x=y とは、「x と名付けられたモノと、 y と名付けられたモノが等しい」という意味である。
x=y の意味が共有できたところですが、次の問題を考えてみたいです。

x=x という式は、常に成り立つと思いますか?

x=x :反射律

これは数学において = の反射律と呼ばれ、常に成り立つとされる式です。
しかし、ここには重要な大前提があります。

前段で述べた解釈によれば、 x=x とは、
「x と名付けられたモノと、 x と名付けられたモノが等しい」
という意味になります。
当たり前に聞こえますが、成り立たないケースは存在します

異なるモノに、おなじ x という名前を付けてしまったケースです。

たとえば……
たいへん失礼ですが、貴方に「人間」という名前を付けさせて下さい。
奇遇ながら、私にも「人間」という名前が付いています。
人間=人間だとすると、私と貴方は等しいってことになります。

一見おかしなように見えて、部分的には筋が通っています。
私と貴方は異なる存在ですが、
私と貴方はおなじ人間です。
(です……よね?いや、まさかそんな……)

つまり「 x=x が常に成り立つ」とは、
・異なるモノにはおなじ名前を付けない
おなじ名前のものは等しいモノとして総括する
という宣言なのです。

「私と貴方はおなじ人間だから等しい」という論理は、
「人間であること以外のディテールを全部捨てて、人間という概念で総括してしまう」ことが前提になっています。

整数 0 を x とおいた後に、整数 1 を x とおくことは許されません。
いえ、実は許される人もいます。0 と 1 を同じモノと認識している人です。
……こんな人と、建設的な議論ができるとは思えませんね。

「等しい」という関係は最も基本的ですが、最も重要なものです。
何と何を等しいものとみなし、何と何を異なるものとみなすのか?
これが人間の世界観を作ってしまうのですから、畏れ多いものです。

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