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KARYOBINとレコードジャケット


上田知華+KARYOBINのファーストコンサートは渋谷エピキュラスに於いて関係者にお披露目の形で行われました。2ndコンサートは1978年11月3日新宿住友ホールに於いて行われました。どちらのホールも現存しません。
デビューはそれに先立つ8月25日「メヌエット/二年前の雨」のシングル盤でした。

これには第一期KARYOBINの全員が写っています。
第1バイオリン 金森 圭司
第2バイオリン マーサ・エリザベス・ジョーゲンセン
ビオラ     矢野 裕
チェロ     林 香苗
KARYOBINの命名は林 香苗さんがインドの音楽の神’迦陵頻伽’から付けたと言われています。
「オープン・ザ・ウインドウ/梅雨明けの頃」のジャケットはビオラが来ず当時のマネージャーだったタナカトオルが写っています。場所はパルコのCMを撮った場所をそのまま使っているそうです。
第一期のKARYOBINは1978年の三男三女婿一匹第2シリーズ第13話にゲスト出演していますので映像が残っています。また1978年10月15日郵便貯金ホールで行われた「郵便貯金ホール実況録音盤-岩崎宏美ラブ・コンサート パート2 ふたりのための愛の詩集」のライブ録音でもその音を聞く事が出来ます。ただしチェロはオガワヒロコと言う方が入っています。

1979年3月頃ビオラに岩間俊也が加入し、国立音大閥でメンバーを集め4月頃から第二期KARYOBINがスタートします。
第1バイオリン 池上 卓子
第2バイオリン 深井 治子
ビオラ      岩間 俊也
チェロ              小林 公明
写真は1979年05月25日に発売された最初のLPの裏面ですが、この時深井治子はまだ決まっておらず写真では上田知華さんの友人が後ろ姿で写っています。

1979年10月10日に発売された「ステンドグラス/TODAY」で初めて全員揃った写真が上がります。

1979年11月28日に発売された上田知華+KARYOBIN[2]です。ライナーにはメンバー紹介が有ります。第二期KARYOBINが写るのはこれが最後で、クラシック志向の強かった小林公明はやめてしまいます。

1980年05月25日に発売された「パープル・モンスーン/サンセット」のチェロは川崎明に代わっています。またこの時は岩間俊也は足を骨折しており写真のみでレコーディングには参加していません。
パープル・モンスーンはサンヨー扇風機のCMに使われ、メンバーがCM映像に写っています。

1980年07月25日に発売された上田知華+KARYOBIN[3]のジャケットは山口はるみによる上田さんのみのエアブラシイラストで、ライナーに「パープル・モンスーン/サンセット」のシングルに準じた写真が有りますが、メンバー紹介は有りません。この体制で80年は行きますが、池上さんが結婚引退、深井さんが故郷に帰って教師になるなど81年になるとメンバーは固定しなくなります。塚本理美、金子飛鳥、溝口肇等の人たちも在籍しましたが完全に決まったメンバーは岩間俊也のみになりました。

1981年08月25日に発売された「秋色化粧/Lonely Weekend」にコンサートの様子が写っていますが、この写真ではメンバーは特定できません。
1983年中頃に岩間俊也がやめて、その半年後にKARYOBINは消滅し1984年08月04日に上田知華単独の「Classiest」が発売されます。この頃になると世の中にはCDが出回るようになり、「Classiest」もLPとCDの両方が出ています。駆け足ですが、KARYOBINはこんな感じで変遷してゆきました。ライブやコンサートでは人が入れ替わる事も多く、たくさんの人が在籍したと思われます。


2023年9月17日上田さんの三回忌に於いて上田知華+KARYOBIN再現コンサートが行われ池上さん・深井さん・岩間先生の3名がゲスト演奏されました。後ろに立っている方々です。上田知華+KARYOBIN40周年コンサートで実現しなかった事が出来ましたが、上田さんが亡くなってしまったので残念ながらもう共演は出来ないのでした。

  


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