読書モチベを上げるために

なぜか読まない自分

なんとなく「読書は良さそう」というイメージはあるのに。

気になった本は買ってきたのに。

手元にあるのに。

なぜか、、読まない。

なぜなんだ!?


・それよりゲームをしていたい/動画やTVを観ていたい/寝ていたい、等々。

もういちど言うが「読書が良さそう」というイメージはあるのだ。

でも。それだけでは(読書に向かうのに)足りないらしい。

だから。読書に積極的になれる情報をゲットしたいと思った。

・・・ということで今回は、

自分が触れて、感じて、考えて。

ひとまず、以前よりかは読書に対して自分が積極的になれたし続いているので。

読書のモチベーションアップにつながるような情報を伝えたいと思います。


読書のメリットとは?

読書といっても、そのジャンルは小説・マンガ・実用書・ビジネス・経済など多岐にわたる。

手に取るサイズも、文庫・新書・ハードカバー・雑誌など、さまざま。

私の場合は「大切ことはマンガから学んだ!」と思っているところも大きいのでマンガから学ぶ、という姿勢も悪くはないと思っている。小説やマンガからは、物語(ストーリー)、情景描写、人物描写などに心動かされて学びを得たり、自分の生き方のヒントにさせてもらうことがある。

ところで小説やマンガを読む場合は「おもしろそうー」ぐらいの気持ちで読み始める。

ふつう「○○について学ぶぞ!」とあらかじめ自分の中で学びたい項目を整理してから小説やマンガを読み始めることはないだろう。読んでいった結果として、感動したり気付きを得たりする、という流れだと思う。

一方で一般書を読む場合はそこで取り扱われているテーマについて「学ぶぞ」という意識をもって読み始める。それで、そのテーマについて“ひとかたまりの知識”を得ようとする。

というわけで、読書のメリットは、

①まるで知らなかった情報について知ることができる。(ゼロから1)

②聞いたことはあるぞ、という状態から、もう少し深く、詳しくなることができる。

③まぁまぁ知っている、という状態から、さらに分別したり整理したりすることができるようになる。

読書によって、あるテーマについての知識と理解が身につくと、自分が発信したり表現したりする情報の価値は上がるはず。

読書のメリット。

それは、知的な刺激を受けることだと思う。


テレビやネットで情報を得るのはどう?

テレビやインターネット記事、動画を観覧することでも刺激は受けるだろう。

しかし、それらは自分が主体的に選んで観たり読んだりしているようでいて、

実は、上手に誘導されて、意識が整わぬ間に観させられたり、読まされたりしているだけ、ということも大いにある。自分の様子を振り返ってみてほしい。

たとえばそこで情報を一時的にキャッチした後、自分で「ほんとうにそうかな?」と確かめたり、さらに学びを深めてみたり、というアクションにつながっているのであればそれらのメディアを活用できている、と言えるだろう。しかし、そうでないなら単に情報に踊らされているだけ、ということになってしまうのではないだろうか。

実際、この批判は読書についても言えることでもある。

ふと気になった本を手に取り読み始めて、そこに書かれている情報を無批判に読み進めていくのであれば、youtube動画でオススメに上がってきた動画をなんとなくクリックして観てしまうのと特に変わらないと思う。

そうだとしても。

やはり読書すること。

本を手にとり、「どれどれ…」と開いて読んでいく行為は、テレビ・ネット動画をスッ、と観ることに比べて、自分の中にちょっとした「構え」が必要だ。

(上では『ネット記事』も例に挙げたが、こちらは少々あいまいな立ち位置であると思えたので、わかりやすく、テレビ・ネット動画と読書を対比させた。)

読書の場合は、「書かれている情報を自分からキャッチしなくちゃ!」という姿勢を持つ必要があるので、情報に対して注意深くなれる。

また、与えられたペースではなく、自分のペースで読み進めることができる為、読んでいるうちにアイディアや発想が思い浮かんだら、本を閉じてそちらのほうを拡げるを、といったことも選びやすい。

また、ネット記事やコラムよりかはボリュームがあるだろうから、それらよりかは、もう少し自分で考える幅があるだろう。(正直これは苦しい。ネット記事にもボリュームの大小はあるし、クオリティが高く、下手な本より考えさせられて学びになる記事もある。)

だから、読書に向かう!

スマホが当たり前のように手元にあることによってどうなったのか。

便利な道具として「自ら」活用しているようであるが。

ひとたびロックを解除すれば、次から次へと目に飛び込んでくる情報、情報、情報。

自分で選んでいるようで、巧妙に選ばされているらしい。

与えられがち。

流されがち。

あおられがちな中で生活している。

いまさら、スマホなしの生活も考えづらい。

できなくはない?

上手に付き合えるなら一番いい。

そういうなかで、

「私はいったい何者?」と。

自分を取り戻す思考を回復させるのが読書だと思う。

自分が主体性をもって、情報を掴みに行く、という訓練ができる。

ちょうど今日スタバに行ったけれど。

ミルクやシロップや砂糖とか。自分好みにカスタムするの楽しいじゃないですか。

自分を自分好みにもうちょいカスタマイズしたいなら。

もう少し機敏に、柔軟に、的確に、そして楽しくにこやかに動かせるようにするため、読書は有効であると考えています。

読んでくださってありがとうございます。 (あるぱか)

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